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【取材】脳科学が拓くダイバーシティとサステナビリティの可能性~早稲田大学大須研究室の最新脳科学研究~(前編)

こんにちは。今回は近年注目を集めている「ニューロダイバーシティ」をはじめ、脳の仕組みを探求する研究について、詳しく取材した内容をご紹介します。早稲田大学人間科学学術院の大須 理英子教授と土屋 彩茜さんにお話をうかがいました。
前編では、脳活動への介入による新たなリハビリテーション手法や、VRなどの新たな技術で麻痺した側の手を使いたくなる仕組みの研究などを紹介します。

公益財団法人流通経済研究所
上席研究員 石川 友博
研究員 寺田 奈津美


脳の仕組みを探るところから「心」と「体」にアプローチ

早稲田大学人間科学学術院 大須 理英子教授(手前)と
同 次席研究員 土屋 彩茜さん(奥)

――先生は認知神経科学を専門とし、脳の仕組みを探るところから「心」と「体」にアプローチされています。身体性、学習と可塑性(脳の可塑性とは、経験や学習によって脳の神経回路が変化し、新しい情報を処理するための構造や機能を獲得する能力のこと)、感情、社会性などをキーワードに、基礎研究だけでなく臨床・社会応用につなげることを目指した研究も行っています。

大須先生:はい。人間がどうしてそのように行動するのかということや、ある心理状態について、どのようにそのような気持ちになるのかを知ることが大きな関心事です。
 私はもともと心理学出身で、心理学的なアプローチに加えて、脳の中にある計算原理がわかるとより理解が深まるのではないかと考え、認知神経科学の領域にも研究を広げました。動物は生きていくためには体を動かす必要があるという基本的な原理に着目し、運動の制御や学習(どうやって体を動かすか、またそのスキルを獲得するのか)を研究してきました。
 その中には、リハビリテーション(障害や疾患によって損なわれた能力を回復し、日常生活や社会参加を改善するためのプロセスやプログラム)の研究も含まれています。さらに、心のメカニズムにも脳の視点からアプローチすることが可能であると考え、その領域でも研究を行っています。

――先生のご研究領域ではどのような方がどのようなご研究をなさっているのでしょうか?

大須先生:この領域は、心理学出身者だけでなく、医学や理工系など様々なバックグラウンドを持つ研究者が、自分の専門分野から少し外れて、「人間ってなんだろう?」ということに興味を持って集まっています。マウスやサルを用いた実験を行ったり、人間を対象として脳の活動を記録したりするような基礎研究をバリバリやっている研究者もいます。
 最近では、基礎研究からさらに一歩進み、病気の治療や回復に加え、スポーツのパフォーマンスを向上させるといった、普通の人がより良く暮らすといういわゆるウェルビーイングの領域にアプローチするものも出始めています。昔は病気を治すのが第一でしたが、現在ではウェルビーイングに積極的にアプローチする動きが広がっており、全体的にそのような方向に展開しつつあると思います。

――さまざまな分野の専門家が集まり、脳の視点から行動や認識を理解し、脳を制御することで、リハビリの分野に生かしたり、近年では、病気でない人のウェルビーイングに関わる分野を研究している研究者もいらっしゃるということなのですね。

脳活動への介入による新たなリハビリテーション手法の提案

――先生のご専門領域において、将来的にどのようなことを実現したいと考えておられますか?

大須先生:リハビリテーションの分野では、私は主に脳卒中のリハビリテーションの研究をしているのですが、回復の見込みのある患者さんは最大限回復させたいと考えています。また、現在、完全な回復が難しいと感じている患者さんも多くいます。そのような患者さんたちがより良い日常生活ができるような新たな手法を提案できればいいと思っています。
 最近では、脳活動の記録に加えて、脳への介入的な手法も注目されています。例えば、ニューロフィードバック(脳の活動を計測し、その情報をフィードバックすることで、脳のパフォーマンスや機能を変化させること)や脳への刺激などがその一例です。


