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内海町の千佐登さんの「おいなりさん」grandma's life recipes

夫婦漫才のような、アイドルユニットのような「#かずじとちさと」というハッシュタグをつけてインスタグラムにアップされる、じいちゃんとばあちゃんの日常がある。互いに85歳を超えた今でも手を繋いで現れるほど仲良しなかずじさんとちさとさんは、60年近くもの間、一度も大きな喧嘩をしたことがないという。インスタグラムの投稿者であり、ふたりの一番のファンである、孫夫婦の中尾守岐(もりみち)さんと圭さんに誘われ、ばあちゃんとじいちゃんが住む、福山市内海町の横島へとお邪魔した。

内海町は、瀬戸内海のほぼ中央に位置する横島と田島という二つの島からなる。人口は約2,500人。本土に渡る手段は船のみに限られていた内海町に、本土から内海大橋が架かったのは平成元年(1989年)のこと。福山中心地からも遊びに来てもらえるようになった。主な産業は広島県最大の生産量を誇る海苔の養殖を始めとする漁業。海の仕事が地域を支えてきたのだ。戦後は、今よりもっと賑やかで人口はなんと今の約3倍。所狭しと(住む場所が足りず、納屋ですら民家として使われていたほど)人で溢れていたとじいちゃんたちは話す。

きちんと整頓されたお家。中へとお邪魔すると、こじんまりとしたダイニングキッチンに、鈴木一二さんと千佐登さんが仲良く並んで座っていた。

小柄だけどとってもパワフルな千佐登さんが今回作ってくれたのは、おいなりさん。具材には小エビをたっぷり入れると言う。足の早い小エビを生で買ってきてふんだんに使えるだなんて、さすが漁師町。

おいなりさんは、家族で行くお花見のごちそうに、そして、お彼岸と、真言宗の開祖である空海(弘法大師)の命日が重なる3月21日のお参りに登場するのだそう。そして、地域のお地蔵さんをお参りしたあと、おいなりさんを浜でみんなで頂くのも恒例の楽しみなのだとか。

守岐さんと圭さんの夫妻は、数年前、結婚を機に守岐さんが育ったこの島にUIターンした。今、ふたりは鈴木家から徒歩数十秒のまさにスープの冷めない距離でおすそ分けをし合いながら暮らしている。ふたりは内海町で「港の編集室」として活動し、デザインや編集の視点で地域の人がやりたいことを後押ししたり、漁師さんをはじめとする内海町の魅力的な人たちやその活動を発信しているのだそう。

守岐さんが小エビを持って来てくれた。「漁師さんに次の日に使うって言ったら、『下茹でした方がいい』って言われたから」と、下茹で済みとなった小エビを見て、「エビは生から煮にゃあいけるかい。下茹でしたら味が抜けようが」と千佐登さん。そして、自身が用意していた生のエビを取り出して、みりんと塩を入れて煮た。その間、何度も「あっちはお湯で茹でて味が抜けとる」と繰り返すのを見て、これはきっと、今日ずっと言われ続けるぞとみんなが笑う。そして、「ほれ剥きなさい」と言われた中尾夫妻が指示通りにせっせとエビを剥いているところに千佐登さんが遅れて参戦すれば、倍速で剥き終えてしまった。

テキパキした動きに感動していると、なんと、かつて千佐登さんは1,000人以上の社員を抱える福山の地元企業常石造船の社員食堂で22年間働いていたというから、どうりでプロの仕事なわけだ。かと思えば、「高野豆腐は、今までは水に浸けてふやかしてから炊いていたんじゃけど、今は最初から煮汁の味を整えておいて、高野豆腐を直接入れて炊くようにしたんじゃ」と、どうやら、最近テレビで見て覚えたらしき技に胸を張るお茶目さんだ。

高野豆腐の煮汁の味付けは、水、酒、みりん、砂糖、そして醤油。醤油は、ご飯への色づきを最小限にするために少しだけに留めるのだそう。みじん切りにした人参と小エビも入れ、高野豆腐が柔らかくなったら細かく切って鍋に戻し、水分がなくなるまで煮る。

ご飯3合にすし酢を入れ、切るようにして混ぜたら具を入れてさらに混ぜる。そして、買い出し担当の守岐さんが買ってきたお揚げに詰め始める。ちなみに今回は俵型だが、西日本では三角に包むのが主流だとか。煮汁を付けた手で出来上がったご飯を丸め、揚げが破れないように気をつけながらむぎゅーっと押し込む。守岐さんが用意したお揚げがいつものものよりも少し大きかったのか、「大きな稲荷じゃのーこりゃ」と言いながら、これでもかと米を押し込む。

出来たおいなりさんを改めて眺めて、千佐登さんがひと言、「……でかっ」。

「ばあさんのいなりいつもでかいが」と、守岐さんがぼそりと言う。2個も食べたらお腹いっぱいになるくらいの大きさにするのが、千佐登流おいなりさんなのだと言う。それでも、「昔はもっと大きかった」と千佐登さんが豪語する。

