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絵をみて人を「観る」

いつものように『私の人生観』を読んでいて、ふと違和感を抱いた。

小林の文章だと何か終いには絵は要らないというふうになっちゃうんだよ。画家のことが主要な問題になっちゃう。

『「形」を見る眼』(対談)

20代前半から付き合いが深い美術評論家・青山二郎が的を射ている。あまりの感激にその場に座り込んでしまったゴッホしかり、居間に扇面を飾っていた鉄斎しかり。きっかけは絵だったとしても、伝記を読み、書簡を読み、行き着く興味は画家の「人そのもの」であることが、小林秀雄に目立つ。

それなのに『私の人生観』において、『往生要集』で源信なり絵仏師に触れた後、鎌倉仏教から禅宗を概観し、室町水墨画について語っている間、『小林秀雄全作品』第17巻では2ページ強にわたって、「人」についての言及が少ないのだ。浄土宗の開祖である法然、浄土真宗の宗祖である親鸞、禅僧で水墨画家だった雪舟。この3人は名前が出たが、小林秀雄が強く関心を抱く「人そのもの」にはまったく触れていない。

禅宗は、坐禅によって徹底した自己観察を行ない、言葉によって悟るものではない。それでも芸術表現は生まれてくるものであり、室町時代の水墨画がその完成形だという。ただ、水墨画そのものも中国由来であり、雄大な山水画も、画僧が自分の眼で直接見たものではない。それでも後世に伝わる水墨画があるのは、禅による精神の烈しい工夫を要したからであり、「外的条件の如何にかかわらず、いかなるものを表現し得るかという事を明らかに語っている」とまとめている。

どうももの足りない。

ただ、これまで『私の人生観』を読んできたことから考えると、もともと講演録であり、詳しく語っている話題と、さらっと軽く流している話題の両方がある。前者は、講演で本当に詳細に話したのかもしれないし、加筆した部分なのかもしれない。後者は、『私の人生観』では軽く触れたものの、もともと気になっていたのか、それとも納得がいかなかったのか、独立した話題として、後から文章になり、作品となったものもある。たとえば、先に言及した「観無量寿経」における「日想観」も、翌年に『偶像崇拝』で深く洞察している。

案の定、『私の人生観』の講演からすれば2年後となる1950(昭和20)年、雑誌「芸術新潮」に『雪舟』を発表している。後年、『鉄斎』『光悦と宗達』などと並べて単行本『芸術随想』として知られることの多い作品である。有名な雪舟の水墨画『山水長巻』に烈しく心を揺さぶられた小林秀雄はいう。

雪舟がはっきりと生き返り、私に近づくのは、画からである。「山水長巻」を見て、私は雪舟に出会う。

『雪舟』

(つづく)

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