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「マリアは出かけて、急いで山里に向かった」

WYDリスボン大会参加者インタビュー


2023年8月1〜6日に行われたWYD(ワールド ユース デー) リスボン大会
教皇ヨハネ・パウロ二世の呼びかけにより始まったWYDは、今回で16回目。
教皇フランシスコになってからは第2回目となる。
世界各国から100万人以上が集まったと言われている。
日本からの巡礼団のうち、
SYM(サレジアン ユース ムーブメント)の呼びかけで参加した野村優花の むら ゆう かさんに話を伺った。

【大会テーマ】
「マリアは出かけて、急いで山里に向かった」(ルカによる福音書第1章39節)
WYD公式写真集https://www.flickr.com/photos/lisboa2023/albums)

聞き手:サレジオ会日本管区広報 中村、岡本神父

中村 WYDリスボン大会に参加される経緯は?
SYMのメンバーとして参加されたということですか?

野村 そうですね。
SYM事務局のメンバーでもあるので。

中村 SYMの事務局メンバーになるまでの経緯をお聞かせください。

野村 SYMムーブメント=運動なので、メンバーなどなくて、サレジオ家族に関係のある青年なら誰でも参加したい時に参加するっていうようなものです。事務局メンバーは関係する若者をつなげるための活動の企画や運営に関わっています。
今、私は大学3年生なんですけど、去年の4月、大学2年生の時に事務局のメンバーになったんです。そして1年位前に「SYMとしてWYDに参加することになったよ」と聞いて、それなら私もWYDに参加しよう、準備から携わりたいと思い、準備のメンバーとして参加することになりました。

中村 準備から?

野村 準備といっても、浦田神父様が主導で各所に連絡をとってくださったので、私たちは参加者を募ったり、参加者同士の仲を深めるための準備などです。準備会や交流会、パンフレットを作ったり、下準備、事前準備をしていました。

中村 日向学院のご出身と伺いました。

野村 高校までは宮崎で、大学に進学するのを機に東京に来ました。今は大学で、歯科医師になるための勉強をしています。

中村 日向学院中学校・高等学校に通われていた?

野村 そうです。

中村 カトリック信者ですか?

野村 幼児洗礼ではないんですけど、3歳くらいの時に母が洗礼を受ける時に一緒に受けて、宮崎教会に通っていました。

中村 その頃からサレジオ会の学校のことを知っていたのでしょうか?

野村 宮崎教会は大分教区の教会ですが、教会学校のキャンプやクリスマスのミサの時に田村宣行神父様(現在は調布サレジオ神学院)とか、中田神父様(現日向学院校長)がいらっしゃっていて少し関わりがあったのですが、日向学院中学校・高等学校に入学してからはサレジオ会のことを学校の行事だったり、宗教の授業とかで聞いて、どんどん知っていくって感じでした。
学校に通っている時は、「サレジオ」の繋がりの中って感じだったんですけど、大学生で上京して、そしてコロナ禍だったのもあって、繋がりがなくなっちゃんじゃないかって思っていたところに、当時日向学院の校長だった濱崎神父様が「東京にSYMっていうのがあるよ」って繋いでくださったんですね。
それと「YCC(Youth Catholic Camp)」っていう九州のカトリック関係の学校や教会の中高生のキャンプが毎年3月に3泊4日で宮崎の海の家で行われていたんですが、私が高校卒業する年はオンライン開催で、そこに参加した時に浦田神父様(現SYM担当)と同じ班になりまして。たまたまだと私は思ってるんですけど(笑)。
SYMの存在は耳にしてたんですけど、大学も忙しいし、参加できるのかなって思ってたところで浦田神父様と同じ班になって、面白そうな神父様だなと思ったんです。一緒の班になった人でLINEとか交換して、最初からSYMというよりは「四谷の管区長舘で聖書勉強会をしてるから、来ないかい?」っていう感じで誘っていただいて。それがきっかけでだんだんSYMに参加するようになりました。

中村 SYMの事務局に関わるようになったのは最近でしょうか?

