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小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(13)


13






 ピーターシャム・ホテルのトイレの前は割と広めな空間で、白地に鮮やかなブルーの花柄をあしらったモノトーンの壁に囲まれ、お洒落なドレッサーとソファが設えである。其所はまるで宮殿のプリンセスのお部屋みたいな場所だ。
 そんな場所でビーチサンダル履きの巨漢の男が深々とソファに座り、目の前の花柄の壁を真剣に見つめながら電話をしていた。端から見るとそれはなかなか奇妙な光景だった。
 電話中の男はBSCの技術開発セクション主任技師のトッド・マクガイヤーことビックマック、そして電話の相手はレナ・シュミットだった。
「――あれは私がまだ米軍に所属していた......」
 電話の向こうでレナが静に語り始めた。

 それは彼女が狙撃手の訓練教官として日本のキャンプ座間に赴任していた頃の話だった。
 あるパーティーで彼女は共通の知人から一人の男性を紹介された。 
 その時紹介された男性が、ジョン・アリシマだった。 
 当時のジョンは、日本の某製薬会社の研究員で、バイオテクノロジー分野における先端医療や新薬の研究開発をおこなっていた。
  偶然このパーティーで出逢った二人は、互いに何か惹かれ合うものを感じていた。そしてその後二人は急速に接近していったのだった。
 しかしジョンは既婚者だった。イギリスに妻と生まれたばかりの娘を残し、彼は日本に単身赴任で来ていたのだ。
 レナとジョンは、二人の関係が周りに知られないように密会を繰り返した。世に言うところの不倫関係だったのだ。
 そんな恋愛が長続きするはずもなく、程無くしてどちらかともなく別れを告げることになった。
 その後レナは、中東の紛争地域に展開している部隊へ転属となり、それ以降はジョンに会うことは無かった。

 電話でレナのそんな過去の恋愛話を聞かされたビッグマックは少し戸惑いを感じていた。何故ならBSC創設期より長年レナと共にしてきた彼にとって、彼女のプライベートな打ち明け話は今回が初めてだったからだ。

 ジョンとの別れから月日が流れ米軍を退役したレナは、イギリスに渡ってロンドンでBSCの前身となる警備保証会社を立ち上げた。その頃、彼女は再びジョンと会うことになる。
 ジョンの妻が突然の病に倒れ亡くなった事、また一人娘が先天性の難病を抱えており彼の携わっていた研究が娘の治療に効果的だと判明した事、そして娘の治療に専念する為に日本の製薬会社を辞めてロンドンに戻った事をその時レナは初めて聞かされたという。
 そんな折に遺伝子治療分野における彼の研究成果が学会で認められ、その結果として、彼は機関投資家の注目を浴び、延いてはアレイオーングループの後ろ盾で、株式会社アリシマノーラン製薬を設立する事となった。そして彼は業務執行取締役 (マネージング・ディレクター :MD)に就いた。

 アリシマノーラン製薬はその独創的な研究内容で、先端医療において数多くの功績を残した。その延長上で、イギリス国防省(MOD)や秘密情報部(SIS<MI6>)関連の機密研究にも関わるようになったという。
 その一つが、ジョンが特に注力していたアッセンブル・エヴォリューション・テクノロジーに基づく研究成果で、兵士やエージェント(諜報員)など生身の人間がおこなう命の危険と隣り合わせの任務を、人工的に造られた(外見上は全く人間と同じでありながらも人間以上に強靱な肉体と頭脳を有する)新造人間、通称『ネオロイド:NEOROID』という現代版ホムンクルスに置き換える事だった。しかしながら、そのクローン・オルタネイティブとも言える研究は、倫理面における問題点が多く、その研究成果が世間に晒されることは無かった。
 そして其の研究があと少しで完成するという矢先だった。彼は何者かの襲撃を受け、多くの謎を残して行方不明となった。
 英国政府機関によって情報統制されているが、彼が娘の治療のために使っていたという別荘の地下研究室から、娘のジーン・マトリクス(遺伝子配列情報)を転写した6体の実験素体も何処かへと消えていた。
 ビッグマックはこれらの事実や事件については、(BSCで訓練中のアカリが当該の娘だと言うことも含めて)レナから以前より内々で聞かされていた。
 そして、その中の実験素体の一つがラディソンの店『ネオ・フォービドゥン・プラネット』でクラブシンガーとして歌っていたジューシー・パインなのは間違いない。
 謎の多い新進気鋭の実業家ミスター・ラディソンが、その実験素体をどのような方法、またどのような経緯で入手したのかは不明だが、実験素体が欧州の裏社会で人身売買取引された可能性もあるのだろう。
 行方不明となったジョンの捜索と共に、ラディソンの素性についても現在調査中だという事だった。

