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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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#言葉

全集を手に入れる、全集を読む

幼い頃から読書が大好きだった。ただし乱読多読。小説、随筆、ミステリ、紀行文、ノンフィクシ…

既視の海
1年前
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伝統に頼らず、自らの言葉で思想を語る

宮本武蔵が著わした『五輪書』は、『私の人生観』の当時はまだ評価が定まっていなかった。それ…

既視の海
1年前
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文体を欠いた思想家はシンフォニーを創り出せない

日本の哲学者は、論理は尽くすが言葉を尽くしていない。観念を合理的に述べれば十分だと思い込…

既視の海
1年前
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知性の限りを尽し、言葉を尽す

小林秀雄は、なぜそこまでベルクソンに惹かれるのだろう。「彼の天才は、…」という語り出しで…

既視の海
1年前
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読んだだけでは駄目だ。眺めるのが大事なのだ。

「読んだだけでは駄目で、実は眺めるのが大事なのだ」とは、いったい、どういうことだろうか。…

既視の海
1年前
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細かな描写をすれば芸術的というわけではない

美は人を沈黙させる。その言うに言われぬ感動を、どのようにして言葉にするか。その感動を言葉…

既視の海
1年前
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「言絶えた実在の知覚」を「思い出す」

現代の文学は、沈黙を恐れている、その饒舌さは、この恐れを真の動機としている。俳句ぐらい寡黙な詩形はない。芭蕉は、詩人にとって表現するとは黙することだという逆説を体現している。言葉にならない知覚、すなわち「言絶えた実在の知覚」がなければ、文学ではないと小林秀雄はいう。 初対面の数学者・岡潔と意気投合し、半日かけて語り合った『対談/人間の建設 岡潔・小林秀雄』(「小林秀雄全作品」第25集。新潮文庫版もあり)にも、小林秀雄の俳句「観」が述べられている。 30年来の付き合いがあっ

Lettersを論じる

「話が脇道にそれました」(「小林秀雄全作品」第17集p174L17)で始まるこの段落から、『私の…

既視の海
1年前
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我々が投げるべき砲丸は何か

1940(昭和15)年に発表された『オリムピア』(「小林秀雄全作品」第13集)で小林秀雄は、砲丸…

既視の海
1年前
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詩人が投擲するものは

何の予備知識も先入観もなく、小林秀雄の『オリムピア』のこの部分を読んだとき、これは何なの…

既視の海
1年前
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沈黙を言葉にする

経験を重んじよ。そのうえで自分の心に浮かぶ感覚を大切にせよ。信じるによせ、疑うにせよ、経…

既視の海
1年前
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批評は、なんて孤独なのだろう

小林秀雄は「文化活動とは、確かに家が建つということだ」と述べ、批評が文化活動ならば、批評…

既視の海
1年前
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詩を書くように批評を書く

宮本武蔵は「みる」という営みについて、観見ふたつの目があるという。 「見の目」とは、普通…

既視の海
1年前
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反省する、信ずる、責任をとる

歴史は、上手に「思い出す」ことだ。その人物ならどう考えたか、どのような言葉を発したか、それが自分の内にありありと姿を現し、声が聞こえてくるまで、考える、想像する、思い出す。それを「歴史を知る」ことだと小林秀雄はいう。 『私の人生観』は講演録である。もし音声が残っていたならば、わずかに語気を荒げただろうところがある。 この講演の行われる3年前、敗戦直後の1945(昭和20)年8月28日、東久邇宮稔彦首相は記者会見で「軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬ。一億