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デレラの読書録:齋藤純一・田中将人『ジョン・ロールズ』

『ジョン・ロールズ』
齋藤純一・田中将人著,2022,中公新書

本書は、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズ(1921-2002)の伝記であり、彼の著作と基本概念についての解説書です。

青年期の従軍体験や、被曝した広島に訪れた体験、そして大学時代の論文など、まだリベラリズムの大巨頭となる前のロールズの思想を紐解き、晩年に至るまでの道筋を描く本書は、ロールズの思想の奥深さをたっぷりと教えてくれます。

また、ロールズの主著の解説を読むと、ベトナム戦争や公民権運動など、彼が生きた時代の社会的な問題に、ロールズが真摯に向き合っていたことが分かります。

さて、わたしは今回の読書録においては、ロールズの理論に細かくは立ち入りません。

わたしがここで書くのは「リベラリズムに向けられた批判の眼差し」についてです。

ロールズのリベラリズムは、とても有名であるため様々な批判に晒されました。

わたし自身も、リベラリズムに対して、本当にそんなこと可能なの?という疑問を抱くときがあります。

ですから、ここでは、この批判の視線の正体について考えてみたいと思います。

また、出来るだけ専門用語ではなく、生活的な言葉で書いてみました。

わたしの理解が足らないところも多くありますが、どうぞよろしくお願いします。


1.ルールのルールを考えること

ジョン・ロールズは「リベラリズム」という政治思想の代表的な政治哲学者です。

さて、そもそも政治哲学とは何でしょうか。

わたしなりにざっくり言えば、政治哲学とは「ルールのルール」について考える営みです。

(以下、何度もざっくりとした説明をしますが、悪しからず)

では、ルールのルールとは何か。

政治においては、政党の方針や、法律・条例や、行政の仕組みなどが議論されるでしょう。

この方針・法律・条例・仕組のようなものが、ルールです。

方針や法律というルールに従って政治は行われます。

そして、政治哲学は、そのルールを決めるためのルールはどうあるべきか、ということについて議論する営みです。

ルールを決めるためのルール、いわば、ルールのルールです。

つまり、ロールズは、リベラリズムというルールのルールに従って、ルール(方針や法律など)を決めるべきだ、と考えていたのです。

(ややこしいですが、以下、ルールのルール、という表現を多々使いますので、ご承知おきください。)

では、リベラリズムとは何か。

リベラリズムを簡単に言えば、自由で平等な社会を志向する立場です。

言い換えれば、ルール(方針や法律)を決めるときは、自由で平等な社会を目指すようなルールにすべき、ということです。

かなり抽象的なので、分かりやすくするために、対立的な政治思想と比較してみましょう。

リベラリズムと対立的な政治思想に功利主義という立場があります。

功利主義と言えば、最大多数の最大幸福という言葉が有名ですが、ようは、「快楽」の量を増やそうとするのが功利主義です。

ざっくり言えば、功利主義とは、みんな楽しいのが良いよね〜という立場。

(本当は、功利主義には、古典功利主義とか平均功利主義とか帰結主義とか集計主義とかいろいろバリエーションがあるのですが、ここではざっくりとさせてください)

もしも、この功利主義をルールのルールに設定するならば、できるだけ「快楽」が増えるような方針や法律が良いルールとされるでしょう。

さて、ロールズは功利主義を批判した政治哲学者です。(p.61)

では、どのように批判したのか。

功利主義は、全体の快楽の量を増やすように志向するので、法律を決めるときに、全体として快楽が増えるような法律であるならば、それは正しい法律だ、と判断するでしょう。

しかしながら、これには欠点があります。

ようは、功利主義は、全体の利益のために、一部の人に我慢させる可能性がある、ということ。

しかし、全体の利益のために、一部の人に我慢を強いるようなことをしてはならない。

つまり、ロールズのリベラリズムは、そういう我慢を強いられる人が少ない状態が、自由で平等な社会だと考えるのです。


2.リベラリズムへの批判の眼差し

さて、わたしが本書を読んで特に考えさせられたのは、リベラリズムに対する「批判の眼差し」です。

どういうことか。

ロールズは『正義論』という著作が有名です。

ロールズの思想は有名なこともあり、彼の著作は沢山の政治思想家・哲学者・倫理学者からの批判に晒されました。(ロールズの著作には、いくつかの批判に応答した『政治的リベラリズム』という著作があります。)

本書でも、いくつかの批判を取り上げ解説しています。(ハートの批判p.105、サンデルの批判p.112、ハーバーマスの批判p.138など)

では、どのような批判がなされたのか、あるいは批判の中心には何があるのか。

つまり、批判者のリベラリズムへの眼差しはどのようなものであったのかということ。

ここからは、本書で紹介されたロールズの実際の思想を簡単に要約して、その思想への批判について見ていきます。


3.自己中心的な思考とは別の仕方で

さて、自由で平等な社会はどのようにすれば実現するでしょうか。

ロールズは、自由で平等な社会を実現するための原理(ルールのルール)と、その原理を決めるための方法論を考えました(本書第二章p.53、および本書第三章p.101)。