 ビッグマックが電話を切ろうとしたその時だった。
 会議がおこなわれている大広間の方から悲鳴が聞こえてきた。
「ん? 何事だ!」
 透かさず立ち上がったビッグマックは、スマートウォッチで時間を確認した。午後3時だった。彼は耳に付けたインカムのスイッチを押しながら、ホテル内を監視している警備本部車両のスタッフを呼び出した。
「何があった? 状況を説明しろ!」
「判りません。監視映像が突然切れました。状況が把握出来ません」
「いつからだ?!」
「ほんの数十秒前です。ゲストシンガーの歌が終わった途端、大広間内に設置している自動警備システムのカメラ映像が途切れました。ログデータも上がってきません。遠隔操作による強制アクセスも受け付けないようです。現在、システムを手動で復旧させるため現場にスタッフを向かわせました」
「わかった! 俺も現場の状況を確認してからそっちに戻るが、万が一を想定して警察にも連絡を!」
 ビッグマックはそう指示をすると大広間に向かった。



 
 
「――よう、マット! 気がついたかい? もう大丈夫なようだな」
 少し嗄れたその声には聞き覚えがあった。
「……ん、サミーか?」
 情報屋のサミー・ジェイが目の前に居た。マットは上体を起こそうとした。
「おっと、無理するな! 腹を撃たれたんだ。幸いにも命には別状ないようだが」
 彼の記憶が薄らと甦えってきた。
 マットはアレクサンドラ・ロード・エステートの裏手で撃たれて気を失ったのだ。何者かに狙撃されていたアレイスターを救出中の出来事だった。
 記憶が甦ると次第に腹部の辺りに鈍い痛みが襲ってきた。恐る恐る傷口に触れてみると既に止血の処置が施され包帯が巻かれていた。
 マットはサミーに支えられながら上半身を起こすと、キョロキョロと辺りを見渡した。其所は多分倉庫か何かなんだろうか。自分が寝ていたベッド以外何も無い部屋だった。天井の強力なLEDライトで照らされた部屋は床も壁も全てがパールホワイトで眩しく、それはまるで吹雪の中を車で走行した時に生じるホワイトアウトみたいな感覚で、部屋の奥行きや全体像がはっきりしない。
「……此処は何処だ?」
 朦朧としながらもサミーに問い質した。
「さあな、俺も目隠しされてこの場所に連れて来られたからな、アレイオーン銀行が入っているビルの17階のフロアの一室なんじゃないのか? 倒れていたお前を、俺が連中に頼んで一緒に運んでもらったんだ。ありがたく思え!」
「――確か……そうか思い出したぞ! あの女……アレイオーンのヴィッキーだったな。彼女が俺達の目の前に現れて……そうだ、アレイスター! 彼は何処だ? 無事なのか? 一体全体、ん? ところで何でお前が此処に居るんだ?」
 その時、部屋の片隅にある扉が開いた。其所にはアッシュベージュのカーリーロングヘアとエメラルドの瞳の美しい女性が立っていた。
 マットはその顔に見覚えがあった。
「――あんたは!!」
 紛れもなく、アレイオーン銀行システム部門担当主任のヴィッキーだった。
 彼女は部屋に入るなりサミーに話しかけた。
「今しがた、儀式に必要な供物が確保出来たという連絡があったわ。全て貴方が我々に提供してくれた情報のお陰よ」
「――情報だと? サミー、お前! どういうことか説明しろ!」
 マットはサミーに訊いた。
「そうだな。今回は君ら保安局(MI5)ではなく、彼等に情報提供させてもらったんだ」
「何だって! 冗談だろう?」
「まあ、情報を売るのが俺の仕事なんでね」
「いいかよく聞け! サミー、彼等が何をしている組織なのか解ってるのか?」
「ああ、幾分かは理解してるつもりだがね。なあマット、彼等がこれからしようとしている事は新しい世界の創造なんだ。其れは我々にとってはとても喜ばしい事なんだよ」
「サミー、お前一体全体何を言っているんだ? どうかしたのか? 若しかして此奴等に洗脳でもされたのか?」
「いや、俺は至って正常だぜ。別段彼等に何かされた訳じゃ無い。いいかいマット、俺はこの持って生まれた千里眼という特異な能力の所為で、今までお前や、保安局(MI5)の連中に監視されたり利用されたりしてきた。だがな、そんな生活は正直もう飽き飽きしたんだ。――するとどうだい? 偶然にもお前が俺の店に連れてきたアレイスターのお陰で、どうやら俺にもチャンスが巡ってきたって訳だ。こりゃあ世界中がひっくり返るような素晴らしいチャンスだぜ! どうだ、お前もこっち側に来ないか?」
「オイ、冗談だろう?! アレイスターは何処だ? 彼は無事なんだろうな!」
「彼なら今、別の場所で重要なチェックを受けているところよ。ご心配ならお見せするわ」
