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「やりたいこと」と「ルール」、どちらを採るべきか

 去年あたりから、事務所所属のバーチャルYouTuberやバーチャルタレント(以下VTuber)が卒業や契約終了、除名といった形で活動を終えることが増えてきた。
 個別の事案については、当事者間の意向や判断なども絡んでいるため、一概に良し悪しを判ずることはできない。しかし、活動が活発的だったVTuberでも卒業の告知が出されるなど、順調にもかかわらず名義を捨てて事務所を去るパターンが見られ、以前に比べて事務所所属のメリットがなくなっている雰囲気だ。

 一方で、にじさんじやホロライブ、ぶいすぽなどをはじめとして、多くの事務所の勢いは失われていない。
 ビジネス的に認知されてきたことで、企業からの案件を獲得しやすくなってきており、またグッズ販売やイベント開催についてもノウハウが蓄積してきたことで自社の個性をより具体的に打ち出せるようになってきている。
 また、事務所所属のVTuberについても、事務所を疎ましく思う傾向はそこまで強くなく、自身の活動をサポートしてくれる存在としてメリットを感じている様子が見られる。そういう意味では、事務所所属の形式そのものが現状と合わなくなったとは言い難い。

企業としてやるべき、まっとうなことが「邪魔になる」

 では、事務所に対して不満や不足を感じ、活動を終了したり離れていくのは何故だろうか。大きな理由の一つとして挙げられるのは、「やりたいことが企業にいるとできない」というフラストレーションの問題だ。

 事務所に所属して活動しているVTuberには、常に企業組織として守るべきコンプライアンスが立ちはだかることとなる。
 たとえば、
「とある楽曲のカバーをMV(ミュージックビデオ)として投稿したい」
とVTuberが考えたとしよう。
 特に収益性も意識せず、個人が動画を作ってアップロードするのであれば、楽曲の権利者やJASRACのような管理団体に問い合わせ、楽曲使用やアレンジの許諾を得れば良い。
 しかし、事務所所属のVTuberの場合は、MVをアップロードすることで生じる利益について権利者や管理団体と条件をすり合わせ、利用料や楽曲の使用範囲についての合意を得る必要がある。
 また、楽曲音源の作成やミックス、歌の収録、MVに使用するイラストやアニメーションの作成といった工程はVTuberの所属する事務所が取り持つことになる。もちろん、直接の作業についてはVTuber自身が担当のアーティストと話し合い、良いものを作ろうと努めることになるが、その作業に対して支払う報酬やスケジュールについては、事務所の意向が強く反映される。
 このように、「やりたいこと」があっても、自分の裁量では思うようにいかなかったり、個人の好き勝手でやってはいけない状況にあったりすることが、当人達にとっての大きなフラストレーションになっている可能性は大いにあり得る。

「後で金銭トラブルや訴訟に繋がるような事態を回避する」
「約束ごとを守ることによって、次回の仕事も引き受けてもらえるような信頼を築く」
といったような事務所の言い分もあるだろう。企業として社会で立ち回っていく以上、無用なリスクを負う事態は当然避けたくなるものだ。
 とはいえ、そういった着実さを求めるやり方が、VTuberのスピード感や発想の柔軟さとかみ合わなくなる場合もある。自分の思うとおりに物事が進まないことにストレスを感じる可能性は大いにあるだろう。
「他の事務所のVTuberは同じ楽曲で動画をアップしているのに、なぜ私は駄目なのか」
といった状況が同時にもたらされれば、なおのこと不満や不信が募ることになる。そういったところから、事務所にいても意味がないという考えが生まれてくるVTuberもいるのではないだろうか。

個人になることの重さを軽く見ている

 事務所を離れ、個人のVTuberや新興事務所のVTuberとして再デビューする人は少なからずいる。
 この手の人達が強みとしているのは、今までの活動で培ったファンを潜在的に引き込める点だ。前職での契約事項により直接言及することはできなくても、自身がかつてどこの事務所にいたかを匂わせることが可能であり、何より自身の声が証拠となって誘引する要素となる。
 何らかのトラブルや事件を起こして契約を切られた場合、敵意やヘイトを向けられる可能性はあるが、順当に人気を得て活動していた場合は、そのファン層を部分的ながら引き継いで、大型コンテンツとして最初から回していける。そういった成功例が、事務所を離れるVTuberにとっての追い風となっていることは否めないだろう。

 しかしながら、所属事務所から離れることは決していいことばかりではない。

 第一に、サポートを受けて活動していた状況から独立するということは、それらが受けられない環境に放り出されるということでもある。
 ゲームや音楽、動画、イラスト素材など、全てについて権利確認を行い、時には権利者と交渉して金銭のやり取りをしなければならなくなる。そういった作業を自分自身でやりながら活動するとなると、相当仕事に慣れていなければ到底回らなくなってしまうだろう。
 新たな事務所に移るのであれば、そこのスタッフがまともに仕事をこなせるかどうかで今後の活動が左右されることになる。