野村 そうですね。初めから事務局にという感じではなかったんですけど、月一回の聖書研究会に行ったり、事務局メンバーや興味のある人で2か月に1回くらい浜松教会に行って、青年との交流だったり、炊き出しのボランティアをしているんですけれども、続けて参加してみたり、SYMの集いにも参加して。大学1年生の心細い時にたくさんSYMと関わって繋がりが出来て嬉しかったので、1年生の終わり頃に「事務局に興味ありますか?」って誘っていただいた時、特に悩むことなく事務局のメンバーになって参加しています。

岡本 事務局以外にもグループでいろいろな活動をしているのでしょうか?

野村 事務局はあくまで活動の準備やお世話をしたり、活動内容を発信するために会議をしているんですけど、参加者についてはリピーターもいれば、大学生になって急にカトリックが周りから無くなって寂しいとか、そういう気持ちになるっていう子が、信者の子でも信者でない私の友達にもいるみたいで、そういう時に人づてや公式ラインとかで「クリスマスの集いがありますよ」とか、「SYMミニ集いやるので教会来てみませんか」っていうのを送って、それを見てきてくれる人とかですね。
グループとかメンバーとかはないんです。サレジオ家族の青年たちが参加している各活動グループや人をつなげる運動全体(日本のみならず世界規模)のことを「SYM」というんです。

中村 今回WYDSYMとして参加した人はどれぐらいいるのでしょうか?

野村 シスターや神父様を合わせて36人です。
サレジアン シスターズの志願生やサレジオ会の志願生も参加しています。
事務局スタッフも結構参加できました。

岡本 参加者の対象年齢はあったのでしょうか?

野村 SYMへの参加対象は30歳以下なのですが、今回のWYD公式の対象年齢は35歳まででした。
ですので、SYM JAPAN(日本からの団体)としてのWYD参加対象年齢も35歳までとなっていました。

中村 メンバー全員がSYM JAPANの1団体として常に行動していたのでしょうか?

野村 はい。羽田空港に集合して全員一緒に行きました。
日程はAコースとBコースに分かれてはいますが、行動自体は一緒で、短い日程で帰るAコースのグループと、大会後にファティマ巡礼のパックがついているBコースです。
私はBコースでファティマ巡礼まで行きました。

A5サイズのルーズリーフで美しくまとめられた資料ファイル

中村 資料ファイルの名簿を見せていただいたところ、Aコースはサレジオやサレジアン・シスターズの志願生が多いようですね。

野村 その皆さんは、自身の教会の夏のキャンプを手伝わないといけないとかで、忙しくて。
出発は7月30日、大会自体は8月1日〜6日までですが、Bコースは8月10日までです。

スケジュール表

中村 (資料やスケジュール表を見せていただきながら)
これはすごいですね。
参加者のためにこういう資料を作られたのでしょうか?

野村 そうですね。持ち物だったり、事前準備会でみんなで考えた目標だったり、みんなの意気込みだったり。
どうして参加しようと思ったか? などを載せています。
参加の理由は申し込み段階で提出してもらっています。
WYD終了後には感想文も追加されています。その分、分厚くなっています。
これは実際に行われた日程表ですが、行く前はいつ何をやるかっていうのがあんまり分からない状態で。
イベントのタイトルだけ分かっていてあとは不明でした。
なので、終わった後に「こんなことやりましたね」っていう振り返りと、参加者みんなの感想文を追加しました。感想文もSYMのサイトで少しずつ掲載していく予定です。

岡本 野村さん、EAO(アジア・オセアニア地域)のサイトのSYMのページのどこかに名前が出てましたね。

野村 そうですね。SYMのEAO地域の若者の会議みたいなものがあって。
事務局一年目はそれの担当だったんですけど、その時期はオンラインで3か月に一回くらい交流というか、EAOの各国のSYMはこんな活動をしていますよっていう報告をしていました。
それで、今回のWYDでもサレジオ会の時間がありまして、その中で、EAOだけでなく世界のSYMの代表者の集まりがあったんです。

中村 (スケジュール表を見ながら)これですかね?「SYMフェスティバル?

野村 「SYMフェスティバル」はそれとはまた別で全員が参加するメインイベントなんですけど、SYM代表者の集まりは各国代表者1、2人が参加する交流というか交歓会のようなものでした。
その中で、それまでオンラインでしか会ったことのなかったEAO会議参加者たちとリアルで再会できて。
それが私的にはだいぶ嬉しかったというか、感動的でした!

中村 何人くらい参加したのでしょうか?

