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10km走でゴールした後、立ち止まるのではなく少し歩いて体を落ち着かせた方がいいらしい

人生疲れたら、読書。

もしも肉体的な疲労が溜まっているなら、たぶん早めに寝たほうが全然いい。
ここで言っているのは、学校や会社での人間関係にうんざりした時とか、仕事で上手くいかなくて考え込んでしまう時とか、気晴らしにSNSや動画アプリを開いてもなんだか気が散ってしまう時のような、心の疲労が溜まっている時の事だ。

そういう人にはアロマとかサウナとか瞑想とか、アタマを空っぽにする系の発散方法が提唱されがちけれど、僕のような不器用な人間には、どうしてもそれができない。
無意識にあれこれ考え始めてしまって気が滅入り、心の疲れが取れるどころか「自分はストレス発散もできないダメな人間です」というモードにハマってしまう。

心が疲れている時というのは、だいたい「取り入れる情報が多過ぎる」時だ。
友達の発言や想像される意図が何度もリフレインしたり、失敗した原因を模索するために自分の仕事を細かく振り返ったり、数多の社会問題や匿名の人々による悪意に触れ過ぎたり。
情報を受信するチャンネルが図らずも全開になってしまい、たとえその時その瞬間には何も起こっていなくても、頭の中の思考の種が勝手に暴走して、心を痛めつけてしまう。

こういう状態に陥り、情報をシャットアウトする事すら上手くいかないのなら、情報は取り入れざるを得ないものとして、なんとかその量を制限するしかない。

そこで、読書なんです。
それも、紙の本がより良いと僕は思う。

フィクションにしろノンフィクションにしろ、読書とは著者が提示する単一の世界観・価値観に沈潜することに他ならない。
つまり、与えられる情報が質・量ともに絞られるので、情報過多で疲れてしまうリスクが少なく済むというわけだ。

なぜ紙の本が良いかと言うと、これはすごく主観的な話だけど、本を開いた時に視界がページの見開きによって閉じられ、より深く本の世界にのめり込めるような気がするからだ。
スマホやタブレットだと、画面が平面なのでこの効果が減少するし、何よりその機器の中には無数の他の世界が広がっているので、無意識に別の画面を開いてしまったりもする。
できるだけ情報を遮断したいのに、開かれた世界へアクセスできる端末を握るというのは、いわば自分で自分の首を絞めているようなものだ。

本の世界は、一冊という単位で見る限りは閉じられた世界だ。
けれど、僕たちは書店で・図書館で・Amazonで、その世界を選択する事ができる。
その意味では本もまた開かれた世界であり、可能性を広げてくれる存在だ。
世界のオープンド/クローズドは、ここでは問題にならないと言っていい。
受け取りたくもない情報へむやみに開かれるのではなく、自分の心が向かって行く世界に入り込む事で、新たな世界を与えられる事ができるのが、読書の良いところだ。

読書の更なる利点は、ある程度の時間を割く必要がある事だ。
本はいくつかの章節に分けられており、移動中などで無い限りは、各章節の節目など、区切りの良いところまで読まなければいけないという意識ができる。
時間を強制的に使用するという事は、自分を取り巻いていた困難な状況が、多くの場合改善され、解けていくという事態に繋がる。
「時間が解決する」というよくあるアドバイスは真理だと思うし、その長くて辛い「時間」を耐える術として、読書の効用に着目するのも悪くないかもね、という話だ。

なんか最近、心が疲れているなと感じたら、本屋に出かけてみませんか。
そこで出会った本は、あなたを救ってくれるかもしれません。

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