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あの時どうすれば良かったんだろう

いまだに時々思い出す、ショッキングな出来事についてのnoteです。もう10年以上前の話なんですけど、思い出すたびにあのときどうすれば良かったんだろうと考えてしまいます。

大量の出血、などが苦手な方は読まない方が良いと思います。

当時、私は特養で介護士として働いていました。確か、働き始めて2年経ったくらいの頃で、一人前とは言えないけど、仕事を覚えていきがりはじめていた頃だったと思います。

事件について話す前に、施設の概要を少し説明します。当時働いていた特養は定員120名、建物は4階建てで、1階がデイサービス、2階から上が特養になっていて、1フロアに40人の利用者が住んでいます。

その日は夜勤でした。日中は、多い時は1フロアに6〜7人の職員が出勤していますが、夜勤は職員2人体制になります。職員2人で利用者40人の見守り・介護をするのはとてもたいへんですが、相方は頼れる先輩だったので、私はとても安心していました。夕方の食事介助と排泄介助が終わって、職員が交代で休憩に入る時間になりました。確か20:30くらいに休憩に入ったと思います。休憩の後は21時に消灯、22時から2時間おきにフロアを巡視します。

消灯時間の少し前に、利用者のAさんが寮母室まで来て、私に「入れ歯がないんだけどどうしたっけ?」と聞きました。入れ歯は皆さん夕食後に預かって消毒するのですが、Aさんは認知症のため、預けたことを忘れていたようです。まあ、この程度のことはよくある話です。私はAさんに「入れ歯は夕食の後預かって、今消毒してますけど、消毒が終わったらお部屋に持っていきましょうか?」と説明すると、Aさんは笑いながら「あらやだ、すぐ忘れちゃってしょうがないわね、今日はもう寝るから明日の朝でいいですよ」と行って部屋に戻って行きました。Aさんが部屋に戻った後、消灯しました。Aさんと話したのは、これが最後でした。

22時、最初の巡視の時間になりました。先輩は一番手前の部屋から、私は一番奥の部屋からスタートしました。2つ目か3つ目の部屋で、利用者のBさんが全裸になって寝ていました。全裸のまま用を足したようで、服と寝具が尿で汚れていました。普通に生活していたらなかなか衝撃的なことかもしれませんが、特養ではそれほど珍しいことではありません。Bさんの体をきれいにして、服と寝具を替えました。Bさんの部屋を出ると、廊下の照明がついていました。どうしたんだろうと思って進んでいくと、Aさんの部屋へ慌ただしく入っていく先輩を見つけました。

Aさんの部屋に入ると、寝具も、床も、棚も、カーテンも、血まみれの状態でした。Aさん自身も血まみれの状態でベッドに横たわっていました。枕もとにゴミ箱が置いてあり、血のようなものがたまっていました。Aさんの目はうつろで、呼んでも返事はありません。脈は取れるけど、今にも止まりそうな状態でした。状況がまったく理解できませんでしたが、なんとなく、直感で、これもう助からないなと思いました。救急車を呼びました。先輩は施設に残ってAさんの家族へ連絡、私は救急車に添乗して病院へ行きました。

病院についてしばらくすると、当直の医師に「もう助からないですけどまだ処置を続けますか?」と聞かれました。そんなこと私に聞くなよと思いながら、とりあえず「私は家族ではないので判断できません、家族は今病院に向かっているのでもう少し待ってください」と答えました。家族が来るまでの時間が、ものすごく長く感じました。

結局Aさんは亡くなりました。家族が到着して、医師から家族へ死因を説明しました。死因は胸部大動脈瘤の破裂でした。動脈瘤は、簡単に言うと、動脈にできたこぶです。こぶの部分は破れやすく、胸部大動脈のような太い動脈にできたこぶが破裂すると、大量に出血して急死することがあります。

亡くなったのは残念だけど、家族への説明は済んだから、私はそろそろ施設に戻っていいのかな、と思ったら、そうは行きませんでした。

医師から、病院に救急搬送されてすぐに亡くなった場合やほとんど死んでいるような状態で搬送された場合は死亡診断書を書けない、変死扱いになるので警察が来る、施設利用者の主治医に死亡診断書を書いもらえれば変死扱いにはならないと言われました。

施設にいる先輩へ連絡して事情を説明しました。先輩から主治医に連絡しましたが、学会で出張中のため今すぐそっちへ行って診断書を書くことはできない、とのことでした。

利用者の急変で救急車に添乗して病院まで行くのは、それまで何回か経験していたんですけど、搬送後に亡くなったケースははじめてで、当時は死亡診断書のルールというか法律というか全然知らなかったので、頭が真っ白になりました。