野村 100人くらいです。サレジオ会やサレジアン・シスターズの総長様を囲んで。
言語も英語のグループとかフランス語のグループとか、スペイン語のグループとか。
言葉の通じそうなグループで5〜6人ずつの班になって交流したり、話し合ったりして。

中村 野村さんはどの班に?

野村 イングリッシュグループで(笑)。スペイン語とフランス語よりかは分かるかなと(笑)。
SYMフェスティバルは、サレジオ会関係の若者が一堂に介する集まりがありまして。それがかなりすごかったですね。

中村 数千人規模ですか?

野村 何人くらい参加したのかな?
私たちが宿泊していた場所がサレジオ会の学校だったんですけど、そこだけで数千人滞在していて。
他の場所にもサレジオ会の学校があってそこにも滞在していると聞いていたので。
ドン・ボスコの9歳の時の夢」から来年が200周年で。それにちなんだミュージカルみたいなものをポルトガルの青年たちが用意していて、ステージで本格的なダンスや劇、歌をやっていました。他にもみんなでお祈り、聖体礼拝したり、その場で交流したりしてました。

中村 すごい規模ですね。宿泊されたのはリスボン市街ですか?

野村 そうですね。リスボンの一番大きい、中心の駅から歩いて10〜15分くらいのところです。
サレジオ会の小学校と中学校だったかな?

中村 世界中から集まった言語もバラバラな若者たちが同じ宿泊施設に滞在していたのでしょうか?

野村 そうです。イタリアの人がすごく多かったような気がします。ヨーロッパだからか。それにすごく元気がよくて(笑)。エネルギーがすごくて。毎晩音楽を大音量で流して、踊っている人がいるなって思っていたら、イタリアの青年たちでした(笑)。個人のスピーカーとかでちっちゃく流してるとかじゃなくて、学校のスピーカーで流してて(笑)。すごく元気をもらいました。最後は私たち日本のグループと混ざって陽気に踊ったりして。

中村 そんな状況で眠れましたか?

野村 毎日すごくたくさん歩いたんですよね。「SYM巡礼あるある」って私たちは呼んでいるんですけど(笑)。
参加する前は、最後の閉会ミサに向かう道は徒歩巡礼と決まっていて、各地に宿泊している参加者全員が会場まで歩いていくっていうのがイベントとして準備されていたことなんですけど、他の日程も毎日だいたい5〜10kmずっと歩いてて。なので夜はぐっすりでした(笑)。

中村 疲れ切って、寝る感じ?

野村 寝て、気絶してる感じです(笑)。
寝袋だったんですけど、かなり快適? 私は元々アウトドアをする方なので(笑)。

中村 「移動にバス」という規模をはるかに超えた人数が、リスボンに集まっていたのが伝わります。

野村 知らない人が見ても「何かある」って分かるぐらい、町中で各国の若者たちが自国の国旗を持って歩いてて。
市街地の有名な聖堂の前とか、若者で埋め尽くされていて。それぞれの国の言葉でおっきい声で歌ったり、「ジャパン!」とか、「どっからきたの?」とか言ってて。すれ違いざまにハイタッチして、写真撮るみたいな感じですごい賑わってて。リスボンの人たちは本当にびっくりしているんじゃないかなって思いました。リスボンの人たちは協力的だな、さすがカトリックの国だなって思いました。

中村 これまでのWYDの受け入れ都市は、カトリック色の強い場所が選ばれていますね。

岡本 次回は韓国ですね。
今回の日程を見ていたら、毎日大変だったのかなって思います。
WYD全体での催しも、サレジオ会独自の催しもあるので。

野村 それに加えて、「ライズアップ」っていう日本の公式巡礼団とのカテキズム(キリスト教の要理解説のこと)」もあって。
それはリスボン市街ではなくて、ちょっと離れた都市で行われたんですけど、それにも電車で長距離移動して参加しました。私たちはSYM JAPANの巡礼一団で行動していましたけど、参加するものは日によって様々でした。

岡本 それは、前もって分かっていたんでしょうか?

野村 プログラム自体は分かっていたんですが、場所などはギリギリまで分かりませんでした。
今思えば本当に大変でした。

中村 記憶に残るトラブルとかエピソードはありますか?