 ヴィッキーが言った。すると、今まで壁だった目の前が突然左右にスライドして通路が現れた。
「さあ!」
 ヴィッキーに促され、マットはヨロヨロと立ち上がり腹部を押さえながら目の前の通路を目指した。
 通路を少し進むと、壁一面が分厚いガラス張りになった場所に出た。そのガラスの向こうは手術室か実験室のような広い空間で、その部屋の中央の歯科治療で使われるような上体可動式の椅子に座った一人の男性に数多くの精密機器から出ているチューブや電線が繋がれ、白衣を着た何人かが慌ただしく動き回っていた。
「よう、生きてたか?」
 突然背後から現れた鼬顔の男がマットに声を掛けてきた。
「お前は確か……ジェレミー・コリー?!」
 マットは並外れた記憶力を持つスーパーレコグナイザーだ。MPCの犯罪歴のデータベース内に登録してある犯罪者の顔を全て憶えていた。
「ほほう刑事さん、俺ってそんなに有名なのかい」
 ジェレミーは薄気味悪い笑みを浮かべながら近付いてきた。
「麻薬(ヤク)の密売人が何故こんな所に?」
「刑事さん、俺の仕事は麻薬の取引だけじゃ無いぜ。俺はコッチの腕も買われて此処にいるんだ」
 ジェレミーは自分の右手の人差し指と親指を伸ばし拳銃の格好をしながらそう言った。
 確かに彼は、過去にオリンピックのライフル競技の国内強化選手に選ばれたことがあったのだが、ドーピング疑惑と素行の悪さから強化選手指定を解除され、スポーツの表舞台からも追放されされたのだった。
「刑事さん、生きてるのをありがたく思うんだな。急所を外してやったんだぜ」
「お前か!」
 自分を撃ったのがジェレミーだと判ると、マットは殴りかかった。しかし腹部の痛みで全く力が入らず、彼の拳は空を切って、その勢いで体勢を崩してしまった。
「おっと、まだそんな元気があるのかい。もっともあんたの相棒は瀕死の状態だがな」
「なんだって?」
マットは窓の向こうの男をもう一度見なおした。そこに座っていたのは紛れもなくアレイスターだった。
「どういう事だ!」
「まあ、おとなしく見てんな」
そう言うとジェレミーはガラスの向こうに合図を送った。
 中では白衣のスタッフが何らかの薬品が入った注射器をアレイスターの腕に注射していた。
「俺が特別に仕入れた中央アフリカ産の麻薬(ヤク)を注射しているところだぜ。かなりハイに跳べるクスリなんだが、麻薬の供給元だったゲリラ組織が、たった独りの女コマンドーによって壊滅させられたんで、今は入手が大変なんだ」
 ジェレミーが自慢げに話した。
「今、彼に投入されたのは、中央アフリカの原住民が伝統的な催事や儀式などで使用されている特殊な麻薬物質で、人体に強力な幻覚作用を及ぼします。幻覚を見ながら徐々にバイタルレベルが下がっていって、間もなく臨死状態に入ります」
 ヴィッキーがジェレミーに続いて説明を始めた。
「彼はかなり特異な能力者で、その能力は臨死状態に陥ると発動します。彼が生命維持の為に発動する驚異的な自己回復能力は、この能力に由来するものだと考えられます。以前彼が瀕死の状態でアリシマ・ノーラン記念財団総合病院に運ばれた時、我々が特殊な環境下で、彼を精密検査をしてをて判った事ですが。そして、その能力の持ち主を我々は……」
「――フラットライナーか?」
 マットが咄嗟に応えた。
「フラットライナーをご存じでしたか」
「ああ、知っているとも。保安局(MI5)では彼のように様々な能力を持つ者達を監視下において保護・観察しているからな。彼のように死の危険に陥ると肉体に驚異的な回復力を発動する者を、我々はフラットライナーと呼んでいる。ただし臨死状態では何分も持たん。早く蘇生しないと彼は死んでしまうぞ!」
 マットが心配そうに言った。
 その時、白衣のスタッフがモニターを覗き込みながら叫んだ。
「バイタルライン、フラット。第二波動低下してます。急速に上昇する第三波動を検出!」
「刑事さん、あなたは彼をよく解ってないようですね。回復能力が人より勝っている事だけが彼の能力の全てではないのです」
 ヴィッキーはそう言うと、アレイスターの頭上の空間を指さした。
「主任、エキゾチックマターの発生を確認しました」
 白衣のスタッフ達の動きが慌ただしくなった。 
 すると、彼女が指し示した空間に重力を完全に無視して空中浮遊する、黒い球体のような物が突然発生した。<のような物>というのは、通常その周辺光が円に映り込むことで球体だと認識できるのだが、そこにある物はそうでは無かった。漆黒の影がどの方向から見ても真円なので球体と判断しただけで、若しかしたら空間に生じた穴なのかも知れない。
