幸せについての学問 「ウェルビーイング学」とは!? 武蔵野大学ウェルビーイング講演会レポート&前野教授インタビュー(後編)
公益財団法人流通経済研究所
上席研究員 石川 友博
研究員 寺田 奈津美
こんにちは。後編では、前野教授への直接インタビューでうかがった内容について、ウェルビーイング学部設立の経緯や今後の展望、前野教授ご自身の研究や企業との取り組みについての最新動向などをご紹介します。
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前野先生へのインタビュー
――ウェルビーイング学部を立ち上げるにあたり、特にどのような点に力を入れられましたか?
やはり、これまで世界に存在しなかった学部なので、しっかりとしたものを作りたいと考えました。おそらく、今後この学部が他の参考例となると思いますので、抜け漏れがないようにしたいという気持ちがありました。その結果、科学的ウェルビーイング、哲学的ウェルビーイング、感性によるウェルビーイング、そしてイノベーションの4つの柱を掲げることにしました。これらは新しさもあり、かつ、全体を網羅していると感じています。私としても、基本的な考え方として非常に腑に落ちたものができたと思っています。
――10点満点では何点ぐらいのものができたと思われますか?
そうですね、8点くらいだと思います。というのも、ウェルビーイングはまだまだ発展していく分野ですし、私自身の知識の範囲内では満点かもしれません。しかし、実際に学部を立ち上げる際の文部科学省への提出書類などは、10人でチームとして作り上げるというよりは、どうしても1人を中心にして進めざるを得ない部分があります。今回は私がその中心となりましたが、多くの方の意見を参考にはしました。
4年後が次の勝負の時期だと考えています。まずは4年間やってみて、現時点でベストだと思う教員陣と共に議論し、5年目には大きな改訂を行うつもりです。ですから、今は『現時点でのベスト』を目指しましたが、4年後にはさらに進化したベストを目指し、その後8年ほどかけて完成させていくつもりです。
また、やはり、学術的な専門家から実務家まで、両方の視点を取り入れているのが特徴です。通常、大学では学術的な人材が中心となることが多いのですが、3年前に武蔵野大学に設立されたアントレプレナーシップ学部では、講師全員が実務家という大胆な試みを行いました。武蔵野大学は、こうした新しい取り組みに挑戦する大学であり、その前例を参考にしつつ、今回の学部では専門家から実務家まで幅広い人材を集めるという新しい挑戦ができたので、それもまた8点になったことに寄与しています。
その意味で、過去のノウハウや前例に学びながらも、新しい価値を加えることができたので、この点も8点という評価につながっています。
――他にはありますか?
ほかには学生募集ですね。学生が1200人応募したというのは、やはりすごいことです。
――その募集にあたって、何か特別な取り組みがあったんでしょうか?
武蔵野大学100周年の目玉事業として「世界の幸せをカタチにする。」という理念にぴったりな学部ができたこともあり、広報にかなり力を入れられたのだと思います。そういう意味で、学部設立を大学全体で一丸となって取り組み、学長や理事、理事長、部長が密に連携し合いながら進められたことが大きかったですね。
武蔵野大学の特徴は、新しいことに挑戦する姿勢です。この5年間で新しい学部・学科を4つも作っています。データサイエンス学部を作った頃にAIブームが来ましたし、アントレプレナーシップ学部、サステナビリティ学科、ウェルビーイング学部など、5年間で4つも新しい学部・学科を設立しました。少子化が進む中で守りに入らず、攻めの姿勢で取り組んだことで、新しい雰囲気が生まれ、定員数も増やしました。
この大学に来て感じたのは、まるで企業のようだということです。ちゃんと調査をして、知名度が低ければ「これを1年で10%上げるのが目標です」といった具体的な目標を立てています。「学者は学問をしていればいい」という雰囲気の大学もありますが、武蔵野大学はアグレッシブに新しいことを進めています。
武蔵野大学は常に進歩し続ける大学でありたいと考えていて、10点満点ではなく、常に8点であるという謙虚さを持っています。つまり、10点に達したと思ったらさらに上を目指し続ける、そういう姿勢です。だからこそ伸びしろがあり、進歩し続けているのだと思います。
ウェルビーイング学部は世界初の学部として、従来の教育の常識を覆し、ウェルビーイングや世界平和といった非常に大きな目標を掲げています。従来は、法律なら法律、機械工学なら機械工学というように、専門性を追求する学問が主流でしたが、それらとは違い、ウェルビーイングを目指すという明確な目標を持った統合型の学科です。このように、究極の目的を学科名に掲げた学科は他にはありません。
――先ほどお話に出てきた後半のカリキュラムで、「イノベーションを起こせる人材を育てる」とおっしゃっていましたが、その部分のカリキュラムは具体的にどのような内容が計画されていますか?