野村 本当に奇跡みたいなことなんですが、誰も迷子になったり、パスポートを無くしたり病気したりっていうのがなかったんです。
36人もいるので、パスポート再発行のための書類の持参をお願いしていたり、覚悟してはいたのですが。本当に護られてたって感じで。
海外での長い巡礼なので、どうしてもメンバーの中に体調不良とかダウンしたりとかはあったんです。
でも、長さ故に途中でダウンしてもまた復活して(笑)。巡礼期間中に回復みたいな(笑)ことは結構ありました。

中村 現地の病院にお世話になった人はいますか?

野村 私たちの中では病院には行った人はいないのですが、公式巡礼団のメンバーに聞いた話では、発熱などで病院に行っても検査などなくて、熱だったら、休んでてくださいって言われて帰されたようなんです。
最終日はリスボンにしては暑くて。40度超えだったんです。徒歩巡礼からの野宿して屋外ミサの時は。
もしかしたら人が多すぎるせいか、疲れとかウイルスかも知れないですけど、道中にいろんな国の青年が寝転んで、というか半ば倒れていて、仲間に囲まれて介抱されてるんですけど、倒れて休んでる感じで。救急車とかもかなり来ていて。だから、病院がパンク気味だったのではと思います。
私たちのメンバーでも病院こそ行かなかったんですけど、閉会ミサの後に熱中症で救急隊の人に来てもらって、テントの中で休ませてもらってる場面とかありました。今思うと、過酷ですね。

中村 何もなく無事にというイメージでしたが、中々過酷な巡礼だったようですね。

野村 時間が経つと、全部いい思い出みたいになってしまって(笑)。
私はかなり丈夫な方なんですけど、みんなはかなり大変な思いをしてたみたいで。

中村 40度超えていたというのは、その日だけですか?

野村 リスボンに着いた日はヨーロッパの地中海性気候でカラッとして涼しいなと思いました。
日陰に入ると涼しい風が吹いて、過ごしやすいなって感じたんですけど、滞在する日毎に気温が上がっていってました。
若者たちの熱気の影響でしょうか。

中村 閉会ミサの会場は何もない平原のような場所だったのでしょうか?

野村 丘陵になっていて、それぞれの国の団体に割り当てられた区間に向かっていくんですけど、会場が本当に広くて、端まで見えないんです。地形も凸凹していて。
教皇様がミサされたり、お話しされたりするステージは一番前にあるんですけど、全員が見られるわけではなくて。
でもスピーカーやモニターなどはそこらじゅうにあるので、それ越しに見る形でしたね。本当に広くて。
私たちはかろうじてステージがちっちゃく見えるいい席、AゾーンというかAグループの区画で見れたんですけど、それでもだいぶいい席で。地面も草が生えてるところもあれば、岩とか、砂と石の場所もあって、人も密集して混沌としていました。

SYM JAPANのメンバーたち。閉会ミサの会場にて

中村 世界中の若者がそこらじゅうにいる状態ですよね。

野村 区画が線を引いてきっちり分かれているわけではなく、だいたいこの位置に来てくださいねっていうくらいで。
私たちは遅めに出発したので、到着した時には場所がほとんどなくて(笑)。既に他の国のレジャーシートとか引いてあって。
どうしようって思いながらも、親切なドイツの青年に場所開けてもらったり、イタリアの人に「本当にすみません」って言いながら荷物をどけてもらったりして、ちょっとずつ交渉して頑張って場所を空けて、そこに身を寄せ合って折り重なって寝ました。
本当に空がそのまんま、夜も星が見えたかなって感じなんですけど、朝起きたら、目の前がすぐ空っていう(笑)。
明るくなっていくことで、起きるっていう野宿でした。

中村 そんな広い野外で、折り重なって寝るという状況がすごいですね(笑)。

野村 中々ない経験でしたね。野宿って言っても、静かな森の中じゃなくて、朝5時くらいから夜寝るまでの間、爆音で音楽が鳴っていて、朝はDJの神父様の音楽で目覚めるんです。
トードス(Todos=皆さん)」って教皇様の声が入ってたり、アレルヤの音楽だったり、WYDのテーマソングとかが織り交ぜられたすごい胸熱なリミックスで。その場でDJをやってるんです(笑)。

中村 ノリがすごいですね(笑)!

