クランボルツ

主に仕事の愚痴を投稿します。

クランボルツ

主に仕事の愚痴を投稿します。

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

生きていたってしょうがないと言っていた人がいよいよ死にそうになった時に死にたくないと言うのはわがままなのか?

10年くらい前に特養で介護の仕事をしていた頃の話です。 下半身がまったく動かない入がいました。 歩けないので車椅子の生活でしたが、 自分で食事を食べたり、手紙を書いたりすることができる人でした。 いわゆる寝たきりの状態ではなくて、昼間は起きていました。 多少の認知機能の低下はありましたが、 日常会話は普通にできる人でした。 特養に入るまでいろいろなことがあったようで、 「俺なんか生きていたってしょうがない」 「いつ死んだって良い」 しょっちゅうそういうことを言う人でした。

    • あの時どうすれば良かったんだろう

      いまだに時々思い出す、ショッキングな出来事についてのnoteです。もう10年以上前の話なんですけど、思い出すたびにあのときどうすれば良かったんだろうと考えてしまいます。 大量の出血、などが苦手な方は読まない方が良いと思います。 当時、私は特養で介護士として働いていました。確か、働き始めて2年経ったくらいの頃で、一人前とは言えないけど、仕事を覚えていきがりはじめていた頃だったと思います。 事件について話す前に、施設の概要を少し説明します。当時働いていた特養は定員120名、

      • 美術館に行きづらいから美術検定を受けた話

        なんだかすごく広告っぽい記事になってしまいましたけど、まあいいか。 さて、コロナウイルスの流行がなかなか治まらずお出かけしづらい状況が続いております。美術館に行くのが好きで、以前は1・2ヶ月に1回はどこかの美術館へ企画展を観に行っていたのですが、昨年からすっかり美術館に行かなくなってしまいました。 ある日なんとなく、美術に関する資格ってないかなーと思って検索していたら、「美術検定」という資格を見つけました。 美術検定|知るほど、みえてくる。 今までは、趣味で観賞してい

        • 23年越しの探し物を見つけた話

          ものすごく個人的な、取るに足らない話なんですけど、すごく嬉しかったので、それから、また記憶があやふやになってわからなくなることがないように、書いておくことにしました。 高校生の頃(もう20年以上前)、学校の行事で日帰り修学旅行?みたいなかんじで横浜へ行きました。昔の話なので正確には覚えていませんが、ざっくり言うと、5・6人くらいのグループで横浜を周遊、どこへ行くかはグループで話し合って決めて良いというかなり自由な行事でした。誰が言い出したかまったく覚えていませんが、私がいた

        • 固定された記事

        生きていたってしょうがないと言っていた人がいよいよ死にそうになった時に死にたくないと言うのはわがままなのか?

        マガジン

        • 介護認定調査の話
          0本

        記事

          何もかもわからなくなれば楽だけど

           認知症を患っているからと言って何もかもわからなくなるわけではないんですけど、どうせ認知症だからすぐ忘れるんでしょみたいな態度で、いいかげんなことを言ったり、いいかげんな対応をしたりする人が、残念ながら、少なからず、います。  私自身、もう10年以上高齢者福祉の仕事をしていますが、まだまだ未熟者故、いまだに同じ話を無限ループで言われると、イライラすることはあります。でも、そこで相手にとって嫌なことを言ったり、相手が嫌だと思う対応をすると、禍根を残すことになってしまうのです。

          何もかもわからなくなれば楽だけど

          命が大事とか生きてさえいれば良いとかどんな状態になっても趣味や社会参加を続けることが大事だとかそういう話になるともやもやした気持ちになる

           命が大事とか生きてさえいれば良いとか、認知機能や身体機能が低下してもできる限り趣味や社会参加を継続して行きましょうとか、そういう話になったときになんとなくもやもや考えてしまうことがあって、書いてみたらまとまるかもしれないと思って書き始めたけれども、結局まとまらず、一年以上下書きの状態で放置されていた文章です。  高齢になりいろいろなことができなくなっても、ちょっとしたサポートや工夫があれば、仕事や趣味を続けることができます。ただできないことを手伝うのではなく、その人が生き

          命が大事とか生きてさえいれば良いとかどんな状態になっても趣味や社会参加を続けることが大事だとかそういう話になるともやもやした気持ちになる

          どんな状態になっても生き続けたいかと問われると

           先日このような愚痴を述べました。  ほとんどの人は簡単には死なないという現実や、目の前にいる人の生きてきた過程を考えずに「あんなになってまで生きたくない」「ああなる前に死にたい」と言うような人に出くわすと、何とも言えない憤りや、悔しさや、虚しさに苛まれて、気が滅入ってしまいます。  でも、私自身どんな状態になっても生き続けたいかと問われると、正直答えは「わかりません」です。どんな状態になっても生き続けるということを想像すると、それはそれで、とても不安な気持ちになります。

          どんな状態になっても生き続けたいかと問われると

          あんなになってまで生きたくないと言ってもそう簡単には死ねない

           口から食べることができなくなって胃ろうになり、自分で動くことはできず、話しかけても返事はなく、一日中目を閉じている、そのような状態で生きている人が世の中には少なからずいます。  認知症が進行して、ついさっき言われたことを忘れてしまう、今私がいる場所がどこなのかわからない、今私のまわりにいる人が誰なのかわからない、そのような状態で生きている人が世の中には少なからずいます。  そのような人たちに会うと「あんなになってまで生きたくない」「ああなる前に死にたい」と言う人がいます

          あんなになってまで生きたくないと言ってもそう簡単には死ねない

          介護ノート

           介護保険は自立支援のための制度であり、利用者本人や家族が言ったことをそのまま叶えれば良いというわけではない。例えば、利用者が死にたいと言ったからって、死ぬための計画を立てたりしない。いろいろな研修で、このような話を、耳にタコができるほど聞いた。  もっともな話なんだけど、なんだかもやもやする。もちろん、「死にたい」と言う人に「じゃあ準備しておきますね」なんて言わない。でも、人はいつか死ぬじゃないですか。しかも介護保険サービスを利用する人はだいたいが高齢者。そう遠くない将来