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ものがたり屋 参 環 その 1

 うっかり閉め忘れた襖の影、街灯の届かないひっそりとした暗がり、朽ちかけている家の裏庭、築地塀に空いた穴の奥。

 気づかなかった身のまわりにある、隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

環 その 1

 めぐる。古からめぐるもの。
 はじまりがあり、そして終わりはない。
 新たなはじまりへとすべては繋がる。
 めぐる。それは遙か古から続くもの。いつまでも……。

 吹き渡る風がすこし冷たくなってきた。傾きはじめた陽が川面を紅く染めはじめている。
 そんな川を見つめながら、かえでは膝を抱えるようにして座っていた。手を伸ばすと小石に触れた。それを手に取ると川へ投げ込んだ。
 ぽちゃん。
 ちいさな音を立てて川面が揺れる。しかしすぐに川の流れは元へと戻っていく。
 もうひとつ小石を拾う。川へと投げ入れる。ちいさな波紋はすぐに川の流れにかき消されていく。
 今朝ほど台所で聞かされた話が頭の中をぐるぐると巡っていた。
 ──どうやら戦がはじまるらしい。
 ──戦って、大蔵館で終わったと思っていたのに……。
 ──なにいってるんだよ。あのお方たちはいつだって戦するつもりでいるんだから。
 ──でも、どこで?
 ──京だって。
 ──京って?
 ──いやだね、都に決まってるじゃないか。
 ──そんな遠くで……。
「かえで」
 呼ぶ声が聞こえてかえではのろのろと立ち上がった。くしゃくしゃになった着物の裾を直すと、屋敷の方へと歩きはじめた。
「かえで。酒の用意じゃ。早うせい」
「どなたがいらっしゃるので?」
「いや、義平殿と佐久間のふたりだけじゃ」
「佐久間さまも?」
「なにやら内密の話があるらしい。だから早ういけ」
 屋敷の下働きを仕切っている繁じいにいわれて、かえでは大きく頷くと屋敷へと急いだ。