野村 そうなんです(笑)。若者の集いなんだなって実感しました。
今まで知ってたカトリック教会って、落ち着いて静かに祈るっていうイメージだったんですけど、今回WYDでかなりエネルギーを感じました。
日本の中にいると少人数でやってる感じですが、世界だとここが中心か!って言うようなかなりのエネルギーをもらいましたね。

中村 カトリックの信仰でも、若者のエネルギーをそのまま表現していいと。
日本だと年配者に忖度そん たくすることを教えられてしまいますね。

野村 気を遣うというか、やっていいのかな?っていうのがあると思うんです。でも、そこは本当にエネルギーを、喜びを爆発させて歌ったり、叫んだりしていいんだと。
それくらい騒がしいのに、前日の聖体礼拝と次の朝の閉会ミサどちらも教皇様がいらっしゃって、祈る時は会場が一斉に「シーン」って静かになって。150万人の若者たちひざまづいて祈るんです。一斉に同じ神様、同じところに向かって祈るんです。
明るいエネルギーの爆発の時と、静かに祈る時が瞬く間に変わるんです。そして、祈りが終わるとまたエネルギー爆発ってなって。
すごい感動しました! 特に祈っている時に。
祈る姿も、日本で見るよりもすごく敬虔で、跪いて祈るのがごく当たり前なんです。
聖体礼拝始まる前までは、誰かステージで話をしてる時でも寝てたり、教皇様が話してる時には流石に寝てる人はいませんが、寝っ転がってお菓子食べてたのが「さあ、今だ」ってなると、跪いて祈っている。

閉会ミサの舞台

中村 気になった若者の団体などはいましたか? 閉会ミサの時などに。

野村 私たちがいた場所の隣はドイツ、イタリアの若者だったのですが、結構感動したのが、着いた時点で区画がかなり狭くて、最初イタリアの人たちは自分の寝床確保しなきゃいけないから「そこは俺たちの場所だ」ってなってたんですけど、同じグループの他の人がそっと来てくれて「あんなこと言ってるけど、場所は空けてあげるよ」って言ってくれて。
よくある音楽フェスとか、教会行事以外では割と自分優先で場所取りするのが普通ですが、それだけ盛り上がってる若者がたくさんいて混沌としている中でも、譲ってあげられるのは親切だなあ、WYDに来てるだけあるなあって感じました。
最初「ここは俺の場所だ!」って言われた時は驚いて、「あぁ、どうしよう!」ってなったんですけど(笑)。大丈夫だったなって。
ドイツの人とかもちょっとずつ譲ってくれて。隣になったらそれぞれのお菓子を交換したりしました。ドイツの青年も、私があげたお煎餅を「変な味だな」って顔しながらも食べてくれたりして(笑)、折り紙教えたり。そういうのはありましたね。
あと、広い会場で配給のような食料を受け取りに行った時、パスを見せると、缶詰や栄養剤、りんごやパンとかソーセージが、たくさん入っているトートバッグを一人1袋いただけて。ポルトガルのスーパーと提携してたみたいなんですが、あんな溢れんばかりの人数に配布していたのは感心しました。
夜それをもらいに行く途中、南米かアフリカ系だと思うんですが太鼓のような音が鳴って踊ってて。
全然違う国というか、異国に来たなって(笑)。あっちにはアフリカ系の音楽が流れててこっちでは南米系の音楽が流れてるとかいうのは面白かったですね。

中村 普通じゃない状況ですよね。

野村 よく、事件とかもなく実現できるなって思ったんですけど。

中村 そういった体験ができたのは素晴らしいですね。閉会ミサの時は教皇の姿は見えたのでしょうか?

野村 ミサ中は主にモニター越しですが、会場に来られる際、パパモービルに乗って近くの道を通る時は本当に目の前にいらっしゃいました。道沿いを若者が囲んで、仲間に持ち上げてもらって上から見ていました。周りの人たちもみんな肩車やおんぶをしてました。
みんな国旗を振って「パパ フランチェスコー!」って叫んでました。その時が一番教皇様を近くに見られた瞬間でした。

中村 直近で見られたのは幸運でしたね!

野村 新約聖書で書かれているイエス様を囲む群衆みたいになってました。ザアカイのような気分ですね。
その場にいた人みんな教皇様見れたのかな? 見られなかった人がいるかもしれないです。

中村 写真は撮られましたか?