出所:広島大学 脳・こころ・感性科学研究センター
(https://bmk.hiroshima-u.ac.jp/neurofeedback-2/)

 こうした介入により、新たな改善法を提案できればいいと考えています。脳への介入は、非侵襲的(身体に対して外科的な手術や物理的な介入を伴わない方法や処置)な方法も含まれ、頭蓋を開けることなく、外部から電気や磁気を使って脳の活動を調整することが可能です。

 このような手法を用いて、例えば、うつや社交不安障害などが、どの部分の脳活動によって引き起こされるのかを理解し、その脳の部分の活動を調整することで改善できないかと考えています。現在は、薬物療法や認知行動療法が主流ですが、脳の理解に基づく新たなツールやアプローチを提案できればと思っています。

 これはリハビリテーションにも同様で、基礎研究によって得られた知見から新たな改善法を提案し、最終的には治療法として確立されることを期待しています。実用化までは私たちが担うことはできませんが、そのような方向に研究を進めることができるとよいと思っています。

――ここでの「リハビリテーション」とは、脳に外傷的な疾患を持つ方の回復を促す活動ということでしょうか?

大須先生:そうですね。外傷だけでなく、脳卒中は、血管が詰まったり破れたりすることで発症しますので、単純な外傷とは異なりますが、脳卒中などの脳血管障害のような病気や、脊髄損傷なども含まれます。例えば脳卒中になると、損傷した脳と反対側の手足が麻痺したり、言葉が離せなくなるなどのさまざまな症状が起こりますが、それを改善したり代替手段を準備することで、日常生活を取り戻す活動がリハビリテーションです。

 医療の進歩により、かつては命を落としてしまった人々も生き延びることができるようになりました。しかし、その後も障害を抱えたまま生活を送ることになる方が増えています。
 昔は助かる見込みのなかった方がなんとか治療して命は助かったけれども、麻痺が残った状態で後々の人生を歩まなければならない。そのような人々の生活の質(QOL)を向上させたいと考えています。例えば、右手の麻痺がある場合、右手の回復が進む、もしくは左手を使うことが上手になれば、日常生活でできることが増え、より楽に生活できるようになるのではないかということです。

――なるほど。脳の神経系に外的または内的な損傷を受けた方々の機能を最大限回復させる、または精神疾患などによる機能低下を回復させるために、薬物や認知行動療法などに加え、新しい方法を提案していきたいというのが先生の研究の目指されている方向なのですね。

VRなどの新たな技術で麻痺した側の手を使いたくなる仕組みの研究

――リハビリテーションにおける機能回復はどのように行われるのでしょうか?

大須先生:外的な電気刺激を行う場合もありますし、トレーニング法を考案するなど、いくつかの方法がありますね。
 従来の方法とは異なるアプローチを取ることもあります。例えば、従来のリハビリテーション訓練の前に刺激を与えることで、変化がより起こりやすくなるという場合もあります。

 脳には可塑性と呼ばれる、学習、経験を通じて変化する脳内の神経ネットワークの能力があります。しかし、その変化が良い方向に向かわない場合もあります。例えば、アディクション(依存症)のように、悪い方向に変化してしまうこともあります。


脳の可塑性
多様な環境に対応するため、脳の構造と機能を変化させる神経系の能力。例えば、指を動かす神経細胞が死んでも、リハビリによって通常なら「手首」を動かす指令を出す神経細胞が「指」を動かす指令を出すことができるようになる。
出所:いずみの病院ホームページ「脳の働きとニューロリハビリテーション」(https://www.izumino.or.jp/sick/past/20170804_nerve79.html)

大須先生:ですから、学習メカニズムを活用して、より良い方向に変化させることができればいいと考えています。そのためには、脳を刺激したり、良い学習を促す方法を考案することが重要です。

 例えば、最近ではVR(バーチャルリアリティ)を使ったリハビリ手法もいろいろ考えられていて、世界的にもVRを工夫して活用しようという動きがあります。これにより、今まで実現できなかった環境を作ることができます。
 従来の訓練方法で効果が得られなかった場合でも、今後はVRを利用することで治療や学習が効果的に進む可能性があるのではないかと思っています。