警察が来ました。プロレスラーのような体格のスキンヘッドの警官2人とサングラスかけためちゃくちゃいかつい雰囲気の刑事1人が来ました。刑事に救急搬送までの経緯と、主治医が出張中のため診断書を書くことができないことを説明すると、刑事に「主治医の先生どうしても来れないの?どうしても無理なの?今すぐじゃなくてもいいんだけど、明日とかでも無理なの?それって人としてどうなの?」と捲し立てられてしまいました。勘弁してくれ。刑事と主治医が直接電話で話しましたが、結局、診断書は書けないという結論でした。Aさんは検視を受けることになりました。私は、警察とAさんの部屋を確認するため、パトカーで施設に戻りました。このときはじめてパトカーに乗ったんですけどめちゃくちゃ乗り心地良かったですね……確かクラウンでした。

パトカーの中でいかつい刑事に「介護の仕事もたいへんだよね、いきなり警察きてあーだこーだ言われてもにーちゃんも困るよね、まあお仕事頑張ってよ」みたいなことを言われました。意外と良い人でした。

施設に到着。めちゃくちゃこまかく調べられるのかと思ったら、意外とあっさり終わりました。「明日また話聞きに来ます、部屋は片付けて良いです」と言って、警察は帰って行きました。この時点で夜中の2時とか3時頃だったと思います。まだ頭の中の整理がつかなくて、呆然としながらAさんの部屋を片付けました。

朝、昨夜とは別の刑事が来ました。夜勤は夕方16時始業・朝9時終業で、終業後刑事に昨日のことを話しました。昨日のかんじだとあっさり終わるのかなと思っていたのですが、めちゃくちゃ細かいところまで聞かれて、14時くらいまでかかりました。家に帰って、泥のように眠りました。

なんと言ったらいいのか、ついさっきまで普通に生きていた人が衝撃的な死に方をするということが、フィクションの世界ではなく、目の前で現実のこととして起きた、それが頭の中でうまく整理できなくて、頭の中がずーっとふわふわしているというかもやもやしているというか、強い緊張状態・不安状態にあるわけではないけど、足が地についていないような、しばらくそんなかんじでした。

今でも時々思い出して、結局あのときどうすれば良かったのかな、どうしようもなかったのかなと考えることがあります。

そもそも、動脈瘤が破裂して大量出血したら、もう救急車呼ぶしかないと思うんですよね。それに関しては他の方法はない。

では、もっと前の段階で何かできることはなかったのか。例えば、看取りの同意を取っておくとか。看取りができる特養はあるけど、看取りの同意書をとるタイミングはだいたい、食事が食べられなくなってきたときとか、意思疎通が難しくなり日中でも眠っていることが増えてきたときとか、病気の治療が困難で末期的な状態であると診断されたときとかだと思うんですけど、あの時のAさんは、どれにも当てはまらないっぽいんですよね。軽い認知症はありましたけど、大量出血の1時間前まで普通に生きていました。入れ歯のことを聞きにきた時、苦しそうとか、痛そうとか、そんな様子はまったくなくて、本当に、いつも通りでした。何にしても、当時働いていた施設は看取りをやっていなかったので、やっぱりあの時は、救急車を呼ぶしかなかったんだろうなぁ。

あとは、定期的な検査を受けるとか。一般的な健康診断は毎年受けていたんですけど、動脈瘤の検査まではしていなかったみたいで、もし定期的に専門の医療機関にかかっていたら、動脈瘤が破裂する前に治療することができた可能性もあったのかもしれません。

なんだか、そういうことをぐるぐると考えてしまいます。

あの時主治医が死亡診断書を書けなかったことも心残りなんですけど、医師だって人間だから、いつ亡くなるかわからない利用者のために24時間365日遠出しないで待機してるのは無理な話ですよね。いやまあ、そういうスーパーマン医師も時々いるみたいですけど。

転職してケアマネになってからは、動脈瘤がある人や大動脈解離を発症しそうな人には、定期的に専門の医療機関で検査を受けて下さい、と言うようにしています。私が担当している利用者でリスクがある方何人かいますけど、定期的に検査を受けているからなのか、みなさん元気に過ごしています。あの出来事を思い出して嫌な気持ちになることもありますけど、大切な糧にもなっているんだと思います。

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