野村 はい、動画と写真を撮りました。

パパモービルに乗ったフランシスコ教皇
目の前を通るのは本当に一瞬だ
歓喜に沸く若者たち

中村 会場の雰囲気は、言葉からは想像できないですね。

野村 これは、野宿の様子なんですけど、みんな寝袋敷き詰めて寝たり、SYMのツイッターがわかりやすいかも。
日程ごとに記録を出しているので。

岡本 ツイッター係がいたのでしょうか?

野村 ツイッター、インスタサイトFacebookでそれぞれ事務局スタッフが担当していました。

中村)
ドン・ボスコ ジャパンの旗も持って行かれたんですね。

2015年のドン・ボスコ生誕200周年の際に作られた旗

野村 SYM JAPANの対外的な意味だけではなくて、メンバーが迷子にならないための印だったんです。目を離すとすぐ迷子になっちゃうくらい密集してて。閉会ミサ会場に行く途中でも、持ち物検査場に向かう途中で別れてしまいそうだったので、お揃いの目立つオリジナル デザインのTシャツを着て行ったんです。色違いで何色か用意していたんですが、この日は迷子にならないように特に目立つエメラルドグリーンで統一して、日本の国旗も持って行きました。

お揃いで用意したエメラルドグリーンのTシャツ

中村 確かにこれならすぐに仲間を見つけられそうです。
こちらの写真は、サレジオ会の総長、フェルナンデス神父でしょうか?

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス神父

野村 宿泊していた学校の横に管区長館があって、総長様も泊まられてたんです。気が付くと総長様がいらっしゃって、「オー、ジャパン! また会ったね!」って言ってくれて。
毎日輪になって分かち合いをしていたんですが、閉会ミサ後のこの日は分かち合いに来てくださって、私たちSYM JAPANのメンバーに向けてボナノッテ(イタリア語で「おやすみなさいの意。サレジオ会の伝統で、寝る前の講話の事)してくださって。浦田神父様が翻訳してくださいました。その後、時間をかけて全員とハグや握手したりしてくださって。すごかったです総長様。貴重です。

中村 2023年9月に枢機卿*になられたので、もう中々会えなくなってしまいますね。

*枢機卿:カトリック教会において教皇に次ぐ高位聖職者。教皇顧問としてその補佐に当たり、教会全体に関わる職務を担い、教皇選挙権をもつ。

野村 WYDから帰ってきて、割とすぐですね。

岡本 何か総長様の言葉で特別に心に残っていることとかありますか。

野村 時間をかけて一人ひとりと向き合って挨拶やハグしたりしてくださったのが印象に残っています。
総長様ってちょっと遠い存在に感じていたんです。
2018年に日本に来られた時、私は中学生だったのですが、日向学院で一度お会いして、東京で行われた中高生の集いでもお会いしたんですが、「すごい人だ」とか、「遠い人」がいらっしゃってるくらいだったんです。
でも今回は本当に近くて。親しみを込めて、いろんな国の人に話しかけてて。
メンバーの中に顔を覚えてもらってる人がいたんです。もう3、4年前経ってますが、来日の際ミサの中で答唱詩編の歌を担当した人がメンバーの中にいて、その人を見て、「あなたの歌、覚えてるよ!」って! ちゃんと一人ひとりを見ていらっしゃるんだなって思いました。
ボナノッテをしていただいた中で、私にとって印象的だったのは、「みんな一緒に困難を経験して、嫌な気持ちになるのもいいものだと分かりましたね」とおっしゃってたんです。その日は閉会ミサの後だったのでみんな大変な思いをして帰ってきた後で結構疲れてたんです。
私はこの旅を「WYDだから、大変な部分はできるだけ見ないようにして、大変なこといっぱいあるけど、いいこともいっぱいありますね」って捉えようと考えてたんですが、総長様は、「大変な思いをして嫌な気持ちになる」ことすらも神様の目から見たらよいものだとおっしゃってて。「確かに!」と思いました。そこは覚えています。私にはなかった考え方をそこでもらって。
その時、体調不良で部屋で休んでた人もいたのですが、「せっかく総長様がいらしてるのに、この場に居られなくてすごくかわいそう」という残念な気持ちになっていたところでその話を聞いたんです。それが印象的でしたね。

中村 辛い経験、大変な思いも神様にとってはよいものだと。

野村 信仰が深いですよね。

岡本 フェルナンデス神父は管理職経験が豊富で、
アルゼンチン管区長をされていた時に国中の複数ある管区の統廃合もされているので、
辛い経験をたくさんされてきたのだと思います。

