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流転する表現の進化に期待

5月13日からブログを公開して一週間が経った。

毎日ドハマりして調子に乗って書いていたので、右手の小指に捻挫をしたような痛みが出てきてしまった。

スマホで文字を打つのに集中しすぎて、手首から先が宙に浮いたまま固定した状態が長くつづき、肘から手首までの外側の筋肉がひねりを加えて硬くなり、その筋の末端の小指に激痛がはしるようだ。

仕事のパソコン操作でエンターキーが叩けない位の副作用を伴ってしまったのに「ちょっと気を付けて文字を打とう」と、まだ懲りていない。

地方に住む娘たちに、誰に見られなくてもママは好きなことを書いたほうがいい、と応援してもらって機嫌よくつらつら書いている。

頭の中のものを、外に出すのは気持ちがいいなあ~と思う。
きっと、音楽や絵画など色々な創作はそういう「気持ちよさ」があるのだろう。

私は文字が好きだ。
漢字で意味をとらえるのも好きだ。
文字の雰囲気を感じるのも好きだ。

同じ文字なのに英語はズンと苦手で、コンプレックスも強い。
中学生になって英語と数学の授業がうけつけず、英語の授業が終わってから学校へ行き、数学が始まる前に早退した。私は嫌なことは出来ないタチだ。

グローバル化で、英語は日本でも大切なスキルになってきている。
なにせ、英語人口が多い。
日本語では一億人強としかお友達になれないが、英語を使えたらお友達を増やす確率が激増する。

私のような協調性が曖昧な性格の者でも、英語が話せればお友達のみならず、色んなチャンスがやってくる、かもしれない。

そういうわけで、毎日ミッフィーのショートアニメを見て、幼児英語からはじめよう、と思ったこともあるけれど(5才位の語彙を身につけるだけでも、会話は成立するらしい)
無理だった。英語を身につける努力の意味を持てないのかもしれない。

だって日本語すばらしいんやもん。


英語をなぜみな(公用語でなくても)勉強するのか。
それは、出回っている書物が英語ばっかりだからだ。
世界中の新聞で、手紙で、英語が使われているからだ。

世界にはそれぞれ自国民の言葉が沢山あるが、文字となると英語に頼る。
多くの情報を得るには、例えば専門知識など「もっと勉強しよう」「深く理解したい」と思うと、どうしても英語を学ぶことが必要になる。

意味を深く理解できるほどの翻訳を、自国の言葉で行うということは大変困難であるらしい。

つまり、話し言葉は母国語でも、資料を翻訳して作れないので勉強は頭打ちとなり、大学レベルの高度な知識を得るにはまずは英語を使えなければならないのだ。

しかしながら、日本語は明治時代に絶妙な言葉の翻訳大輸入が行われており、英語を話せない日本人の学者さんがノーベル賞を受賞されているように、日本語に訳された本だけで勉強をして、さらに熟考を重ねることが出来るほど、日本語の語彙は他に長けている。

英語に劣らない意味の多様性を理解できるのが『日本語』

英語、勉強しなくて良さげな気してまうやろ


ちなみに、世界中の新聞の半数以上が英語で書かれているにもかかわらず、世界の新聞の発行部数のトップは読売新聞で、朝日や毎日新聞も、かなりの上位発行部数らしい。
どちらのお国でも、日本人みたいに毎朝まじめに新聞は読まないようだ。

日本の、漢字とひらがなとカタカナが混じった言葉を使いこなすことや、漫画をバババーッと読む脳の働きは、かなり高度なことをやっているらしい。

そう聞くと
良いも悪いも「ヤバい」で済ませ
ちょっと面白いと「草w」で、お腹を抱えて笑うと「草wwwwww」になるなど、語彙が少なくなりつつあるのは、勿体ないかなーと思ったり

さらに進化して、これからは言葉では伝えきれないような、ニュアンスやイマジネーションを新たに表現する時代がくるのかな、とも思う。

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