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7月を振り返る(#Vox3Dのこと、最近のこと)

7月を振り返るとしたら、どうしても、メインが我が君の3Dお披露目の感想になることを許して欲しい。

我が君が3Dで動く姿を見たのはお披露目が最初ではなくて、ARライブだった。端正な容姿に反して、言動が突然中学生男子じみていたり、最早ゴリラだったりすることは知っていたけれど、いざ3Dになるとそれはとても分かり易くて。
ノーブルな仕草をするかと思えば、まるで子供みたいにはしゃぐ様子が、ただただそこに我が君が「ちゃんと存在している」ことを実感させた。
涙が出るほど嬉しかった。
ぱちぱちと火がはぜるような感情に満たされていた。
輪郭は鮮明で、でもその輪郭が辿り切れないほど大きな、大きな感情。
こんな感情、今後味わえるのかとさえ思ったほど。
そんな私はお披露目を知った時、かえって夢を見ているのかと一瞬思った。理屈では、理解している。
当然、順を追って3Dお披露目の機会があることは分かっていた。
でも、何とも言えない現実感の無さがあった。
きっとそれは予告の時点で、彼のお披露目が何らかの「ストーリー」であることが明らかになっていたから、かもしれない。
物語性が強ければ強いほど現実と乖離していく、そんな印象。
ましてや予告なので全貌は分からず、断片的にしかその物語の内容も分からない故の不明瞭さにも起因していたのだと思う。

固唾をのんで待機していたお披露目配信が始まった時も、彼が紡いだ物語がどんな風に綴られていくのか予想が出来なかった。
ただ配信が進むにつれて、気付く。
ううん。「気付く」より「腑に落ちる」、の方が正確だ。
全ての英語を拾い切れるわけでも、理解出来るわけでもなかったけれども、今見ているこれは我が君がVox Akumaとして存在し始めたころから刻んできた物語の、その先、悪夢のその先の話だ、と。
ARライブの時の感情が奔流だとしたら、お披露目の時の感情は染み出る湧き水のようなものだったかもしれない。
場面は目まぐるしく変わっていったし、我が君はまるで燃え盛る炎のようだった。でもじわじわと私の中に溢するものは静かだったし、通しで見終わった後にパンドラの箱の如く、最後に私の中に残ったものは希望のように柔らかでほの明るい気持ち。
猛々しくて、静と動いずれかと言われれば動のシーンが多かったし、我が君がこのお披露目にこめた想いは正に重かっただろうし、費やした時間も労力も多大だったろうけれど。
この人の「闘い」に、少しだけ区切りが付いたかのように思えたからかもしれない。
(それでもきっとまた、彼は何かに挑み続けるのだろうけれど、これからも。)

それから、何と言っても感謝の気持ち。
ふーちゃんの3Dが我が君のお披露目の場で叶ったこと。
何の他意も無く、ふーちゃんの3Dお披露目については考えてもいなかったことだった。
彼が3Dにならないことは大前提で、でも特段気にしていなかった。
良い意味で期待をしていなかったせいで、本当にびっくりした。
びっくりして、唖然として、それから嬉しさと感謝の念とに一気に襲われた。
主役は、我が君だ。それなのに特別な場でふーちゃんもまた3Dとして存在させてくれたこと、感謝しても感謝しても足りない。
彼等の優しい紐帯に、本当に感謝している。


正直なところ、我が君の3Dお披露目以降、私はLuxiemメンバーの3Dお披露目をちゃんと見ることが出来ていない。
ここ最近、あまり配信を見ていない。
気持ちが追い付かないでいる。
最近、色々な情報に心が着いていかない。
自律神経が本当におかしいのか、元々狭いところと人混みが苦手だった傾向が増して、急行や快速に乗れなくなった。
不安で死にそうになるからだ。
だから毎朝、各停で出勤して、帰りも各停を使っている。電車に乗っている間は窓の外をぼんやりと眺めたり、本を読んでいる。
そのせいか久し振りに一月に本を6冊読めた。
各停に乗っていると、時間の経過も現から切り離されたようにゆっくり進んでいて、物を考える時間も増える。
最近は「私の言葉」って何ひとつ持ってないんじゃないか、と凄く不安だ。問い直したいことは多くて、でも問い直してしまったら最後、「私」が誰か分からなくなりそうになる。
本ばかり読んでいるのは、私の言葉なんて無いから必死で言葉を借りてこようとしているだけなのかもしれない。

どうして、私達は男であることや女であるだけで暗黙の役割が発生するの?
どうして、「選挙に行っても何も変わらない」とある意味では「日本国民」であるだけ、例えば「東京都民」であるだけ、それだけで得られる権利を放棄するの?
どうして、ただ生まれてきただけなのに「選ぶ」側と「選ばれる」側に分かれることになるの?
どうして、死にたいと思ってはいけないの?

いくら、何を問うても、答えは見つからず、何故かのろまで馬鹿にされ続けた子供の頃を思い出して泣きそうになる。
あの時から空っぽだったのかもしれない。
空っぽな私は空っぽなりに傷付いたり、怒ったり、笑ったり、そして誰かと言葉と感情を交わす機会が少なくて寂しくなったりしながら、生きている。

今月読了した本