0.大人になった気がしていた
今まで生きてきて一番大人になった気がした日は、大学生になった4月1日でもなく、入社式を迎えた4月1日でもなく、ましてや初めてセックスをした日でもなく、高校生になった4月1日だった。
学ランを脱ぎ捨て、少し身丈に合わない紺のブレザーに身を包み、足元は白基調のスポーツシューズから真っ黒のローファーに履き替えただけで随分大人になった気がしていたのを覚えている。
勿論それはただの勘違いで、大人になった気でいただけのすかした痛いやつだったのは振り返れば疑いようもない事実だ。
けれどもどうした事か、あの春は僕の中では一番大人に近づけた春だった気がした。
「青春」と言えば、9割近くが高校時代を思い浮かべると思う。
休み時間の購買戦争。
用事もないのにやたらと教室を行き来する野球部。
学校に一人はいる魔術的に眠りに誘う授業をする教師。
気があるのがバレバレなチラ見男子。
誰もいない放課後の夕日に照らされた妙に橙色な教室。
スカートの折る回数を競う女子と、それを注意する学年主任。
上げ出したらキリがないくらい、どうでも良い瞬間に包まれた青色の春に誰もが憧れてしまう。
そんな春を僕はずっと待っていたのだと思う。
「ついに春がやってきた」
当時は多分こんな事を考えていた気がする。
人生の夏休みと言われる大学生や、大人の証とも言える社会人デビューよりも、高校生になった事の方が大人になった気がしたのは、他の何と比べても、二度と取り戻すことが出来ない時間だったからなのかもしれない。
あの時出来なかったことは、いつの間にか今出来ない事と同義になってしまうくらい年月が経ち、SNSのプロフィールに「FJK」とか書かれた人を見ると、羨ましくて涙が出そうになるくらいには、残念な大人になってしまった。
青春は終わらないなんて言う人もいるけれど、そんな事はない。青春はいつか終わる。
永遠なんてない事を、僕らはずっと昔に夏休みの終わる8月末から学んでいたはずだ。
少なくとも何の約束も無しに好きな人と会えて話が出来ていた日は、もう帰ってはこない。
話がかなり飛んでしまったが、結論から言えば僕の青春は全くもって青くなんてなかった。
色で例えるなら灰色が丁度良いだろう。
ただ、当時は灰色にしか見えなった僕の春も、競走馬が引退レースで優勝を飾る映像を見て、号泣するくらい涙腺が緩い大人になってから振り返って見ると、「ちゃんと青かったんだな」と思ったりする。
もう戻れないんだよ。
そんな事を入学式の自分に言われた気がした。
これから話すのは、僕の「青くなれなかった春」の話です。
自分にとってすらもどうでもいいようなくだらない日常と、普通の恋の話でよければどうかお付き合いください。
愛を込めて。
詩
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