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デレラのマンガ本棚#1「『魔女』ー 描線は覚えている」

こんにちは、デレラです。

デレラのマンガ本棚#1をお送りします。

この連載では、「マンガを成立させている世界観」をテーマに、マンガついての感想を書いております。

マンガには、描線やセリフなどの言葉が、たくさんのコマに描かれているでしょう?

つまり、マンガとは「描線と言葉が書き込まれたコマの集積体」なのです。

読者は、そのコマを順番に読むことで、物語を読み取ります。

でもなぜ、バラバラのコマに描かれた線と言葉から、わたしたちは「物語」を読み取ることができるのだろう?

そこには、「物語」を成立させるための「世界観」があるから、なのではないだろうか?

それがこの連載のテーマです。

さて、今回取り上げるマンガは、こちら。

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五十嵐大介 『魔女』第2集 2005年 小学館

なかでも「ペトラ・ゲニタリクス」という短編を取り上げます。

まずは、簡単にあらすじから。


1.生殖の石

ある日突然に、地球に向かって、「生殖の石(ペトラ・ゲニタリクス)」が降ってきます。

その石は、宇宙ステーションで作業中の宇宙飛行士の顔面に衝突し、遺体は地球に運ばれました。

この石は、生殖を大促進させる力を持っていて、あらゆる物質を生命に変化させてしまいます。

その力は凄まじく、いわゆる、カンブリアン・エクスプロージョンが再現されるほどだ、と言われています。

カンブリアン・エクスプロージョンとは、5億年前に発生したと言われる「カンブリア紀の生命大爆発」で、突然に、「複雑な構造をした生物」が爆増した現象のことです。

これが、現代の地球で起きると、どうなってしまうか。

石を遺体の頭蓋から取り出した途端、都市は大混乱。

標識やら建物やら、都市のあらゆる物質が、「生命」に変化してしまい、都市は崩壊の危機を迎えます。

その危機を止めるために、いにしえの知識を持つ、魔女ミラが立ち向かう。

そして、ミラの義娘であるアリシアがそれを見届け、アリシアがミラの知識を継ぐ物語です。

とっても壮大なSFなのです!

さて、この物語の核心は、あらゆる物質が生命に変化してしまうこと、にあります。

ではなぜ、あらゆる物質が、生命に変化するのか。

この物語は、次のようなモノローグから始まります。

星に生命が生まれ。
星が死に塵となり。
どこかで再び寄り集まって、
混じり合い。
新しい星に生まれ変わり。
また、
死んでいく。
その、
繰り返しのなかで、
全ての物質には。
生命であった頃の記憶が、
刻まれる。
(『魔女』第2集、p.5より)

全ての物質は、もともとは生命であった。

生命は、物質が再構成された有機体である。

どういうことか?

つまり、わたしたちは物質を食べたり飲んだりして新陳代謝し、死んだら土に帰され、または、燃やされて煙になる、そして、生命とは、その繰り返しである、ということ。

地球上のあらゆる物質は、かつては生命であったが、今はたまたま、特定の物体の形状をしている。

今は化石(物質)であっても、昔はアンモナイト(生命)であったということ。

物質はかつて、生命だった、だから、物質は生命であった頃の記憶を持っている。

そして、「生殖の石」は、物質の持つ生命の記憶を呼び覚ましてしまう。

こうして、この物語では、物質が生命に変化してしまうのです。

最後にまとめておきましょう。

この物語の最大のポイントは「すべての物質は、もともとは生命であった」ということです。


2.描線は覚えている

さて、物語とは別の視点からこのマンガを見てみましょう。

マンガとは、「描線と言葉が書き込まれたコマ」の集積体です。

背景やキャラクターは、もとはと言えば「描線」です。

では、このマンガにおいて、「描線」はどのように引かれているでしょうか。

第一に、このマンガでは、「背景の線」と「キャラクターの線」との見分けがつきません。

キャラクターと背景がマッチしていて、一つのコマが、まるで一枚の風景画であるかのように見えます。

例えば次のようなコマです。

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誤解を恐れず言えば、通常は、キャラクターを強調するために、人物と背景の線は太さを変えます。

キャラクターは太く、背景は細くすることで、キャラクターを際立たせて、物語の主人公としての存在感を作り出します。

しかし、このマンガは、そうしない。

キャラクターと、背景の描線の太さが一致しているのです。


さて、第二に、物語の核心である「生命の大爆発」のシーンはどのように描かれているでしょうか。

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このように、「ハサミ(左)」や「交通標識(右)」の絵が、生命爆発により、まるで生き物であるかのように描かれます。

「標識」を成り立たせる描線を突き破って、「標識」に含まれている「生命の記憶」が表出しているようです。


一旦、ここで、上記を、まとめておきましょう。

わたしたちは、このマンガにおいて「描線」が、どのように引かれているか、について考えていました。


第一に、キャラクターと、背景の線の太さが一致していて見分けがつかない。

第二に、エクスプロージョンによって、標識は、標識を構成する描線を突き破られる。


さて、この物語の核心は、すべて「物質」は「生命の記憶」がある、というものでした。

わたしは、ここに「ある一つの符号」を感じます。

「生命は、物質から成り立っている」ということと、「マンガの絵は、描線から成り立っている」ということです。

つまり、「生命=絵」は、「物質=描線」から成り立っている、ということです。

物語のなかでは、「生殖の石」は、物質に宿る生命の記憶を呼び覚ます。

マンガの絵のなかでは、「生殖の石」は、描線に宿る「絵=生命」の記憶を呼び覚ます。

物語で、ハサミの生命が爆発するとき、同時に、ハサミを描く線が爆発しているのです。

描線は、いつか、何かのキャラクターの、あるいは生命体の描線であったことを覚えている。

このように、描かれる「物語」と「描き方」が見事に一致してるとわたしは思います。

そして、それを成り立たせる世界観は、「すべての物質は、もともとは生命であった」ということです。

ハサミであろうが、標識だろうが、動物だろうが、山だろうが、森だろうが、人間だろうが、もともとは「物質=描線」であり、たまたま今ある構成になっている。

生命は、死ねば物質に戻り、また別の生命になる。

絵は、もとは描線であり、分解し再構成すれば、また別の絵になる。

「絵=キャラクター」は、この物語の世界のなかでは、「特別な存在」ではない。

一つのコマの中で、たまたま「絵=キャラ」として存在しているだけで、別のコマでは、別の絵になりうる。

木の絵も、ヤギの絵も、小屋の絵も、主人公の絵も、同じく「物質=描線」でできている。

だからこそ、このマンガでは、「キャラクター」と「背景」の描線の太さが一致しているのだと思います。


3.さいごに

さて、いかがだったでしょうか。

わたしには、五十嵐さんは、物語と一致した仕方で、描線を引いているように思えます。

さらに言えば、それは、「全ての物質は、もともとは生命であった」という世界観に裏打ちされたものであると。

この「ペトラ・ゲニタリクス」という作品、あるいは世界観は、この連載のテーマと非常にマッチしていると思い、第一回目の題材としました。

この世界観は、他の五十嵐さんの作品、『ウムヴェルト』や『海獣の子供』、『ディザインズ』などなどにも共通していると思います。

次回は、西村ツチカさんの『北極百貨店のコンシェルジュさん』を取り上げたいと思います。

では、また次回。


※なお、この記事で取り上げた図像は、全て『魔女』第2集(2005、小学館)より引用しています。

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