 第二に、信用や信頼といった仕事付き合いに欠かせない要素が、自身にそのままのしかかってくる。
 不公平な条件を提示すれば相手に呆れられるし、契約の履行が出来なければ、次からは仕事を依頼しても一切引き受けてくれなくなる。場合によっては訴訟を睨んだ事態になることもあるだろう。
 また、大手企業からの案件を引き受けるというのは、相当社会的な信用を得ていなければまず不可能だ。少なくとも、彼らが懇意にしている人々からの信頼を得て活動していなければ、目に留まることさえない。
 一つ一つの案件を誠実にこなし、製品やサービスを託しても評価が棄損されないと信用してもらえる人物でなければ、案件の獲得は困難になるだろう。

 そして第三に、ファンを維持し拡大していくことがとても難しいという点が挙げられる。
 個人そのものがブランドになるというのは、かなり珍しいことである。たとえ前職の引退時に百万人単位のファンを抱えていたとしても、そのすべてを次の名義で抱え込めるとは限らない。そして、その数を維持し続けるほどの価値を常に生み出し続けるほど活動的でなければ、すぐに去って行ってしまう。
 おまけに、個人が外部から人を引き込むというのは非常に難しく、積極的に他のVTuberや配信者に関わっていったとしても成果に繋がりにくい。事務所所属の場合、同じところのVTuberということで広く網羅しているファンがいたりするが、個人でやっているとなると、その人自体が魅力的でない限りなかなか興味は向かないものだ。

 今はまだ、「元企業所属で売れっ子」に希少性や実績の評価が乗っているため、こういった問題を気にしているVTuberは多くない。しかし、人気を集めている個人を真似て独立するVTuberが増えていけば増えていくほど、埋没し活動がままならなくなる人が出てくることになるだろう。
 そして、行き詰まったVTuberが改めて事務所に出戻りというのも難しい。どこの事務所も、躓いたベテランよりは多少の経験があって伸びのある若手寄り人材の方が、自社方針やコンプライアンスに合わせた活動を準備していく上では扱いやすい。となると、受け皿となるのはとにかく働き手が欲しい、マネージメントに不安のあるところになってくる。
 そういった意味では、軽々と独立を選んでしまうのが怖い業界だ。

大事なのは、「不安を払拭する」ということ

 ここまで述べてきたように、独立すること自体は必ずしも明るい未来に繋がる選択ではない。それにもかかわらず、この道を選択するVTuberがいるのは『事務所への不安や不満』が存在するからだ。

 事務所としても、できる限りの要望を聞き答えているという立場はあるだろう。また、上場企業となったり、上場企業と関わる立場となっていく上で必要な規範や基準を敷いていかなければならないという事情もわかる。
 しかし、そういった『社会に認められるためのルール作り』を進める中で見落としていることはないだろうか。事務所と外の企業とが信頼関係に基づいてやり取りしているように、事務所とVTuberもまた、信頼を元に業務契約が成立している間柄ではないだろうか。

 確かに、労働契約上は外部のフリーランスに業務を委託している形ではあるだろう。
 しかし仕事のやり方として、VTuberの表現力や発想、行動が主体となってきたことは無視してはいけないし、これまでより明確に営利組織としてやっていくのであれば、なおさら頭ごなしの関係にしてはいけない。
 VTuberが事務所に対して企画を出すにあたって、どういう手続きを行えば良いのか。どういったものがOKで、許可を出せないものはどういった理由でダメなのか。そういうVTuberと事務所の間のルール作りを並行して行わなければ、不信感は募る一方だろう。

 企業組織において最も良くないのは、
「あらゆることを自分自身で考えろ。駄目なものがあったら拒絶する」
という態度でスタッフを動かしてしまうことだ。弾かれる基準が見えないシステムでは、考えることの価値が見出されなくなり消極的になっていく。
「これこれこういう事態が予想されるから、このカテゴリのものは企画段階で受け入れられない」
という説明を最初に行った上で、自由に物事を考えてもらうようにする。抵触しそうなものがあったら、危険や違反を避けて安全に行う方法がないか具体的に検討する。そういったやり方を採っていくことが今後求められるのではないかと僕は個人的に思う。

「出ていく側に問題があった」とするのはとても簡単だ。
 実際にそういうトラブルを起こしているのであれば、なおさら容易に言い切ってしまえる。しかし、そういう行動に走った背景が単なる自己中心的なものだったのか、それとも不満や不信が招いたものだったのかは、組織としてまず調べ、考察しなければならないことだと思う。
 そして、また同様の理由でトラブルが生じないよう、マネージメントや企画の考え方を見直していく必要があるだろう。

 どこの事務所にも言えることだが、より企業組織として社会的に理解される形を目指す上では、『正しさ』に言いくるめられないよう注意する必要がある。他の業界では慣例的にやってきたことをそのまま導入し、VTuberがただの雇われタレントになってしまったら、ここまでで培ってきたものは全て無駄になってしまう。最悪、
「既存の芸能人がVTuberのガワを被ればいい、お前達はそのサポートだ」
というようになりかねない。
 VTuberという業界がそのカテゴリの特徴を失うことなくやっていくために、どういうルールを策定しなければならないのか。現在、事務所のスタッフや運営者となっている人達にはしっかりと考えてもらいたいものである。

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