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生を、

鎖骨が、くっきりと浮いて見え始めていた。
10代、20代頭の若い人であれば「綺麗なデコルテ」と評されるかもしれないけれど、25をとっくに超えた私の鎖骨はこれっぽっちも美しくなくて、
ただ、ごつごつと厳めしく、触り心地の良くないアンバランスが骨でしかなくて。
頭の奥で、誰かが叫んでいる。
「醜い」
「もっと痩せなければならない」
気付いた。寛解していた摂食障害の症状が、軽く出ているのだと。

でも、今の私はもう30kgを切ってもなお、体重を落とすことを止めることが恐くて、「あと1kg落ちたら死んじゃうよ」と医師に言われてもただ茫然とすることしか出来なかった、あの頃の私ではない。
無意識だったカロリー計算と過活動を、半ば無理矢理、意識して。
いらない。痩せたいのであれば、もっと健康的な方法で痩せるべきだ。
そもそも私は今、痩せる必要があるのか。
自分に言い聞かせた。もう、あの時の私には戻りたくない。どれだけ痩せたって、私は自分のことを好きになんてなれなかったでしょう。
40kgを切り始めた頃から、私を見る他人の眼差しは異形の何かに対してのそれだったでしょう。思い出して。
こうやって、自分を律することが出来るようになったことは、多分、微々たるものではあるけれども、成長だ。
傍からどう見えるかは分からないけれども、摂食障害の症状がピークだった頃の私は、頭では自分がまずい状態であることを理解していても、
明らかに「おかしい」状態であることを自覚していても、なお、拒食と過活動、下剤のオーバードーズを止められなかったから。
どうにか、思考で感情をコントロール出来るようになったことは、良いことであるはずだ。
でも、やっぱり気持ちが落ち込んでいたんだと思う。

何も出来なくてごめんなさい。
Comfydantsに、kindredに、見合う価値がなくてごめんなさい。
そんな風に頻繁に感じ始めた。
多かれ少なかれ、そういう感情に呑み込まれそうになるタイミングはある。
でも、そもそも、「何も出来なくてごめんなさい」という気持ちは、結局は自己満だし、「見合う価値」も何も、私の価値は、言ってしまえばComfydantsであること、kindredであることが全てなんかではなく、
むしろそれらは精々、ただの「要素」でしかなくて、矛盾を孕んだ懺悔のようなものでしかない。
そうやって考えることで、遣り過ごすことが出来ていた感情だった。
なのに、どうしても呑み込めなくなっていた。
愚かだと思う。とても弱いと思う。こんなことで、気付いたら、彼等の配信が見られなくなってしまった。恐くなってしまった。
私なんかが、彼等の配信を見て良いはずがない。
我が君に救われたはずなのに。ふーちゃんに掬われたはずなのに。どうしてだろう。
こういう状態の自分が嫌で、恥ずかしくて、最早誰にともなく心の中で謝っていた。
ふーちゃんも、我が君も。ううん。彼等に限らず、大概のライバー達は自分の為にリスナーが無理をすることをさほど望んでいないし、
恐らくはどんな在り方であっても、誰かを、何かを害するような行為をしなければ、基本的には受容しているのだろう。
過剰な自意識、頑張れない自分、何もかも苦しくて。
「ごめんなさい」というその言葉も、私がちゃんと向き合えていない証拠だと分かっているから、余計に苦しかった。

でも、今日。
実は、5月の25日に半分だけ見ていた、ふーちゃんの復帰後の久し振りの雑談配信。あの日も、実は途中でしんどくなってしまって、見ることを諦めていた配信だ、
恐る恐る、もう1度、頭から見た。
ふーちゃんの約1ヶ月振りの配信。
自分の身体のこと、アニメインパルスのこと、アニメインパルスで話した自身のリスナーやコスプレのこと、Legatus505の新しい章のこと、新人のこと、同僚達のことにも触れていた。
色々なことを、よく笑いながら話していた。
アニメインパルスのMeet&Greetは本当に楽しかったらしくて、配信において結構な割合でその時の話をしていたような気がする。
相変わらずちょっとだけ意地悪なことを言ったりして。
でも、沢山「有り難う」と、言葉を尽くしていた。
ふーちゃんの話を聞きながら、思い出した。
ふーちゃんの好きなところ。
厭世的でシニカルなようでいて、とてもとても多くの愛情と優しさを持っているところ。
自分が出来ることに、いつも丁寧に向き合って、取り組んでいるところ。
鋭利な聡明さと、やんちゃさを併せ持っているところ。
いっぱい笑ってくれるところ。
良い意味で「変わらない」ふーちゃんがいた。
そして良い意味で変わらず、私はそこで1人のリスナーでしかなかった。
でも、それで良いんだ。ふと、そう、思えた。

もう少し早く、無理をしてでも配信を見ていたら、
こんな気分を味わうことは無かっただろうか、と自問してはみるものの正直な話、分からない。
今の私にとっての適切なタイミングが、今日だったのかもしれない。
切ってしまっている通知は、何となくまだ入れる気にならないし、
私は、自身の在り方に相変わらず自信がない。
でも、今は、当日に見ることが出来なかった我が君のkindred dayの配信だったりも、追々ではあるけれど、遅ればせながら見たいと思っている。思えるように、なった。
Luxiemのオフコラボ配信も、きっと楽しいんだろうな。
見たいな。

まだ、Comfydantsでいたいし、kindredでいたい。
そう在ることを許して欲しい、なんてまだ思ってしまうから、
本調子ではなさそうだけれども。
また、私はふーちゃんに掬ってもらったから、折角だから、もう一度ゆっくりとあなた達の後ろを、着いて行こうと思いました。

I gotta “live” not just “survive”

Noctyx 2nd Single 「BREAK FREE」