 その得体の知れない黒い特異点は、接触した空間をまるで内部に取り込むように次第に拡大成長していた。成長するにつれて球体の外周空間に青色のプラズマ放電のような現象も起き始め、その周りの空間は次第に歪曲し赤く光り始めた。
「何だ! 何が起きてるんだ?」
 目前で発生している奇怪な現象にマットは驚いた。
「――これが、強力なメイジクラフト(魔術)によってのみ生成可能とされるタンホイザー・ゲートなのか? 日本人の俺から見たら、妖怪バックベアードだな」
 マットの横に居たサミーが呟いた。
 子供の頃に見た、妖怪(という日本のモンスター)の出てくるテレビアニメ番組をサミーは思い出していた。それに登場した巨大な西洋妖怪がバックベアードで、巨大な黒い球体で幾つもの枝のような触手が放射状に生えた一つ目のバックベアードが、今目の前に発生した現象に似ていると彼は感じたのだ。
「――タンホイザー!? バックベアード? 何だそれは?」
 サミーの呟きにマットが反応した。
「そうよ。これこそが彼の心象風景を具現化……つまりリアリティマーブル<固有結界>を生成することで出現する時空の出入り口、タンホイザー・ゲートです! さあ、よくご覧なさい」
 ヴィッキーがそう言うと、大きく成長した球体の中心部に何やら人影らしき影が、しかも複数現れてきた。
 その影の一つがこちらに向かって腕を伸ばすと、その腕がゆっくりとこちら側の現実空間で実体化してきた。そして腕に繋がる体や顔も徐々に実体化し始めた。それはまるで手品を見ているようで、その空間に存在しなかった人間が突然次々と現れ始めたのだ。
「お帰りなさいませ。オーエン卿」
ヴィッキーは最初に実体化した一人の男に手を差し伸べた。
「うむ。どうやら第一段階は成功したようだな」
 ヴィッキーの差し出した手を取った男、それは紛れもなくリッチモンドのピーターシャム・ホテルでアレイオーン・ファイナンシャル・グループの定例会議に現在出席しているはずのサミュエル・オーエンだった。そして、その後ろには疲れ切って疲弊してる様子の女性――そうクラブシンガーのジューシー・パインが居た。そして続々と会議に出席していた面々が球体から出現した。
 サミュエルは懐から懐中時計を取り出した。時計の針が示すのは午後2時。地球の重力の影響を殆ど受けないと言われるトゥールビヨンの懐中時計は規則正しく動いていた。しかしながら時計の針が示すその時間は、ピーターシャム・ホテルの大広間で、ゲストシンガーのジューシー・パインが入場するタイミングを、彼がちょうど懐中時計で確認した時間と同じだった。
「今何時だ?」
 サミュエルがヴィッキーに聞いた。
「午後2時です」
 懐中時計の示す時間が間違っていた訳ではなかった。
 サミュエルは其処にいたスタッフに指示をした。
「定例会議を警備している警備会社に連絡して、ホテルの大広間の監視カメラの中継映像をこっちにも繋いでくれないか」
 スタッフがどこかに電話をすると間もなく、部屋のモニターディスプレイにホテルの大広間の現在の様子が映し出された。
 驚くことに、其処には今此処に居るサミュエルが映っていた。そしてシンガーのジューシー・パインが、大広間に丁度入場するところだった。
「時滑りか……うむ、これはなかなか興味深い現象だな。同じ時間に同一人物が別の場所に複数存在する事になるとはな……入出ゲートの発生タイミングの時間的差異で、ゲートを潜り抜ける際に、我々自身もどうやら1時間ほど時を逆行する事になったようだな。――ホホウ、この娘の首の傷も消えておるわ」
 サミュエルはそう言って、ジューシーの首筋を人差し指でそっと撫でた。確かに彼女の首筋は、カランビットナイフで切られた傷は最初から無かったように跡形もなく消えていた。
「実験終了よ! 直ちにアレイスターの蘇生シーケンス開始して! 急いで! ではオーエン卿、ゲート移動による身体への影響を検査をさせていただきますので取り敢えず検査室の方へ……」
 ヴィッキーが白衣のスタッフに指示を出すと、アレイスターの座っている所に向けて何やら強い光が照射され始めた。すると、次第に黒い球体の影は縮み始め、約十秒ほどで消滅し赤く変色し歪んだ空間も元に戻った。
「どうだい、面白いイリュージョンだっただろ」
 ジェレミーがマットの肩をポンと叩きながら言った。
「アレイスター、彼は一体……」
 信じられない光景を目のあたりにしたマットは動揺していた。
「刑事さん、あんたは知らなかったと思うけど、同僚さんはこの世界を一変させる能力を持ったとんでもないメイガス(魔術師)なんだぜ! まあ本人も気が付いてないがな――ということで、その恩恵にあんたも肖りたかったら我々の仲間入りする事だな」
 鼬のような顔付きで、不気味な笑みを浮かべながらジェレミーそうが言った。 



