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泣いたって病んだって可愛いあんたは結局愛される

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泣いたって病んだって可愛いあんたは結局愛される

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When hope flourish,

4月を、振り返りたくて。 何と言ってもARライブ なんと言っても、4月、最大の目玉だった。 感情の波だったり興奮が納まってくると次に思いを馳せるのは、現実的に大変だったであろうこと。 想像しか出来ないけれど、練習に要した時間、渡航の手間。 どの程度まで本人達が関わっているか分からないけれども、必要に応じて自分で対応や調整をしなければいけないこともあっただろう。 改めて感謝をするとともに、お疲れ様でした、と今は思う。 何にせよライブが終わってから、皆それぞれ楽しかった、嬉し

    • 9月を振り返る(多分、ただの弱音)

      9月も終わろうとしているタイミングで、ひとつ、私の悪いところがまた顔を覗かせた。 自尊心、自己肯定感、日頃から「なけなし」とも言えるそんな感覚。 ただでさえ吹けば飛んでいきそうなその感覚を、天秤にかけてしまって、分かりきっていることなのにかたり、と傾いた先の「諦念」に、「全体の意見」に、「明確な声」に呑まれてしまう。 所詮、私の無いに等しい自尊心や自己肯定感だ、と気付けば蔑ろにしてしまう。多分、人生で何度も繰り返してきたことだ。その瞬間は何も感じていなかったりする。 暫くして

      • about eating disorder

        私は、摂食障害を経験した。 今は寛解している。 ただ、やっぱり認知の歪みが残っているらしくて、食事の適量が分からずに1食がいまだに過少になりがちだ。胸をはって、全快!とは言えないまでも、それでも寛解とまで言えるようになったわけだけれど、実は「克服した」という感覚ではなくて、時間薬が効いた、という感覚がより近い。 だから、私は摂食障害の克服記は書けない。書けない、が1人の摂食障害経験者として2019年から2021年の頭がぐらいまでずっと戦っていた摂食障害のことについて書きたい

        • 最近読んだ中で印象に残った本のこと

          7月から9月にかけても、それなりの数の本を読んではいて、その中でも印象に残った本のことを書きたい 言霊の幸わう国で(李琴峰/筑摩書房) 私が触れた初めての李琴峰作品は「星月夜」だった。 「溝」を丁寧に描く人だと私は「星月夜」を読んだ時に感じた。その「溝」は言語の溝、ジェンダーの溝、人種の溝、そして感情の溝。彼女は「溝」を母語ではない日本語を使い、描き、顕すことで埋めようとしている、そう思った。 リアルと非リアルのあわいを書き切る強い力のある作家、そんな印象を持っていたけれ

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        When hope flourish,

          8月31日、「明日」を願わない君へ

          8月31日は若者(10代)の自死が多い日だ、と知ったのは何年か前のことだった。 とても驚いたけれど、その事実には得心がいった。 始業式。楽しいと思えない授業、好きじゃない先生、嫌なことを言ってくる、してくる、同級生。 楽しそうに夏休みの思い出を語る「クラスの人気者」達。 朝が来なければ良いのに、ときっと何度も思ったことがあるであろう、「君」はその日も、そう思い、そして、とうとう本当に朝が来ない場所に行ってしまうのだろう。 「学校になんか行かなくたって良い」と、私は言うことが

          8月31日、「明日」を願わない君へ

          英語の先生のこと

          英語の先生の話をしたいな、と思った。 とても個人的な思い出話、否、個人的でない思い出話なんて無いだろうけれども、とてもパーソナルな話。 この「英語の先生」は学生時代における、いつの頃の英語の先生なのか、と言うと高校3年生の頃の英語教諭だ。 ちなみに、私の通っていた小学校付属の中高一貫校は小学1年生の頃から英語の授業はあって、どのタイミングにおいてもそれなりに身近に「英語の先生」がいたけれど、私が思い出し、そして触れたいのは最も長く身をおいていた学び舎での最後の1年間、英語を

          英語の先生のこと

          「傷付けないようにする」ために「傷付かないようにする」

          小学校、3年生にはなっていたような、そんな時期。 もしかすると2年生だったかもしれない。少なくとも1年生ではなかった、とそれだけは覚えている。 その頃に、多分1ヶ月も続いたことではなかったけれども、1週間以上、恐らくは何らかのハラスメントに該当すると思われる被害に遭ったことがある。 ハラスメント?いや、ハラスメント、と言うか半ば犯罪だ。 恐らくペドフィリア的嗜好があろう男の人に付きまとわれていた。 ある日、帰りの電車の中で目の前に立った男の人に制服のスカーフが曲がっているよ、

          「傷付けないようにする」ために「傷付かないようにする」

          7月を振り返る(#Vox3Dのこと、最近のこと)

          7月を振り返るとしたら、どうしても、メインが我が君の3Dお披露目の感想になることを許して欲しい。 我が君が3Dで動く姿を見たのはお披露目が最初ではなくて、ARライブだった。端正な容姿に反して、言動が突然中学生男子じみていたり、最早ゴリラだったりすることは知っていたけれど、いざ3Dになるとそれはとても分かり易くて。 ノーブルな仕草をするかと思えば、まるで子供みたいにはしゃぐ様子が、ただただそこに我が君が「ちゃんと存在している」ことを実感させた。 涙が出るほど嬉しかった。 ぱち

          7月を振り返る(#Vox3Dのこと、最近のこと)