実は、私が所属しているもう1つの組織、慶應SDM(システムデザイン・マネジメント研究科)で、16年前にデザイン思考の教育を始めたんです。デザイン思考は、スタンフォード大学のd.school(Hasso Plattner Institute of Design)から始まったのですが、日本で初めてこの教育を導入したのが慶應SDMです。ブレインストーミングや観察、プロトタイピング、つまりアイデアを出したり、実際に作ってみたりといった、非常にクリエイティブでごちゃごちゃしたプロセスを取り入れた教育です。
この方法論は、アメリカ西海岸の発展、例えばGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)などの企業の基盤にもなったものです。ただ、日本ではあまり広がっていなかったのですが、慶應SDMで取り入れて成熟してきたんですね。デザイン思考も今では少し古くなりつつあり、最近では「アート思考※」など、さらに新しいアプローチが出てきています。
※アーティストが「0」から「1」を生み出す過程で行う発想法のように、常識にとらわれない自由な思考法のことで、ビジネスにおいても独創的なサービスや商品を生み出す思考法として注目されている。
武蔵野大学ウェルビーイング学部では、こうした新しいデザインをイノベーティブに創り出す方法論の最先端を学ぶことができます。具体的には、ブレインストーミングをしたり、みんなで何かを作ったり、課題のある場所に観察に行くといったことを、体系的に学ぶことができます。
――なるほど、ありがとうございます。座学ではなく実践的な授業を多く企画されているとのことで、1、2年生、特に2年の中期ぐらいから、いろいろな体験型の授業が始まるのですよね?
そうなんです。本当はもっとたくさんの体験型授業をやりたかったんですが、時間的な制約もあって、2年生、3年生、4年生の2学期はほとんど机に向かわず、外に出て活動することになります。武蔵野大学は4学期制なので、1年の4分の1は外での実践的な学びが中心ですね。本当は半分くらいの授業をそうしたかったんですけど、他のカリキュラムとの兼ね合いもあって、これぐらいに抑えています。
――ウェルビーイングの理想的な状態を10点とした場合、今の日本社会におけるウェルビーイングを取り巻く状況は、何点くらいだと思われますか?
そうですね、理想を10点とすると、今は大体3点くらいですかね。
――なるほど。その3点というのは、ある程度できている部分と、まだできていない7点分に分けられると思うのですが、できている部分は具体的にどういったところですか?
講演でも何度かお話ししましたが、日本では健康や安全に関わる身体的・社会的なウェルビーイング、そして福祉政策などは比較的充実していると思います。
ただ、一番問題なのは「心のウェルビーイング」の部分ですね。とはいえ、最近では少しずつ状況が改善されてきています。例えば、自民党や日経新聞のシンポジウムなどで「ウェルビーイング」という言葉が社会に広がり始めているため、その点数が3点まで上がったのだと思います。
――この3点をさらに1点でも上げていくためには、まずどのようなことを優先的に行うべきだとお考えですか?また、その際にどのような障害があり、それをどう克服していくべきだとお考えでしょうか?
私個人としては、あらゆる分野で手を尽くしているつもりです。例えば、「ウェルビーイング学会」を立ち上げましたし、自民党のウェルビーイング推進特別委員会や文科省の教育会議にも参加することで国にも働きかけています。さらに、日経新聞や朝日新聞などのメディアとも連携して取り組みを広げています。高等教育の分野では武蔵野大学でもウェルビーイングの推進に取り組んでいますし、いくつかの企業とも協力して「ウェルビーイング経営」を進めています。
このように、様々な方面でプロトタイピング的に取り組んでおり、それぞれ少しずつ前進しています。ただ、一人や500人の学会のメンバーでできることには限界があります。これを100人、1000人、1万人といった規模で広げていくことが課題です。そのためには、人材育成が非常に重要です。学会や学部での人材育成、そして国への提言や企業からの支援を募ることも必要です。
幸いなことに、色々な取り組みが確実に広がっていますが、よりスピード感を持たせるためには、ニュージーランドのように「ウェルビーイング・バジェット」を導入するなど、首相がウェルビーイングを本気で推進し、国全体で取り組む動きであったり、SDGsのように国連が主導する形で進められるようになれば、さらに大きな成果を期待できるでしょう。
私は15年間ウェルビーイングの推進に取り組んできましたが、まだまだ広げる余地があります。より大きな動きに繋げるために、これからも推進していきたいと考えています。
――先生ご自身のウェルビーイングに関する研究テーマや新しい問いとして、現在挑戦されていることはありますか?