 また、私はこれらのアプローチを、単なる試行錯誤ではなく、「脳の仕組みはこうだから、こういうふうにやればうまくいくんじゃないか」などというように、脳の仕組みや働きに基づいて仮説を立て、科学的なアプローチでそれを検証し、そこから得られた結果が結果的に役に立つというふうになれば良いと思っています。

――先生が目指されている研究の理想を10点としたら、現在は何点くらいと評価されていますか。

大須先生:最終的な実用化というところを除いて考えれば、我々の目指している理想に対して現状は6~7点くらいでしょうか。

――中でも、特に直近1~2年で注目されている成果があれば教えてください。

大須先生:2つあります。1つは、麻痺した側の手を使いたくなる仕組みの研究です。脳卒中による片麻痺のリハビリにおいて、麻痺側の手でできることでも、つい反対側の手を使ってしまうことが問題となります。
 脳卒中では片方の身体が麻痺することが一般的です。脳は左側が右の体を制御し、右側が左の体を制御します。従って、脳卒中が片方の脳半球で起こる場合、その反対側の身体が麻痺します。

 日本では、脳卒中後は急性期の治療をした後、回復期のリハビリテーション病院に入院し、リハビリを行います。リハビリでは、麻痺していない手で日常生活の動作を行う練習(右手が麻痺したら左手でお箸を持てるようにするなど)や、麻痺側の手のトレーニングが行われます。

 しかし、退院後は、麻痺側の手を使いたくないという心理的な抵抗が生じることがあります。麻痺側の手を使わないことが続くと、せっかくリハビリで治療した麻痺側の手も、しばらくすると使えなくなってしまうということがよくあります。

 退院して家に帰ると、麻痺した手の動きが遅かったり、物をつかむのに時間がかかったり、うまくつかめなかったりすると、そのたびにペナルティを感じたり、使って失敗すると使いたくなくなることもあります。
このような現象は脳の学習メカニズムによるもので、自然と麻痺側の手をますます使わなくなってしまうのです。
 この結果、数ヶ月にわたるリハビリの成果も無駄になってしまい、さらには日常生活で両手を使う機会が多いことを考えると、QOL向上の観点からももったいないと感じられます。

 このような課題に対処するために、機能回復を目指すだけではなく、麻痺した手を積極的に使いたいという気持ちを促すリハビリを行いたいと考えています。
 そのために、本来使えるはずなのに使いたくないという状況を定量化する方法を開発したり、どのような理由で人は右手と左手を選択しているのかというモデルを作成したりしています。

脳の報酬系の仕組みを利用した麻痺側の手を使う意欲を高めるトレーニング

大須先生:さらに、右手か左手のどちらを選ぶかをつかさどる脳の場所は、頭頂葉(とうちょうよう)という、頭の後ろあたりにあるらしいということがわかっています。


頭頂葉は頭のてっぺんのやや後ろの部分で、外界の認識に関わる。頭頂葉の前部には、顔・手足をはじめとする体全体からの感覚情報が集まっている。
出所:水俣病病理標本データベース
(https://minamata-pathology.org/learn/occipital-lobe)

大須先生:我々の研究室では、健常者を対象に、外部からこの部位を刺激して脳の活動を変化させることで、本人が気づかないままに、左手を選びやすくなるような状況を作り出すような研究をしたり、手首などの末梢部位に刺激を与えると、本人が気づかないうちにその手を選びやすくする実験を行ったりする基礎的な研究をしてきました。

 これらの研究はまだ実用には至っていませんが、その知見を応用することで、日常生活では麻痺した側の手を使いたくなくても、なんとなく勝手に使ってしまうようにすることで、(上述の)麻痺した側の手が使えなくなるという問題を解決できる可能性があります。
 通常は脳が使わないように制御する機能に逆らって、機能回復を図るということです。完全な回復まで至るのは難しいかもしれませんが、日常生活で、例えば、お箸を使うような細かい動作は難しくても、お茶碗を持ったり、支えるような動作をする際に使えることは、大きな改善といえます。

