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「適応障害」と診断されて②〜営業女子1年目〜


前回の記事からの続きです。

【前回の記事】
https://note.com/ddddsansan021/n/n0d6aab076507

※この記事は10月半ばに書いたものですが、

ずっと下書きに入っており投稿し忘れておりました。







⑤親への報告

適応障害だと診断された日、自分の親へ報告をしました。

親への報告はとても緊張したのを覚えています。

心配をかけてしまうことが、とても申し訳なかったです。



母親に「適応障害と診断された」と伝えたところ、

「今の仕事は辞めてもいいんだよ。

会社なんて、たくさんある。まだ若い。

体調を崩すくらいだったら、環境を変えればいい」


そんな言葉をかけてもらいました。

なんだかとても温かい気持ちになりました。


「頑張りなさい」ではなく、
「頑張らなくていいよ」。

だったのです。




⑥無理に仕事をした結果

翌日上司にも診断結果を伝えましたが、

次の日から休むということは特にせずに

その後、三日間は普通に仕事をしました。

上司からはいったん短期間休職するか、

別の担当に変えるかして、

どうにか三月までは続けて欲しい。

という言葉をもらっていて、どうしようか悩んでいる最中でした。


ストレスを押し殺しながら、仕事をしていましたが、
三日目に自分でも驚く出来事が起きました。


ある案件で、別の部署に照会の電話をした際に、

その部署の方から電話越しに少しキツい言葉を受けました。

怒られたわけではなく、今思えば

そこまで落ち込むような言葉でもありませんでしたが、

なぜか、電話をしながら涙が出てきて、

涙が止まらなくなりました。

電話後すぐにトイレへ行き、トイレで泣きました。

ただ、どんなに泣いても涙が出てきて、止まらず、

過呼吸的な感じになってしまい、

自席にも戻ることが出来ず、

そのまま医務室へ向かいました。


医務室でも、1時間ほどずっと泣き続けました。

泣きすぎたのか、

頭が痛くなり、寒気もすごく、吐き気もしました。

泣きながら、

【誰か助けて】ってずっと思ってました。


辞めたいという気持ちと、

上司の三月までは頑張って欲しい

という言葉がぐるぐる頭の中をよぎり、

とても混乱していたのを覚えています。





その日は吐き気と戦いながら、帰宅。

即ベットに倒れこんだのを覚えています。

次の日は有給をいただきました。

次の日も頭が痛く、とにかく安静にしていました。

この一件があり、上司からは、

「とりあえず今私の持っている担当を全部外して、

ストレスの原因から離れようか」


と提案されました。




⑦今とこれからについて

現在も働いています。普通に出社してます。

ただ、12月末で今の会社を辞めることにしました。

本日、上司に告げてきたところです。

これからについては未定です。

転職先があるわけではありません。

不安はありますが、

このまま仕事を続けていても

不安もストレスも尽きないと考えました。



上司からは

どうにか三月までは続けて欲しい。

と言われ続けましたが、

私には今の会社で頑張ろう

という気持ちがもう皆無でした。

正直に言うと、今の会社のことが嫌いになってしまったのです。






⑧自分を大切にしてみたい

今回、「適応障害」と診断されて、

いかに日々自分の気持ちを押し殺して過ごしてたか

気付くことができました。


家族も友人も恋人も、わたしが、
適応障害になるほど、今の環境が辛いという相談をすると、

「もう辞めなそんな会社」と言ってくれます。

大切な人はそう言ってくれるのです。


一方で会社の上司は、三月までは続けて欲しい。

というのが本音です。

会社にとって、期中で社員が減るのは困るからです。

会社では、いかに業務がまわるか

ということが優先されてしまいます。



私は、自分が会社にとって1労働者であることに

すぎないということに気付かされました。

ぼろぼろの状態で三月まで頑張って、そのあとは辞めていいよ。

そういうことなんだなって思いました。


でも、そんな働き方は、会社のためです。




私は自分のことを大切にする道を選びました。

自分の身体や心が、悲鳴をあげているサインを

素直に聞き入れました。


上司や同僚になにを思われても

しょうがないと思うようになりました。

 

逃げではなく、自分を守る選択なのです。




長い記事を読んでいただき、ありがとうございました。


また更新します。


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