ウェルビーイングを広めるためには、ウェルビーイングに配慮した製品やサービスを生み出すためのイノベーションが不可欠だと思います。
私が特に注力したいのは、ウェルビーイングを製品やサービスに取り入れる部分です。ここがまだ遅れていると感じていますが、ここを伸ばせば、日本からイノベーティブな企業が生まれ、GAFAに勝てる可能性もあると思います。
武蔵野大学では、アントレプレナーシップ学部の3年生や4年生と共にイノベーションに関する研究を進めていますが、私たちの頭の中にはイメージがあっても、それをうまく伝えられていない状況です。ウェルビーイングを考慮した製品デザインがまだ広まっていないんですね。これを広めるためには、実例を基にした方法論の研究をさらに加速し、論文や本、事例集などを通じて普及させる必要があります。そうすれば、企業が「こうすればいいんだ」と理解し、一気に広がっていくと思います。
――ウェルビーイングについて企業にアプローチする際には、どのようなことが重要でしょうか?
私は研究者ですから、エビデンスの重要性を強調するようにしています。例えば、生産性がウェルビーイングによって3割向上したというデータを示すことで、企業は「それならやってみよう」と納得してくれることが多いです。また、社長など会社のトップに直接伝えることが重要です。まだこの分野は小さいですが、次第に大企業とも連携が進んでいます。
最初は中小企業と連携していましたが、最近では大手企業もウェルビーイングに関心を持ち始め、提携を依頼してくることが増えました。これからさらに広がるフェーズに入ると、新たな課題も出てくるかもしれませんが、今は良いタイミングだと感じています。
――大手企業も徐々に関心を持ち始めているのですね。今、産業界がウェルビーイングに対してどのような関心を持っているかについて話がありましたが、ウェルビーイング向上による生産性向上に注目している企業が多いのでしょうか?
そうですね。生産性が向上し、創造性が高まり、離職率が下がるという全体的な効果に注目しているのだと思います。特に、若い社員を引き留めたい、優秀な人材を採用したいというニーズが強いですね。良い環境があれば、優秀な人材が集まり、辞めにくくなるというデータもあります。他にもウェルビーイング向上が、経営者が一番気にしている、売上や利益、株価にも好影響を与えるというエビデンスもあり、それはインパクトがありますね。ただ、まだ一部の経営者の中には、この取り組みに対して懐疑的な見方をする方も多いです。
――流通経済研究所では、特に流通業に対してウェルビーイング経営を提案、推進していきたいと考えていますが、これからウェルビーイング経営に取り組もうとする企業に向けて、メッセージをいただけますか?
流通業には、輸送や物流、食品メーカーや小売業など幅広い業種が含まれますが、BtoBの部分でも、小売業でも、ぜひ製品や店舗づくりを通じてウェルビーイングを考慮した売り方を考えていただきたいです。例えば、単に価格を下げることに注力するのではなく、店舗のデザインや接客、商品の陳列、パッケージなど、さまざまな部分で工夫ができると思います。
また、社員のウェルビーイングにも注目することも重要です。流通業はブラックになりがちと言われることもありますが、社員のウェルビーイングを重視すれば、優秀な人材が集まりやすくなり、離職率も下がると思います。流通業界でウェルビーイングに取り組む企業が少ない分、それを実施することで大きなアドバンテージを得られるかもしれません。
――そうですね。これは大きなチャンスだと思います。ぜひ、社員のウェルビーイングにも力を入れていただきたいですね。
まとめ
今回の講演と前野教授へのインタビューを通じて、重要だと感じた点は以下の3つです。
今回特に印象的だったのは、ウェルビーイングを学ぶ学生たちの姿勢から、教授陣をはじめ大人たちも多くを学んでいるということです。このお話を伺い、ウェルビーイングという概念や学問が、社会を動かす・人材を育てる大きな力を持っていることの表れではないかと改めて実感させられました。今後、多くの企業や自治体でその広がりが期待されます。
💡流通経済研究所では、引き続きウェルビーイングやウェルビーイング経営に関する情報を発信していきたいと考えています。
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