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ものがたり屋 参 環 その 3

 うっかり閉め忘れた襖の影、街灯の届かないひっそりとした暗がり、朽ちかけている家の裏庭、築地塀に空いた穴の奥。

 気づかなかった身のまわりにある、隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

環 その 3

 めぐる。古からめぐるもの。
 はじまりがあり、そして終わりはない。
 新たなはじまりへとすべては繋がる。
 めぐる。それは遙か古から続くもの。いつまでも……。

 キャンパスに緑色が眼につくようになってきた。零れてくる朝陽は春の輝きそのものだったが、あちこちに立つ樹木の緑が濃くなっている。吹き抜けていく風にも葉の香りが紛れ込んでいるようだった。
 楓は朝から講義に出ることなくカフェエリアの窓際の席でそんなキャンパスの様子をぼんやりと眺めていた。頬杖をついたままテーブルの上にあるカップに眼を移した。ミルクティーから立ち上っていたはずの湯気が見えなくなっていた。
 もう何度目か判らない溜息を大きくつくと、やっとカップに手を伸ばした。
 ──なんだってあんな夢を見続けるの?
 このところ相変わらず、毎晩同じ夢を見ていた。昨日の夜は山に登り夕陽を観ていると傍らにいたはずの佐久間にその場で抱かれた夢だった。楓を抱きしめる佐久間の両腕の力強さが甦ってくる。それに応えて自らも彼を抱きしめていた。
 しかもその相手の佐久間は、やはり久能結人とダブってしまう。顔は違うはずなのに、しかしそれは結人としか想えないのだった。
 冷めかけたミルクティーを口に含む。いつもより甘く感じた。それはシュガーを多めに入れたせいばかりではなかった。抱きしめられたときに満ちていく想いがまた甦る。
 ふっと見上げるとそこに結人が立っていた。
 黙ってじっと楓を見つめる結人。まるでなにかを観察するようなその視線に楓は戸惑い、その場で固まってしまった。
「ぼくに解るように説明してくれないか?」
 結人は楓が昨日渡した弓弦をテーブルの上に静かに置くと、向かい合うように腰を下ろした。
「わたしにも……、わたしにもよく解らないの。ごめんなさい」
 楓はやっとのことでそれだけいうと、両手を胸の前にその身を縮こまらせた。
「だって、これはキミのものだろう?」
 結人は弓弦を楓の眼の前に突きつけた。
「それは……」
 楓は俯いたまま、上目遣いになりそっと結人の様子を伺った。結人は黙って腕組みをしたまま、ただ楓を見ていた。
「あの……、夢を見るんです。毎日のように」
「夢?」
 楓はこくりと頷いた。
「とても夢とは思えないようなリアルなものなんです。かなり昔の話で、そこでわたしは実際に生活している、そんな夢なんです。うまく話せなくて申し訳ないんですけど……」
「いつの頃の夢なの?」
「それがすごく昔で平安時代の終わりごろ。源氏と平氏が争っている頃……」
「ちゃんと時代が解るんだ」
 結人が興味深げに尋ねた。
「ええ、源義平が出てきて、わたしは彼の屋敷で働いているんです。なんだかおかしいでしょ。そんな具体的な夢を毎晩のように見るんです」
 楓は顔を上げると結人の眼を真っ直ぐ見つめた。
 ──佐久間様……。
「名前はあるの? その夢の中でのキミのことだけど」
「もちろん。わたしは野仲楓といいます。夢の中では『かえで』と呼ばれています」
「え?」
 結人は驚いたようにいった。
「だから、かえでです」
「かえで……」
 いきなり黙りこくると、結人はテーブルの上の弓弦を睨むように見つめた。

「隆信、待賢門だ」
 義平が馬上で叫んだ。
「いかがしましたか?」
 馬を寄せて、訊き返した。
「信頼の腰抜けめが逃げおった。待賢門の敵を蹴散らす」
「承知」
 義平とともに待賢門へと駆けだした。
 すでに門は破られ敵勢が犇めいている。総勢はいかほどだろうか。こちらは義平に従った武者、十七騎ほど。しかし、義平にはまったく躊躇う素振りはなかった。敵勢のど真ん中へと突っ込んでいく。
 佐久間もそれに従い、突っ込んでいった。
 その勢いに押されたのか、敵の兵たちは色を失い、ただ逃げ惑う。徒で右往左往する雑兵を文字通り蹴散らして義平はさらに門めがけて駆けていった。
「重盛! 重盛はどこだ!」
「義平様、重盛はあそこに」
 見ると馬上で逃げ惑う雑兵たちに押されるように門の前で踏みとどまっている平氏の武者たちがいた。その中に重盛の姿もあった。
 佐久間はその姿を見つけるや否や駆けだしていた。手綱を握りしめるその手に力が入る。