中村 人間が大きい、と感じますね。

野村 本当に。体も大きいですし(笑)。
実際に会うとみんなが頼りたくなるような、包み込まれるような安心感があります。

中村 サレジオ会の関係者としてのWYDへの参加は、教皇様に会うだけではなく、サレジオ会の総長様、サレジアン・シスターズの総長様に会うことも一つの目的でしょうか。

野村 はい、大きな目的でした。
行く前からも思ってはいましたが、帰ってきて振り返ると、世界中の若者との交流も嬉しかったし新鮮だったんですが道ゆく人は一瞬だけ。その一瞬で心が通じたっていう喜びなんですが、サレジオ会パートSYMパートの催しでは、これまでにリアルやオンラインで会ってきた人との再会っていう意味もありますし、総長様を中心としてこんなに若者がたくさん繋がってるんだっていうことを体感できて、これからにも繋がるような濃い経験ができました。

中村 サレジオの世界的な繋がりを肌で感じて来られたんですね。

野村)
そうです、世界中の人が集まる中で、たまたまサレジオ関係の人と会うと、「オー、サレジアン!」って本当に喜びあう。
親戚にあったみたいに。

中村 他の日本からの巡礼団とは違う部分ですね。

岡本 そのサレジオ会パートがない年も過去にはあったんです。2011年はなかった。

野村 「ライズアップ(日本の公式巡礼団とのカテキズム)」での公式巡礼団との繋がりもありました。元々3日間予定で都合上2日間になりましたが、その中で赦しの秘跡や分かち合いをしました。私は「SYMフォーラム」参加のために1日だけ参加しました。
行く前は、「公式巡礼団のメンバーだったら、日本でも会えるのにリスボンで会うのにはどういう意味があるんだろう?」って考えていたんですが、帰ってきた後、みんなに一番印象に残ったことを聞くと「ライズアップ」がよかったっていう人もいたり、SYMというかサレジオ関係の催しがよかったっていう人もいたり。
色々なグループと繋がって一緒の時間を過ごしたのが、結果的に充実感に繋がったのかなって思います。
準備とか移動は大変だったんですけど。

中村 「ライズアップ」の会場のある場所まで離れていましたよね。

野村 電車で1、2時間くらいかけて移動したと思います。
公式巡礼団の人たちは本大会前まではずっと個人宅にホームステイしてたって聞きましたね。

中村 日本から持っていったり、リスボンから持ち帰ってきた思い出のものなどはありますか?

野村 行く時に持っていったものは全部あげてしまいました。
WYD参加経験のある三島神父様から、「出会う人と小さいお土産を交換するんだよ」っていう話を行く前に聞いていたんです。道ゆく人や一緒に写真を撮った後に必ず、「エクスチェンジ!」っていって、何かお土産を交換しようっていう文化があって。なので、和服を着てるマリア様のご絵をみんな10枚ずつ持っていったんですが、全部なくなってしまいました。
参加し慣れてる国の人たちはミサンガラバーバンドリボンなんかを持っていました。
同じサレジオ会の学校に泊まってたウクライナの青年たちからもらったリボンの形のものだったり、そういうの交換しあって。
小さい旗を交換するみたいなのもあったのですが、準備していなくて。Tシャツや旗を交換するとか、バッジとかプレゼントを交換していました。これはフランスの巡礼団のですね。"JMJ"って「WYD」のことです。
数え切れないくらいの人と話しをしました。

交換して持ち帰ってきたミサンガやリボン、ラバーバンド。ウクライナのものもある
フランスの巡礼団と交換した旗「lève toi !」は「起きて!」の意
現地で配られた帽子

中村 今回のWYDのキーワードというかテーマがありますね。

野村 「マリアは急いで、立ち上がって山里へ向かった」ですね。
いとこのエリザベトの訪問がテーマですね。よい急ぎみたいなのがテーマでした。

中村 派遣されていくという意味でしょうか?

野村 立ち上がって、自分で向かうっていうのがテーマになっていました。
テーマソング「はやる気持ちで」があります。
4か国語くらいの歌詞なんですけど、先日の報告会(2023年10月7日)で頑張って歌ったりしてました。

岡本 テーマを振り返るような時間や場は準備されていたのでしょうか?