 また、夢を見ていた。
 ときおりなんだか芝居がかった夢を見ることがある。
 なぜだろう?
 野仲楓にはまったくその理由が判らなかった。けれど、子どものころから、いつもの夢とは違って、特別な夢を見ることがあった。まるで時代劇を見ているような感じで、楓は眼醒めると、いつもいま自分がどこにいるのか判らなくなってしまう。
 手には川へ放り投げた小石の感触が残っていた。
 その右手をじっと見つめる。けれどそこにはあたり前だけど、なにもなかった。
 スマホで時間を確かめた。まだ六時を回ったばかり。出かけるまではかなり時間があった。
 楓はベッドを出ると、そのままバスルームへ向かった。洗面台の前に立つと鏡を覗きこむ。
 ちょっと寝ぼけ顔の自分がそこにいた。肩まで垂らした髪をヘアゴムで頭の後ろできちんとまとめた。前髪は額の辺りでカットしてある。顔を振るとその前髪が揺れる。
 蛇口を捻って温めのお湯を両手で受けるとそのまま顔を洗う。
 鏡には水に濡れた顔が映る。そのとき、その貌がなぜかだぶって見えた。薄らと別の顔が重なっている。長い髪を垂らしたままの顔だった。
 ──だれ?
 不思議に思って手を伸ばすと、その貌はすうっと消えていき、いつもの楓に戻った。まるでそれまで暈けていたピントがやっと合ったような感じがした。
 キッチンでサラダとトーストの簡単な朝食を作ると手早く食べ終えて、出かける用意をした。リビングテーブルに向かってきちんと化粧をする。ハンドミラーを覗きこんで確認をする。前髪の垂れ具合がちょっと気になりはじめた。
 ──そろそろカットした方がいかな。
 右を向いたり、左を向いたり、いろいろな角度でじっと顔を見つめる。やがて納得がいったのか、立ち上がると用意したバッグを肩にかけて出かけた。
 新しい学年がはじまった大学には新入生が溢れ、活気に満ちていた。キャンパス内に立つ樹木も緑がすこしずつ目立つようになり、春の陽射しだけでなく、そよ吹く風までもどこかキラキラ輝いて感じる。
 ガイダンスを終えた楓はそのままカフェエリアへと向かった。壁一面に広がるガラス窓からキャンパスが見える。樹木の間から行き交う学生たちが見える。
 楓は空いたテーブルを見つけるとそこに腰を下ろした。手にしていたミルクティーのカップをテーブルに置く。バッグからガイダンスで渡された資料を取り出すとじっと見つめた。学年が変わり、専門の講義を選ばなければいけない。
 史学科の楓はそろそろメインで勉強する時代を選択しなければいけないタイミングだった。日本史なのか西洋史、あるいは東洋史なのか。どのゼミを選ぶのか頭の痛いところでもあった。
「楓、ここいい?」
 同じ学科の天羽珠妃がテーブルの脇に立っていた。ボーイッシュなショートカットに端正な顔をしている。どちらかというと、独りでいることが多い楓とは違って、いつも多くの仲間たちといるタイプだった。楓とはたまに会話を交わすぐらいで、そこまで親しい仲ではなかった。いや、そういういい方をしてよければ、楓にはそこまで親しいといえる友だちは学内にはほとんどいなかった。
「うん、いいよ」
「気がついたらもう三年だね」
 珠妃は向かい合うように腰を下ろすと微笑んだ。
「そうだね」
 楓は頷いた。
「ねぇ、ゼミどうするか決めた?」
 珠妃が身を乗り出すようにして訊いた。
「どうしたらいいのか、さっぱり……」
「そうよね」
 珠妃は椅子に凭れるように座り直すと胸の前で腕を組んだ。
「珠妃はもう決めてるの?」
 楓は軽く首を傾げた。
「だいたい大学に入るときに、歴史の勉強するんだって決めて受験したわけじゃないから。てきとうに学部と学科選んじゃったから、どうしたらいいのかまったくわかんない」
 珠妃は楓の眼を覗きこむようにいった。
「え、珠妃もそうなの?」
「とりあえず大学に受かればいいやって」
「そうだよね」
 ふたりは互いに顔を見合わせて、やがてどちらからともなく笑いだした。
「でも、どうするかな」
 珠妃は溜息交じり零した。
 そのとき楓はふっとなにかを感じて振り返った。窓際の席で談笑しているひとりの学生の姿がその目に飛び込んできた。
 こんな経験は楓にとってははじめてだった。そのテーブルにはほかにも人がいたにも関わらず、楓の眼に映ったのはただひとりの男子学生だけだった。
 くせ毛が長めのために軽くカールしている。ゆったりと足を組んで座っていた。テーブルの上のカップに手を伸ばすと、口をつける。その彼の真向かいには女子学生が座っていた。長い艶やかな髪が綺麗だった。ふたりはごく親しげに会話をしている。さらにその近くにも女子学生が何人かいた。
「ねぇ、楓どうかした?」
 振り返ったまま、じっと黙っている楓を見て珠妃が訊いた。
「あ、ごめん。なんでもない」
 楓は珠妃の方に向き直ると微笑んだ。なんだかその笑顔はちょっと強ばってしまったことを楓は感じていた。
 ──どうしたんだろう?
 楓は知らず知らず鼓動が早くなっていくことを感じていた。
「へぇ、彼が気になるの?」
 楓の視線を辿った珠妃が窺うよな眼つきで訊いた。
「え? 違うったら」
 なぜだか顔が自然に赤らんだ。
「そうか、楓の好みのタイプってああいう人か。でもなかなかイケてるじゃない」
「だから違うって」
 楓は必死になって首を横に振った。
「いいから、いいから」
 珠妃は微笑むと頷いた。
 ──だから、違うって。そんなんじゃない……。
 それでもなにか逆らいがたいものに惹かれるように、ついまた振り返ってしまう楓だった。
 