そして、近所で採れた新鮮で美しい色合いのわかめを使って、さっとお味噌汁を作り、じいちゃんを呼んで来て、昼食が始まった。

孫夫婦が帰って来てからは食卓がより賑やかになり、じいちゃんばあちゃんもとっても嬉しそう。肝心のおいなりさんの味は、甘くて酸っぱくてコクがある、ご馳走の味だ。みんなでよく浜辺で食べたという話を聞いて、想像してしまう。真っ青な海を見ながら食べるおいなりさん……。うーん、最高だろう。

おいなりさんを頬張りながら、どんどん出てくる千佐登節に耳を傾ける。始まったのは、20代前半、失業保険をもらいに出かけた尾道で、知り合いに紹介されて、編み物教室を訪ねたという話だ。昔から手芸に興味があったところにお店の人の押しの強さも手伝って、箱に入れて持ち運べるタイプの編み機を、千佐登さんはその場でうっかり買ってしまう。安い買い物ではなく、家に持ち帰ると「生意気だ」とお父さんに怒られたそう。それでも、さつまいもと米を混ぜただけの弁当を持って尾道の教室へ通い続け、「おどれくそ(なにくそ)」という気で夜なべして、3ヶ月で編み物をマスターした。すっかり人に教えられるほどの腕前になると、服のリメイクにも精を出した。すると、教えて欲しいと言う人がたくさん現れた。しかし、今度は、当時の時代背景もあって、父に「女が手に職をつけると、働かない男と結婚することになるから働くな」と止められた。そう言われて結婚するまで働けなかった千佐登さんは、「結婚した次の日からさっそく編み物教えたわ!」とどこまでも「おどれくそ精神」に溢れていた。

一二さんとの馴れ初めを聞いてみると、ほとんど初めましての状態で結婚したのだという。「私は断ったんじゃ。『いきゃあへん』って。それでも親が日取りから何から全部決めとったんじゃ」と言う。一二さんを初めて見た時は、「目がくりっと大きくてな。恐ろしくて今にも逃げて帰ろうかと思ったわ」。では、と、一二さんに千佐登さん最初の印象を聞いてみると、ものすごく照れた初々しい反応をするものだから、問いかけた私まで照れてしまった。

船具屋と油屋で働いていた一二さんに、千佐登さんは渡船の船長になることを勧めてみた。すると、昔から頭が良かった一二さんは船舶免許の試験に一発合格し、晴れて渡船の船長になった。一方、千佐登さんは「編み物は目が悪くなるから他の仕事をしたら」と、友人の紹介で対岸にある常石造船の社員食堂に勤めに出ることに。一二さんが操縦する船に千佐登さんも乗って出勤した。船長は隔日勤務のため、自分が仕事をしている間も子育てを任せられたと言う。結婚以来、周囲からは、「ちーちゃん、ええ人と結婚したなあ。優しいし頭もええし」といつも言われるそう。一二さんが船長を退職した今になっても、「船が出るのに一歩遅れて港についた姿を見つけると、戻って来て乗せてくれた」「溺れている人を見つけるとお客さんに断って助けていたわ」と、人々が現役時代の善行の数々を懐かしそうに話してくれるのだそう。

千佐登さんは「子どもも孫も、みんなおじいさん派なんじゃ」と笑う。なんだか、私に会いにやって来たはずの友人たちが、私の優しい夫が作る料理ともてなしに癒されて夫のファンになり、また会いにくると私ではなく夫に言い残して帰っていく我が家とすごく状況が似ている。私はこのまま、千佐登さんのように夫の人徳を一緒に誇ってしまう妻を目指そうと心に決めた。

仕事をすることが楽しかったという千佐登さんだが、日本のばあちゃんの世代で、共働きをして夫が子育てにも参加してくれる平等でリベラルな家庭に出会うことは珍しいように思う。一二さんに、「妻には仕事しないで家にいて欲しいと思ったことない?」と投げかけてみると、千佐登さんから間髪入れずに「そんなこと思うかいな」との声が飛んで来た。そこに、一二さんがおっとり優しく付け加える。「うーん、わしも好きなことやらしてもろうとったからな」。

パワフルで世話好きで、いつも明るい千佐登さんと、果てしなく優しい一二さん。人生を愉快に生きている人たちは、面白い事柄がたまたま多く起こる幸運な人ではなく、何でもない出来事を愉快に見ることができる人なのだと思う。

おいなりさんをさらに2つほど抱え、千佐登さんお気に入りの散歩コースへ。穏やかな青い海と空にうっとりしてしまうような景色だ。そこに、全身パープルで決めて、おいなりさんを前に体操する千佐登さん。それを、「内海のファッションモンスター」と呼ぶ孫。この世界で一番面白いのは、日常なのだということを認識させてくれるような、彼らとの時間だった。

【ばあちゃん訪問】
中村 優(なかむら・ゆう)
タイ・バンコク在住の台所研究家。『40creations』代表。大学時代にさまざまな国をまわる中で「食は国境や世代を超えて人々を笑顔にする」ことを実感。2012年、世界各国の地域からの「とびきりおいしい」をおすそ分けするサービス『YOU BOX』スタートと同時に、世界中のばあちゃんのレシピ収集を開始。3年間で15カ国の100人以上のばあちゃんたちと台所で料理しながら会話し、彼女たちの幸せ哲学を書き上げた『ばあちゃんの幸せレシピ』(木楽舎)著者。2018年、タイにてTASTE HUNTERSを現地パートナーとともに立ち上げる。
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