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no+e

no+eは匿名性があるけれど
ネットは匿名性があるけれど
一度皮が剝がれれば、
特定される危険性だってある。

一度外に出かければ

人の眼はそこら中にある。
人の耳はそこら中にある。

拡散されたら、
それは消せないデジタルタトゥーになる。
個人情報が、
全く知らない相手にゆだねられる。
恐ろしすぎる。

誰にも理解を得られない苦しみをもち
生きることは、
このうえなく耐えがたい苦しみだ。

その苦しみは、何も病気などせずに過ごす
過半数の人達には
一ミリも理解が得られない苦しみだ。

そのなかで、生きている。

それがより孤独だと感じさせ、
苦しみを倍増させる。

発作のように症状がでるたびに
声にだせないなか、
思いっきり心の中で苦しいと叫んでいる。

そうして生きている。

それほどまでに苦しく
息もすえないほどに苦しくて
外にもでかけらないほど息がすえなくて
そうなると

まわりにどれだけの数に
こころのない人間しか
いないのか知りたくなっていく。

あまりにも怖く、息がすえない。
そのなかで。ただ、外にでる。
その行動だけのために。
つづけたno+e。

no+eには苦しみながら生きている人が
こんなにもいて、それでも頑張っている姿に
勇気をもらえて
希望を感じられ
毎日が嬉しくて仕方なかった。


匿名性という保護がなくなれば
ただでさえ、日常にある苦しみのなか
こころのない人たちと向き合う
日々が始まる。

わたしにその勇気があるのだろうか。

いや。まったく持てない。

no+eのなかには
障がいへの理解を訴え続ける人がいて
改めてそのリスクなか
日々の生活のなかで
危険を顧みずに
訴え続けている人たちがいる。

匿名だからといえ、
すごいことをしていると思う。

わたしには、その勇気はもてない。

全く知らない人から
向けられる冷たいコトバで自覚した。

わたしはno+eを続けられるほど
強い人ではないと。

追記
このタイトルの挿絵は
わたしがイラストしました。
苦しかったときにつくったものです。


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