 お替わりを、といわれてかえでは酒を満たした銚子を高足膳に乗せて部屋へと運んだ。
 部屋には義平の殿と佐久間様のふたりだけだった。膳を義平のところへ運ぶと部屋の隅に下がった。
 義平は手ずからかわらけに酒を満たすと、佐久間にも注いだ。
 部屋の隅でかえでは義平と佐久間を交互に見た。
「かえで、どうかしたか?」
 かわらけに口をつけて義平が窺うように尋ねた。
「いいえ」
 かえでは首を横に振って、頭を下げた。
「なにやら訊きたそうな顔をしているぞ?」
 義平はじっとかえでの顔を見つめた。
 かえではそっと佐久間の横顔を見てから、おずおずと口を開いた。
「あの、義平様は京へいかれるので?」
「そのことか。すぐではないが、いずれはいくことになろう。親父殿が加勢を待っているからな」
 義平は佐久間の顔を見て頷くと、佐久間もただ黙って頷き返した。
「それがどうかしたか?」
 ──戦になるので?
 そう問いたかったが、その言葉を胸の裡に収めるとただ頭を下げた。
「支度などありましたら、いつでも申しつけください」
「おお、そのときは頼むぞ。そうだ、味噌を持ってきてくれぬか。つまみにしたい」
 義平の言葉にかえではただ頭を下げた。
 改めてそっと佐久間の顔を窺う。佐久間はかえでの視線を感じたのか見つめ返すと、首を傾げた。
 かえでは頬が紅くなるのを感じながら、部屋から下がった。

 まただ。またあの夢だった。
 ベッドの上に起きると楓は両手を頬に当てた。なんだか頬が火照っている気がしたのだ。ベッドサイドにあった鏡を手に取って確かめてみる。とくに変わりはなかった。
 あたり前だ。夢の中で頬が紅くなったからといって、現実の楓の頬が火照るはずはない。はずはないと判ってはいても、なぜか夢の中の女性と自分がどこか繋がっているような気がしてならなかった。
 楓は夢を引き摺ったまま大学へと向かった。
 講義を終えるとカフェエリアへいった。正直、もしかしてという期待があった。昨日感じた胸の高鳴りがほんとうはどうだったのかを確かめたい気持ちもあった。
 空いたテーブルに腰を下ろすと辺りをぐるりと見回した。けれど彼はいなかった。
 軽く溜息をつくとゼミに関する資料を取りだして改めてじっくりと読み返した。これからどの時代を専門的に学ぶのか。西洋史や東洋史を選ぶつもりは端からなかった。やはり学ぶとしたら日本史だった。
 日本史の選択は考古学か古代、中世と近世があった。
 ──そういえば夢に出てきたのはいつ頃の話だろう?
 頬杖をつきながら楓は改めて考えはじめた。
 ──ヒントは義平……。
 楓はスマホを取り出すと『義平』を検索してみた。最初に出てきたのは『源義平』だった。
『平安末期の武将。源義朝の庶長子で源頼朝・義経らの異母兄』
 ──そうなんだ。でもなぜきちんと知らない人が夢に出てくるの?
 不思議だった。けれどその知らない人が夢の中で話しかけてきていた。
 ──なぜ?
「楓、ここにいたんだ」
 珠妃だった。バッグを抱えたままとなりに座った。
「ねぇ、判ったよ」
 珠妃はじっと楓の眼を覗きこんだ。
「え、なに?」
「決まってるじゃん。彼のことよ」
「彼って……」
「だって昨日、じっと見つめてたじゃない。まぁ、いいわ。久能結人だって。理工学部でなんでも量子力学を勉強しているらしいわ。学年はわたしたちとおんなじ。でね、仲のよさそうな娘は幼なじみなで彼女は日文なんだって。でもね、ふたりの関係はよくわかんないみたい。ただ仲がいいだけだっていう人もいれば、ふたりはデキているっていう人もいて、どっちかな」
 珠妃は楓を確かめるように見つめるとにっこりと笑った。
 楓はどう返していいのかわからず、ただぼんやりと頷いた。
「どうする?」
「え? どうするって……」
「いやだな。マジなら応援するから」
「そうじゃないの」
 そのときなにかを感じて楓は振り返った。昨日と同じように窓側のテーブルに腰を下ろす結人がその眼に飛び込んできた。その途端、胸が勝手に高鳴るのを感じた。
 ──あっ……。
「どうしたの?」
 いきなり振り向いた楓の様子を見て、やがって納得したのか珠妃は嬉しいそうに頷いた。
「ほら、また見つめちゃってるよ、楓ったら」
 珠妃はくすりと笑った。
 楓は向き直って珠妃を見ると首を横に振った。
「だから、そんなんじゃないんだって」
 ──そんなんじゃないのよ。彼は久能結人なんかじゃなくて……。
 なぜか楓は夢の中で見つめ合った佐久間の視線を、頬の火照りとともに思い出していた。
つづく

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