          6月を振り返る(愛情のこと)

          「私、愛されてるし。」 前後の文脈は全て割愛するけれども。 同僚がこう言った時、私は正直どんな表情をしていただろう。 マスクをしていて良かった、と心底思った。 「愛されている」と自信を持って言える彼女と、いつも卑屈になってしまって他人のことは勿論のこと、自分を愛することも下手くそな自分を比較して、私はまた落ち込んでしまったわけだけれども。 でも、これは余談のようなもの。 多分、私は親族、特に両親や祖父母を除けば「愛情」と言えるものに、大概趣味を通して触れてきた。 自覚してい

          6月を振り返る(愛情のこと)

          Midsummer's pray

          多分、どんなジャンルであっても「推し」がいればSNSとは上手く付き合わないといけないな、と思う。発信も受信も、いずれも。気分が落ち込み易ければ、尚更。 自分を守るためにも、大事な人達を守るためにも。 当たり前のことだけれど、大切なことだ。 長らくネットに親しんでいて、基本的なリテラシーは持ち得ているように見えても、傷付く瞬間、傷付ける瞬間はSNSの海の其処此処で、浮かんだり沈んだりしている。 SNSって、目盛りがはちゃめちゃな物差しみたいだ。 比較対象はいくらもあって、皆

          Midsummer's pray

          つらつら(読書感想文)

          まめに読了ポストすれば良いのに、とは思うけれど。 その方が読み終わった後の自分の感情とか記憶が鮮明な内に、言葉に出来るんだけれどね。 (なにせ、まめじゃないので。) (数冊、印象に残ったここ数ヶ月で読んだ本の感想を。) 房思琪の初恋の楽園(著 林 奕含) ※性的暴力の描写があるため、読む時は気をつけて欲しい。 文学のある種の無力さを感じてしまった。 いや、私にとっては。文学は、言葉は、かけがえの無いもので私の救いにもなったけれども。 この小説に出てくる、「房思琪」という賢

          つらつら(読書感想文)

          生を、

          鎖骨が、くっきりと浮いて見え始めていた。 10代、20代頭の若い人であれば「綺麗なデコルテ」と評されるかもしれないけれど、25をとっくに超えた私の鎖骨はこれっぽっちも美しくなくて、 ただ、ごつごつと厳めしく、触り心地の良くないアンバランスが骨でしかなくて。 頭の奥で、誰かが叫んでいる。 「醜い」 「もっと痩せなければならない」 気付いた。寛解していた摂食障害の症状が、軽く出ているのだと。 でも、今の私はもう30kgを切ってもなお、体重を落とすことを止めることが恐くて、「あと

          生を、

          「オタクしんどい」のアウトライン

          (こいつは「書く」という行為でしか自身を保てない節があるんだな、とそういう風に思っておいてくれませんか。) 散々、「オタクしんどい」を味わった挙句に私は「それでもやっぱり私は彼等が好き」という感覚を得られることも出来ずにドロップアウトしてしまったのが、事あるごとにこのnoteで触れる「前主界隈」。 前主界隈で推し(達)に見せてもらった景色の中で、私が思ったこと、考えたこと、感じたこと全てに嘘は無くて、その時々できちんと言葉にして、咀嚼してきたつもりではあったけれども、結局最

          「オタクしんどい」のアウトライン

          2024.4.27「La Mère 母」@東京藝術劇場の感想

          観劇の経緯 2年前のクリスマスイブの日、私は母と舞台を観た。 何を観たのか、と言うと。 シアタークリエで上演されていた、この舞台。 繊細で、穏やかで、心地良くそして少し物寂しい。 華やかな舞台では無かったけれども、とても良い余韻を残す舞台だった。 この「4000マイルズ」で、私は初めて岡本圭人くんきちんと認識した。 ちなみに母は、私よりも先に彼のことを知っていた。 何故なら、彼女はたまたまだけれども同じ年に「M.バタフライ」を観に行っていたから。 母は、岡本くんのこと

          2024.4.27「La Mère 母」@東京藝術劇場の感想

          今更ながらNIJISANJI EN AR LIVE ”COLORS”の感想

          拙いながら感想を残すことにした 初めに、ARライブの開催が告知された時、そして中止の発表がされた時、私はまだENについてよく知らなかったし、こんなに好きなわけではなかった。 だから、中止が決まった時の各々の、そしてファンの悔しさだったり遣る瀬無さだったりを、私は知らない。このことが、私にとっては小さな、でも歪でなかなか喉をすり抜けていかない凹凸の多い氷の塊みたいに、いつまでも残り続ける、言うなれば「劣等感」にも近いような感覚を植え付けていた。 それ故に、ARライブの実施が

          今更ながらNIJISANJI EN AR LIVE ”COLORS”の感想

          神様、有り難うって本当に思った日

          日本時間では3月29日の12時少し過ぎ。大げさでなく、本当に「神様有り難う」って思った。 率直に思うことは 必ずしもより沢山の「にじさんじ」リスナーの人にENを好きになって欲しい、積極的にENに触れて欲しい、というわけでもない。少なくとも今回、私は言わば「布教」の為にこの投稿をしようと思ったわけではない。 ただ、日本で生まれた文化・コンテンツのVtuberを志して、NIJISANJI ENというフィールドを選んで、その中で存分に自分達の個性を生かして、輝いている人達が世界

          神様、有り難うって本当に思った日