ロールズの考えたルールのルールとは「正義の二原理」(p.67)であり、後者の方法論は「政治的構想」(p.122)と呼ばれます。

この辺の細かい正確な定義は本書を見ていただくとして、ポイントは二つです。

一つは、できるだけ不平等が小さくなるようなルールのルールが採用されること。

そしてもう一つは、そのルールのルールは、いろんな考え方の人たちが自己主張しない形で決めることです。

ざっくり言えば、ようは、ルールのルールを考えるときは、いろんな考え方の人がいるけれども、「わたしが得する(=自己主張する)」ような考え方を排除してから考えようぜ、ということです。

ズバリ言えば、「自己中心的な考え方」を排除しようぜ、ということ。(いわゆる「無知のヴェール」をわたしなりに解釈しました。)

では、実際に自己中心的な考え方を排除したなら、どんなルールのルールが選ばれるでしょうか。

ロールズは、自己中心的な考え方を排除すれば、どんな人でも、できるだけ不平等が小さくなるようなルールのルールを選ぶだろう、と考えたのです。

どう思いますか?

そんな風にうまくいきますかね?

でも、先ほど述べたように、功利主義のような「できるだけ快楽を増やす」というルールのルールでは、多くの人の快楽のために一部の人が損をすることがあります。

この功利主義に対抗する考え方として、ロールズは自己中心的な考え方から脱するべきだ、と論じたのです。


4.ロールズへの批判

さて、繰り返しますが、わたしは本書を読んでリベラリズムに対する「批判の眼差し」について考えたのでした。

前節の通り、ロールズへの批判の眼差しは、彼が「自己中心的な考え方を排除しようとしたこと」に向けられているように、わたしには感じられます。

たとえば、ハートの批判は、ロールズが公共的精神にあふれた市民を前提にしているというものでした。(p.108)

公共的精神にあふれた、というのは、ようは自己中心的ではない精神の持ち主ということでしょう。

また、サンデルの批判は、人間には特定のコミュニティに愛着をもつ「位置付けられた自己」がいるはずだ、というものでした。(p.112)

わたしは、サンデルの言う「位置付けられた自己」というのは、ようは自己中心的な考え方における「自己の中心」であると思います。

サンデルにとっての「自己の中心」は、自分が属する共同体です。

したがって、ざっくり言えば、サンデルは、誰しも共同体(=自己)を中心に考えるのだから、自己中心的な考え方は捨てられないはずだと批判しているのです。

なお、本書では、ロールズ自身は、コミュニティに愛着を持っていること自体を否定しているわけではないので、このサンデルの批判はミスリードである、とされています。(p.113)

最後に、ハーバーマスの批判です。

ハーバーマスの批判は、少し応用的です。

ハーバーマスは、ロールズが「自己中心的な考え方」を排除すれば正統性が保たれると考えたことに対して、実際の合意形成のなかで、完全には正義に適合しないルールが温存されるのではないか、と批判しました。(p.139)

ようは、自己中心的な考え方は、完全に排除しきれないので、いくら「自己中心的な考え方を排除して考えよう」としても、いくらかは残っちゃうよね、という批判です。

たとえば、世俗的に言い換えれば、「今日の飲み会は無礼講だー!」と会社の上司が言ったとしても、実際には無礼講じゃない、というようなことです。

さて、このように、ロールズへの批判はどれも「自己中心的な考え方を排除する」という点を批判しているのではないか、とわたしは感じました。


5.批判の眼差しの正体

わたし自身も「自己中心的な考え方」を排除することなんてできないじゃないか、そもそも、自由と平等なんて尊重されるよりも蔑ろにされた経験の方が実感として多くあるし、現実に不平等ばっかりじゃないか、と分かったような口が利きたくなります。

ようは「ロールズさん、理想主義すぎやしませんか?」ということです。

さて、この批判の正体は何でしょうか、あるいは、なぜこのように批判したくなるのでしょうか。

わたしは、誰かが理想が掲げたとき、人々はそれに対して「そんなのただの理想じゃん」と言いたくなってしまうのだと思います。

そこには「そんな理想は現実にはないじゃん!」という疑いがあります。

つまり、理想への猜疑心が、ロールズへの批判の眼差しの正体なのではないか、ということ。

本書ではこれを「非理想理論は理想理論を必要とする」という風に表現しているように思います。(p.184)

理想理論に対して「そんなのただの理想じゃん」と言うのは簡単です。

逆に、「理想的な状況をつくるにはどうしたら良いか」と考えるのはとても難しい。

つまりロールズは、人々が批判したくなるような強靭な理想理論を提出したとも言えるのではないでしょうか。


6.反照的均衡

ロールズは、自身の理論について「反照的均衡」という考え方が必要だと考えました。(p.97)

これは、簡単い言えば、理想と現実のギャップを穴埋めしよう、という考え方です。

いろんな角度から理論について考え直して、ギャップを穴埋めして、理論を強靭にしていくということ。

したがって、ある意味では、ロールズ自身も自分の理論が理想論であることを自覚していたのだと思います。

ロールズは、さまざまな批判を受け入れながら、それに応答し、理論を残したのでした。

「そんなのただの理想じゃん」と投げ捨てることなく、それが実現するにはどうしたら良いかと粘り強く考え続けたのです。

その人生と理論を概観できる本書。

ロールズの思想に、賛成する・反対する、あるいは、擁護する・批判する、そういうことを越えて、ロールズという政治哲学者の思考の深さに触れることができる素晴らしい本でした。

おわり


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