見出し画像

発達障害は見えない障害…当事者がヘルプマークに思うこと

最近、不思議と、赤地に白十字が描かれたヘルプマークをよく目にします。

ヘルプマークとは、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の人にそれを知らせるマーク。東京都がはじめたこの取組みは、今や全国的に広がりつつあります。

私は週5日、電車通勤をしているのですけど、1〜2日に1回はヘルプマークを見かけていますね。内閣府の調査によると、日本における障害者の割合は約7.4%(平成28年現在)。ヘルプマークをつけている人と毎日のように道ですれ違っても、何らおかしくはありません。

私も発達障害があり、障害者手帳も保有していますが、ヘルプマークは別に付けなくてもいいやと思っていました。外出中に辛くなることはあっても、SOSを発したくなるほど困ることはないからです。ところが考えが一転。ヘルプマークをもらいに走る出来事がありました。そのときのエピソードについて、お話しします。


発達障害のある私がヘルプマークをもらうまで


一週間前のこと。私が朝の通勤電車で、優先席に座っていたら、マタニティーマークを鞄にぶら下げている女性が目の前に立ちはだかりました。

「あー、妊婦さんに席をゆずったほうがいいかな……」

と、迷ったものの、勇気が出ず。私は発達障害の特性から、感覚過敏が強いです。満員電車の音にも我慢できないし、立ちっぱなしのまま人々に密着されるのもたまりません。何より私自身、ヘルプマークをつけていても、おかしくない人間です。

「ずるいかな……」と、後ろめたさを感じつつも、マタニティーマークには気づかないフリをすることに。そしたら何と、目の前の女性がしゃがみこんでしまったんですね。妊娠中で、よほど気分が悪かったのでしょう。私は慌てて席をゆずりました。そしたら急に、自分が居たたまれなくなりました。

「何で障害のある私が、席を立たなきゃいけないんだろう……」

私は無性にモヤモヤしました。私よりも健康そうで、席をゆずれる人は沢山いるだろうに。黒山の人だかりに押されて、心のモヤモヤは止まりません。

そのことをきっかけに、ヘルプマークをもらうことにしました。とはいっても、毎日のように身に付けてはいません。鞄にそっと忍ばせています。付けたら付けたで、周囲の反応が妙に気がかりだからです。どうしても困ったときだけ、さり気なく付ける予定です。

障害は可視化も比較もできない

ヘルプマークをいただいたことで、改めて痛感した2つのことがあります。

  • 障害は可視化できない

  • 障害は比較できない

たとえば、「満員電車しんどさ指数」(!?)が、私はぶっちぎりの1000ポイントで、他の人たちは80ポイントくらいだとしても、それは誰の目にも見えません。自分でも、どれくらい耐え難いか分からないし、周囲の人たちも、どれくらい困っているか気づけないわけです。

そもそも、誰ひとり同じ人はいないから、辛さを比べることはできません。障害がある人、妊娠している人、健康な人、それぞれ苦痛は違います。なかには、ヘルプマークを悪用して障害者のフリをしている人もいるだろうから、話はもっとややこしいです。

発達障害の場合は特に、可視化も比較も難しい障害だと思います。見た目はいたって普通の人が多いし、困りごとも当事者それぞれだからです。まさか発達障害のある人のなかには、電車が苦手な人もいるなんて、想像できる人も少ないでしょう。

思いやりが広がればいい

「障害」というと、大げさに感じるでしょうか。人の辛さは目に見えないし、比べることもできないですよね。だから、思いやりを持つことが大事だな……と、今回の件を通して実感しました。

思いやりとは、相手の見えない心に対して、自分の心を飛ばすこと。想像力を働かせるとも言えそうです。みんなが少しずつ心を広げていけば、もっと生きやすい社会になるでしょう。

私自身、ヘルプマークなどを付けている人を見かけたら、これまで以上に気を配ろうと思いました。自分のできる範囲で、手助けもしたいです。逆に配慮されることがあれば、感謝することも忘れたくないですね。

以上、つたない文を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

これを読むあなたにとって、ヘルプマークについて思いやるきっかけになれば、うれしいです。


【お知らせ】

※発達障害とコミュニケーションに関する本を出版しました。

※本のプレゼント・キャンペーンを実施中です!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?