 これまで、麻痺側の手で物をつかむ、手を開く、といった機能を向上させるためのトレーニングはありましたが、麻痺側の手を使いたい気持ちに訓練する方法はあまりなかったので、これらの研究成果が実用化されることで、麻痺に対するリハビリにおける大きな進歩が期待されます。

――麻痺側の手を使う意欲を高めるトレーニングを導入するということですね。

大須先生:そうですね。このようなコンセプトのトレーニングを導入することで、麻痺した側の手が回復したにもかかわらず、使わないという状況を予防することができるかもしれません。

 また、まだ試していませんが、電気刺激の他にVRを使う方法も考えています。これは、麻痺側の手を使ったときに失敗しにくい環境を作るというものです。麻痺側の手を使いたくなくなる理由は、その手でうまく物を持てなかったり、コップをひっくり返してしまったり、細かい作業ができなかったりするからです。

 VR環境では、実際には麻痺側の手がうまく使えていなくても、うまく使えているように脳を騙す仕組みを作ることができます。たとえば、麻痺側の方が少し簡単な設定にしたモグラたたきのようなゲームで、麻痺側で行うと得点が高くなり、麻痺側を使うほど得になるような仕組みを作ることも考えられます。

 ――そうなんですね。そのようなゲームで麻痺側の手で良い点数が取れると、麻痺側の手を使いたいという気持ちが生まれるのでしょうか?

大須先生:そうですね。この行動のメカニズムは「強化学習」と呼ばれ、報酬が得られるとその行動をより多く行うようになるという、脳の中の大きな学習原理の一つです。
 報酬を受けることで、行動を選択する原理として、褒められたり、何か良いことがあると、その行動を繰り返すようになります。脳の中でその行動と報酬が結びつけられることで、その行動が好ましいものだと認識されるのです。

 例えば、迷信行動でも同じで、それが間違った方向に結び付けられてしまった例です。「神社に行って願い事が叶ったからまた行こう」というように、行動して、その後に良い結果が得られると、「その行動が良かったのだ」と脳が結びつけます。これは報酬を得たときの良い気持ちを覚え、それを再び得るために行動を繰り返す学習プロセスです。
 現代のゲームやSNSでも同様で、高得点やいいねのような報酬があると、その行動を繰り返したくなります。脳の中にはこのような報酬系の仕組みがあるため、これをうまく利用することができるのではないかと考えました。

イヌに「お手」を新しく教える場合、「お手」ができた時に餌を与えるとイヌはまた「お手」をして餌をもらおうとする。このように動物が行動を起こした直後に報酬(餌)を与えると、その行動が強化され、繰り返し行動するようになる。
出所:東京大学「ドーパミンの脳内報酬作用機構を解明」発表資料より

――なるほど、行動してから報酬を得るまでの期間はどれぐらい有効なのでしょうか?

大須先生:それは課題や個人によると思います。すぐに報酬がないと学習しづらい人もいれば、そうでなくても関連付けられる人もいます。

 また、どれだけ学習するかは個人によって異なり、子供の場合は長期的な報酬を待つことが難しい一方で、大人になるにつれて将来の報酬を考えることができるようになる傾向があります。このように、個人や発達の段階、課題の性質によって異なります。

 この点については、さまざまな研究が行われており、この行動と報酬の強化学習のパラメーターが狂ってしまうと、うつ病になってしまうことがあることがわかってきています。たとえば、セロトニンなどの脳内物質が減少するとうつ病を引き起こし、うつ病になってしまうと、現在や明日のことしか考えられなくなり、将来のことを考えることが難しくなるのではないか、とも言われています。

 これらの強化学習のメカニズムをうまく利用し、学習を誘導する方法や精神疾患の治療に役立てることができればいいと考えています。

💡中編では、静磁場磁石を利用して社交不安症状を軽減する研究や、ニューロダイバーシティ(脳の多様性)についてうかがったお話を紹介します。

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