 締めていたはずのカーテンが大きく揺れている。開けっぱなしだった窓から緩やかな風が吹き込んでいた。その風が全身に纏わり付いていた汗を冷やしていく。
 ベッドの上で半身を起こしたまま結人は頭を抱えた。
 ──なんだってあんな夢を見るんだ?
 眼の前で両手を開く。手綱を握りしめていた感触が残っていた。手綱など生まれてこの方ただの一度も触ったこともないのに、それはとてもリアルな感覚だった。
 枕元のスマホで時間を確認した。まだ午前二時前だった。窓際までいくとカーテンを開けて夜空を見た。やがてすべて欠けて消えてしまいそうな月が申し訳なさそうに夜の帳にしがみついて見えた。
 結人は大きく溜息をつくと階下の台所へと向かった。
 ロックグラスを氷で満たすとバーボンを注ぎ入れる。ダイニングテーブルに腰を下ろしたまま、そのグラスを見つめた。
 部屋の隅で灯っているルームライトの光にグラスをかざす。暗がりに溶けこんでいくような明かりだったけど、溶けていく氷とバーボンがグラスの中で混ざり合っていくのが解った。
 結人は人差し指でくるりと掻き混ぜるとグラスに口をつけた。熱い固まりが身体の中へと落ちていく。
 結人はひと口飲み終えると、ほっと息を漏らした。
「こんな時間にどうした?」
 父親の哲人が廊下から声をかけた。
「そっちこそ、どうしたの?」
「なに、眼敏い質でな」
 哲人は軽く笑いながら結人の傍らに立った。
「バーボンか。じゃ、おれは焼酎といくか」
 同じようにロックグラスを氷で満たすと焼酎をたっぷりと注いで、結人と向かい合うように腰を下ろした。
 じっと結人の顔を見つめてから、そっとグラスに口をつけた。
「静かな夜だな」
「騒がしい夜なんてあるの?」
 結人はグラスを見つめたままいった。
「あるさ。あちこちでよからぬものたちが騒ぐ夜だってある。なにせ、この世界にはわたしたちの知らないことが多すぎる」
 哲人は意味ありげに軽くグラスを持ち上げて口をつけた。
「知らないことか……」
「心の中がざわついて仕方ないって顔だぞ」
 哲人は結人の顔を覗きこむようにしていった。
「そんなんじゃないと思うんだけど……」
「でも、なにか腑に落ちないことなんだろ?」
「まあね」
 結人は頷いた。
「夢を見るんだ。それもとてもリアルで、まるでその場にいて実際に体験しているような夢をね。いまもまだこの手にその感触が残っている。そんなことってある?」
「夢か」
 哲人はまたグラスに口をつけた。
「それだけじゃないんだ。どうやらほかの人と同じ世界で互いが登場する夢を見合っているようなんだ……」
「確かにざわつくのも仕方なさそだな。もうちょっと詳しく話してくれないか」
 結人は野仲楓とのやりとりと、互いが見ている夢のことを話した。それも楓から弓弦を手渡されてから起こっていると。
「なるほど。きっかけはその弓弦ってわけか」
「どうやら途中で切れてしまっているみたいなんだよね」
「ということは元はひとつで、片方はその楓という娘が持っているってことなんだな」
「たぶんね」
 結人はグラスに口をつけた。
「でもなんだって平安時代なんだ?」
「ね、不思議でしょ。ぼくはそんな時代にまったく感心はないし、そんな経験もないのに、ついさっきまで手綱で馬を操っていたんだ。しかも戦いの最中で」
「そうだ、よかったらその弓弦を見せてくれ」
 結人は頷くと二階の自室へ取りにいき、弓弦を手に戻ってきた。
「これだよ」
 哲人は弓弦を受け取ると手にしていたグラスをテーブルの上に置いた。受け取った弓弦をルームライトの光に透かすようにして見つめた。
「はっきりと解らないが、これはかなり昔のものらしい。麻をていねいに縒っているだろう。しかも漆が塗ってある」
 哲人はしばらく手にした弓弦を見つめていたが、やがて結人に真顔でいった。
「漆?」
「ああ、戦いのための弓は雨のことを考えて漆が塗られていたんだ。もちろん弦もな」
「そうなんだ」
「心がざわつくだけで済めばいいんだがな……」
 切り口のあたりをしきりに確かめながら哲人は呟いた。
「どういうこと?」
「こんなことは滅多にないんだが、なんだかとても嫌な感じがしてならない」
 哲人はそれっきり黙ってしまった。
はじめから つづく

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