見出し画像

about eating disorder

私は、摂食障害を経験した。
今は寛解している。
ただ、やっぱり認知の歪みが残っているらしくて、食事の適量が分からずに1食がいまだに過少になりがちだ。胸をはって、全快!とは言えないまでも、それでも寛解とまで言えるようになったわけだけれど、実は「克服した」という感覚ではなくて、時間薬が効いた、という感覚がより近い。

だから、私は摂食障害の克服記は書けない。書けない、が1人の摂食障害経験者として2019年から2021年の頭がぐらいまでずっと戦っていた摂食障害のことについて書きたい。

まず、摂食障害と言っても多様で、過食嘔吐のイメージが強いかもしれないが非嘔吐過食もあれば、拒食のみの場合もある。私はほぼ拒食だった。「ほぼ」と言うのは一応、口に出来るものがあったから。ただし、当時の私の中での「許せるライン」に達していたもの、のみ。
なので、私が当時口に出来たのはウィダーinゼリーか、カロリーメイト、それに近い栄養補助食品のみだった。そして1日で摂取カロリーが1000キロを超えないように、かつかつに計算していたし、いわゆる「普通の食事」をすると罪悪感でいっぱいになった。大袈裟と思われるかもしれないが、本当に死にたくなるほど罪悪感に苛まれた。摂食障害当事者というのは、恐らくは私同様、カロリーに対して強い強いこだわり(根拠がある場合も無い場合もある)があって、かつ、そのこだわりをなかなか手放せない。私のような「ほぼ」拒食のパターンの場合、もしくは完全に拒食の場合は、おおよその人が想像する通り骨と皮な見た目なので、言い方は悪いが分かり易い。
でも、見た目的に分かり辛い場合がいくらもある。なので、見た目では判断出来ないことが当事者を苦しめることも多いようだ。ちなみに私は身長が約158cmだが、摂食障害のピークだった当時体重は30㎏だった。日によっては30㎏を切った。
お察しの通り、あばらも鎖骨も浮き切っていたし頬骨もがっつり出ていた。タイツもストッキングも余り切っていて、何を着ても服の中で体が泳いていて、きっと人間に見えなかっただろう。

何故、ここまで体重を落としてしまったのか。

食事を異常に制限して、私は吐くことが出来なかったから、その分だけ多量の下剤を使って、苦しい思いを沢山したのにどうして止まれなかったのか。体重の減少に伴って、シャンプーをする度に髪がごっそり抜けたし、何なら1日中ぱらぱらと抜けていて、肩口にいっぱい髪がくっついていた。フード付きのパーカーを切ると、フードにも髪が溜まっていた。
睫毛も沢山抜けていたし、月経が1年半と少し止まっていた。治療期間も合わせると2年は月経が無かった。
6錠が最大服用量なのに、倍量の12錠を一気に飲んでいた下剤のせいで、とにかく内蔵の諸数値がずっとおかしかった。
軽度の鬱病も併発した。
なのに、どうして。
この「何故」が案外説明出来ないこと多いところも、摂食障害の難しいところな気がする。摂食障害になったきっかけも曖昧な場合もあるし、歯止めが利かなくなった理由も分からない。
私は摂食障害になったきっかけは明瞭だったが、どうして40㎏を切った辺りで過剰な節制を止められなかったのか、本当に分からない。でも、たたただ、「1㎏増えたらどんどん体重が増え続けてしまう」という恐怖の火でなぶられていた。
今なら体重が増えたところで適切な方法で落とせば良い、と分かるのに。
摂食障害の恐いところは、当たり前だが栄養が圧倒的に足りなくて適切な思考力が奪われているという点だ。
良くないこと、おかしいこと、でも低体重故に適切な思考回路に修正出来ない。太ることへの恐怖心に駆り立てられるまま、滑車を回し続けていた。毎日毎日、仕事をする時以外は体重とカロリーのことばかり考えていた気がする。

今は、恐らくは平均的な体重、だと思う。
だと思う、というのは反動のように今は体重計には健康診断の時以外に乗らなくなったからだ。体重に敏感過ぎた時期を経て、ある程度、体感としてどの程度増えたか減ったかが分かるから。
現在のこの状態に至るまでは、とにかく「許せるライン」を下げるために悪戦苦闘する日々だった。
摂食障害だとどうにか自覚し、そして認知の歪みを無理矢理見詰め、「治療」を始めてすぐにこのラインを下げることの壁にぶち当たった。馬鹿みたいな話だけれど、と言うか今となっては笑い話だけれども、摂食障害ピークだった私は果糖が恐くて、果物は柑橘類、しかも口がミッフィー状態になるほど酸味が強い柑橘類しか食べられなかった。林檎を恐怖心なく食べられるようになるところからスタートした。
炭水化物への恐怖心が強過ぎてお米を食べられるようになるまでは相当時間がかかったし、うっかり回転寿司など行こうものなら茄子しか食べられなかった…。
ちなみに外食は異常に恐かった。ファミレスならともかく、大体の飲食店はぱっとすぐカロリーが分かる状態ではないから。
端から見たら、一進一退だったけれどそれでも今があるのは、そんな状態であっても気付いたことがあったから。
私は体重で私という人間を測られているわけでは決して無い、ということ。当たり前かもしれないけれども、本当に時間をかけて気付いたことだった。残念ながら、痩せたって美人にも可愛くもなれなかった。
40㎏になっても30㎏になっても、周りの評価は何も変わらなかった。悲しかったけれど、どこかで安心出来たのかもしれない。
変われないことに、初めて安心した。


摂食障害は、本当に色々なものを「許す」ための戦いの日々だと思う。
だから、私は、言いたい。
私も、あなたも、体重や体型が価値なんかではない。
揺らいで、摩耗して、それでもあなたはあなたであって。
体重という重みは本当に、ただの「数」だ。減ったり増えたり、とても頼りないもの。
特に今当事者の人にとってはなかなか受け容れられないことかもしれないけれど、でも、やっぱり何度でも言いたい。

あなたは体重や体型で定義されることなんてない。