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幸せに生きること、普通であること、どちらを願う?

「お宅のお子さんは、自閉症じゃないですか?」

私が幼稚園生のとき、母が幼稚園の先生から言われた言葉です。発達検査や療育を受けることを、暗に提案していたのかもしれません。

その言葉に対して、母は頑なに大反発。

「あの先生、本当にひどいこと言ったのよ!あなたは自閉症じゃないかって!そんなわけないわよね!」

私が大人になってから、母は憎らし気にそのエピソードを口にしました。語ったというよりも、発作的によみがえった怒りをぶつけてきたと言った方が、正しいかもしれません。

そのような母のもと、私は当然のごとく「普通」に育てられました。児童精神科や特別支援学級に通うこともなかったです。

私に発達障害(自閉スペクトラム症/ASD)があることに気づいたのは、実家を出てから。すでに自立していましたが、仕事上の壁にぶつかって、とことん行き詰まった末でした。

発達障害は生まれつきのもので、乳幼児期からその特性が見え隠れします。幼稚園生のときに自閉症を疑われていたことが、診断の決め手のひとつとなりました。

もし母が幼い私の障害を受け入れていたら、私の人生はどうなっていたのだろう……ふとした拍子に、想像をめぐらせることがあります。

障害を家族から受容されない子どもたち

今朝、母のその言葉を不意に思い出したのは、立石美津子さんの記事を見つけたのがきっかけです。立石さんは自閉症の息子さんを育てながら、子育てに関する著作・講演を行っています。

立石さんも息子さんの自閉症が見つかったとき、なかなか受け入れられなかったそうです。ところが、息子さんを療育に通わせていた子ども専門の精神科で、ハッと目が覚めました。

私は診察時、医師に「まだ小さな子がなぜ、入院しているんですか?」と尋ねました。すると医師は、「この病院には、家族が障害を受容していないために、適切な育成環境を与えられないことなどが原因で、2次障害を起こして入院している子が多くいます。ベッドはほぼ満床です。お母さまも気を付けて育ててください」と言いました。

この言葉でハッとしました。目の前にいる、まだ幼い息子の将来を思い浮かべ、「私が受容しないとダメなんだ」と目が覚めたのです。

「お子さんは自閉症ではないですよ」と言ってほしかった “療育の鬼”と化した母が現実を受け入れるまでの「過程」(立石美津子)

家族が障害を受け入れないために、さらに障害を重ねている子どもが数多くいる……その事実が胸に突き刺さりました。と同時に、私も同じようになっていたかもしれないと、身震いするように思ったのです。

障害受容は大変かもしれないけど…

障害を受け入れるか、受け入れないか……それはとてもデリケートな問題です。

なかなか受容ができないのも、気持ちとしてよく分かります。おそらく母も大変だったのでしょう。

ただ、「障害」というよりも「ありのまま」を受け入れた方が、楽になるのではないかと思わずにはいられません。

わが子の障害を受け入れられない保護者の皆さん、自分自身に問いかけてみてください。「子どもが普通であること」が願いですか。「子どもが幸せに生きていくこと」が願いですか。そのためにはどうすればよいですか。
 
その自問が、きっと答えに導いてくれると思います。

「お子さんは自閉症ではないですよ」と言ってほしかった “療育の鬼”と化した母が現実を受け入れるまでの「過程」(立石美津子)

立石さんは記事の最後で、このように問いかけています。この問いかけは、障害を持つ子の保護者だけでなく、あらゆる人に当てはまるのではないかと感じています。

私も同じように、あなたに向かって問いかけたいです。

「あなたは普通であることが願いですか?」

「幸せに生きていくことが願いですか?」



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