野村 場所に向かうまでの道程や集合場所はフェスティバルっていう感じですが、毎日黙想する時間、話を聞いて思い巡らす時間がありましたね。毎日誰かしらの説教、教皇様や日本の他の司教様、総長様の説教で何かヒントをいただく機会があって、宿泊施設に戻ったら輪になって分かち合いをする。移動中の時もありましたが、その日に得た学びや聞いたことから、自分がどういうふうに感じたかっていうことをアウトプットできて。マリア様のテーマだったりは、大会通して一貫して思い出せるようになっていました。

中村 そこが巡礼らしいところですね。

野村 開会ミサは教皇様ではなかったですが、歓迎式典があって教皇様が話をしてくださいました。
これもかなり若者が集まるんですけど、閉会ミサに一番人が集まっていました。

岡本 教皇の姿から何か感じましたか。

野村 後で人から聞いて知ったんですが、教皇様かなり体調が悪かったそうです。見ててもそう思いました。それでもずっと手を振って笑顔なんですよ。教皇様もそうだけれど、周りの若者も教皇様への思いがすごいんです。名前を呼んで「こっちを見てください!」って。
でも、教皇様に会いに来てるというよりやっぱりイエス様に会いに来てる感じに私には思えました。教皇様はイエス様じゃないのは分かっていますが、有名人だから会いたいではなく、信じてるものの指導的な立場にある人だから、そういう熱意みたいなのが出ているのが印象的でした。

中村 カトリック国では特にですが、教皇を「パパ」、マリア様を「お母さん」と呼ぶ。
家族として見ている。愛情のかけかたも家族同然ですね。

野村 そう感じました。「パパ フランチェスコ!」って声かけて。教皇様も「来たよ!」って。イタリア語なのでよくはわからないですけど、青年達が、「教皇様の若者がここにいます!」というコールを会場のあちこちでやっていました。
教皇様の閉会ミサの説教は、今回スペイン語だったんです。イタリア語だったら、(浦田神父様が)訳してくださっていたんですが。現地では教皇様がおっしゃってる内容が分からなくて、そこだけ悔しかったです。
でも、説教がスペイン語だったことで、その地域の人はすごい喜んでて! ポルトガルの隣がスペインだから、スペインの人もすごいたくさんいましたし。
帰ってきて、SYMの報告会のためにまた2回ほど集まって感想を話したり、報告会の準備をしたんですが、その時に説教を日本語訳してくださったものを改めて読みました。

中村 印象に残った言葉などはありますか?

野村 私が印象に残ったのは、「どんどん質問してください、恐れないで」という言葉です。「恐れないで」っていうのを何度もおっしゃってるのが印象的でした。「恐れないで」っていうのは、「何かするのを」っていう意味もあるんですが、教会の中で質問をすること、疑問を持つことを恐れないで欲しいという事をおっしゃっていました。
仲間とも話してましたが、教皇様がそういうことをおっしゃるのってすごいなって思って。
疑問というか、ただ信じて従うっていう形の信仰もあると思うんですけど、今回見たエネルギーが溢れた若者に対して、疑問を持つことを恐れないで、ずっと自分の中で問い続けたり、周りに聞いたり、っていうのをおっしゃってたのがかなり印象的でしたね。

中村 最近の公的メッセージや文章によく現れているキーワードですね。
最後に、
帰ってきてから、数か月程経ちますが、自分自身の変化や未来の展望などありますか?

野村 今一番思っているのは、感じて持って帰ってきた若者のエネルギーみたいなもの、世界のカトリックの、サレジオももちろんだし、カトリック全体のこんなにエネルギーがあるんだぞっていうのを今回知ることができたので、それを日本の中学生高校生でもいいし、同世代の大学生でも伝えていかなきゃいけないなって思ってます。
WYDに行ってきたよっていうと、地元の教会でも「どんな風だった?」って聞かれることも多いし、SYMの中でもいけなかった人もいるんで話したり、サレジオ家族の集いで発表したりって。得たものをアウトプットする機会がこの2か月でかなりいただいてて。
自分が滅多にできない経験をして、いい経験だったなって思うだけじゃなくて、こんなふうに新しく知ったことがあったよとか、こんなエネルギーがあるよっていうのを、言葉だったり写真とかでもいいし、これまで以上にエネルギッシュな関わり方とかで、伝えていきたいなって思ってます。

(終)

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