 現場に駆けつけたビッグマックは大広間の入り口で腰が抜けて座り込んでいたホテル従業員を抱き起こした。
「中で何があったんだ?」
「私には解りません。突然、黒い……何かが出現して、慌てて逃げ出したんですが……」
 立ち上がったビッグマックは大広間の扉を開け中を覗き込んだ。すると、広間の中央で青い稲妻のような放電をしている黒い球状の物体を発見した。
 大広間に居た人は誰もいなかった。ビッグマックは中に入ろうとしたその時、背後で声がした。
「止めとけ!」
 その声にビッグマックは振り返った。
「波動検知計メーターが振り切っているんだ。あんた、今中に入ると肉体が原子レベルま分解されるぞ!」
 見慣れない男が其処に居た。ミディアムグレーのブルックス ブラザーズのナンバー・ワン・サック・スーツを纏い、手には計測器のような機器を持っていた。
「誰だ? あんた見慣れない顔だな。確か出席者リストには無かったようだが……」
「あんた此処の警備担当のブラック・サイン・コーポレーションの人かい? 参ったよ、投資家に扮装して彼らの会議に潜入しようとしたんだが、既に俺の素性がバレてたようで……ホテルスタッフに会場の外に出されてコノザマさ」
 そう言いながら、男は手に持っていた機器をビッグマックに見せた。
「これは、魔法物理学の権威でもあるノーラン博士の発見をヒントにして作られた波動を検知するウェーブ・アナライザーという機器だ。
 因みに波動というのは全ての物に存在しうる現象で、基本的には三種類ほどに分類出来るが、古典物理学で言うところの、光子を含む運動する物質一般に付随する波動現象(ド・ブロイ波)を第一波動、精神感応や念動力のようなESP波などが第二波動、そしてそれらとは一線を介する波動が第三波動と呼ばれていて、魔術による波動が其れだ。
 今現在この機器によると、大広間の空間はその第三波動が発生しているんだ。それがあんたが見た黒い球状物体、つまりはタンホイザー・ゲートが展開している真っ最中だという事だ」
「波動? ゲート?」 
 ビッグマックは男に尋ねた。
「タンホイザー・ゲートというのは、強力な魔術師によって空間に展開された時空間移送魔術結界の事だ。今は詳しい説明は省くが、この状態で中に入ったら、ガルガンチュアとパン タグリュエルという巨大なニ体のゲート・キーパー(門番)の巨人に喰われてしまうぞ! つまりあんたの存在は永遠に無に帰すという事だ。おっと、自己紹介が遅くなったが俺はイアン・シンクレア、秘密情報部(SIS<MI6>)でこの件を何年も追っている捜査官だ」
「SISだって? SISが出張ってきてるって事はこりゃ相当ヤバい事件のようだな。ところで中に居たアレイオーンの幹部連中はどこに消えたんだい。若しかして、あんたが言うそのガルなんとかっていう巨人とやらに奴らは喰われちまったのかい?」         
 強いコックニー訛でビッグマックがシンクレア捜査官に聞き返した。
「いや、多分彼らは無事だろう。何故なら供物と彼らが呼んでいる触媒役のホムンクルスを同伴してゲートを通過しているからだ。ほら、ゲストで来ていた女性シンガーが居ただろ? 彼女がゲートキーパーの力を緩和する能力を持っていたんだ」
「それって、もしかしてアリシマ邸襲撃事件と何か関係が?」
ああ、機密事項だが、ホムンクルスというのはジョン・アリシマが研究開発していたネオロイドの事だ。我々はそれを追っている」


――――物語は14に続く――――

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