京都嘱託殺人事件から考える⑤~自死について~

昼はまだまだ暑いですが朝晩はだいぶ過ごしやすくなってきました。
秋の気配を感じつつ、台風などによる災害に気をつけたいですね。


考えれば考えるほどに深いこの事件。
事件のテーマの一つが「安楽死」です。
安楽死は自死の一つと捉えられると考えます。
そこで今日は自死について深めたいと思います。


まず自殺と自死の違いについて。
コトバンクで調べると
自殺とは「みずからの意思でみずからの生命を絶つ行為。」
自死とは「意思的な死を非道徳的・反社会的行為と責めないでいう語。」とあります。

色々な考え方があるようですが、私は自殺は「自分をみずから殺めること」であり非常にネガティブなものだと感じます。
一方、自死は「みずから死を選ぶこと全般」であり、自死の中でもネガティブに捉えるものを自殺と呼ぶ…と考えると腑に落ちる感があります。
そのため、自ら死を選ぶことを良い悪いと判定しない、という意味で「自死」を使っています。


最近SNSで「なぜ自死(自殺)はしてはならないのか」という議論を見たのですが、その答えの一つに「人に迷惑をかけてはいけないから」というものがありました。

確かに人は1人で生きているわけではなく、様々なつながりの中で生きています。
家族はもちろん、友人、職場、地域のつながりなどとても多様です。
自ら死を選ぶことでそういった方々に強い衝撃を与えることになります。
特に親しい人は「なぜ止めることができなかったのか」という自責の念に駆られるでしょう。

しかし、「人に迷惑をかけてはいけないから」自死してはならないのでしょうか。
それは「親が反対するからやりたくないが安定した仕事を選ぶ」とか「場の空気を乱したくないから自分の意見を出し惜しみする」ことの延長線上にあると言えないでしょうか。

私は自死を良い悪いと判断するものではなく、とても大きな損失を与えるものだと捉えています。
特に若年の方はこれから生まれるであろう無限の価値が無くなり、深い悲しみが生まれます。

自死の原因として経済、健康、家庭、勤務、学校、男女の問題が複合的に連鎖するとされています。
厚労省資料「平成30年中における自殺の概況」

この多くは社会や環境次第で救われるケースではないかと考えます。
自死で、失われるものは非常に大きい。
その喪失する価値を上回るものは存在するのでしょうか。


唯一、自死することの是非を問うことができること、それが「安楽死」だと思います。
人は誰しもいつかは死を迎える存在であり、身体は徐々に衰えていきます。
中には病気や怪我によって耐え難い苦痛の中で生きていらっしゃる方も少なくないと思います。
確かに自死で失われる価値は計りしれません。
しかし、身体的な問題での苦しみを納得した上で安らかな形で終わらせることができるのであれば考える余地があるのかもしれません。


しかし、今回の事件後にALSや筋ジストロフィーといった難病当事者の方は『「どう死ぬか」ではなく「どう生きるか」を考えてほしい』という訴えをされている方が多いと感じました。

進行性難病の方は特に生きること自体にとてつもなく困難さが生じています。
そんな状況で安楽死を提示されるとそちらに流されてしまうのでは…という危惧を感じました。

その困難さを知るのにとても良い本があります。
筋ジストロフィー当事者である鹿野靖明氏とボランティアを描いた「こんな夜更けにバナナかよ」(渡辺一史著)です。
映画にもなりましたね。
こちらもぜひ読んでみてください。
『僕が「こんな夜更けにバナナかよ」を書いた』ワケ」

トイレに行く、食べる、息をする、といった生命活動を続けるだけで難しさがあるだけでなく、24時間必要な介助者を集める苦悩、プライバシーの無さ、死への恐怖…。とてつもない困難の中で生きています。
その中で「安楽死」という楽になれる(と思われる)選択肢があるとそちらに引っ張られてしまう、そう感じるのは当然だと思います。

私は安楽死を選択肢として用意する前に、進行性難病の方が安心して生きられる環境を整える必要があると思います。
生き続けることの不安が和らぎ、社会からの圧力を感じずに自身の選択が十分保証された中で初めて「安楽死」を選択できるのではないかと思いました。


いずれにせよ、自身の人生をどう締めくくりたいのか考えることはとても重要なことだと思います。
全ての人に関わることです。
日本では死が日常から遠ざけられ、忌まわしいものという認識をされていますが、必ず来るものを忌まわしいと捉えるのはとても辛いと感じます。
私はどうせなら納得できる形にして前向きなものにしたいと思います。
タブーを一旦横に置き、自分の生き方を正面から考えると誰にも訪れる死を自然に受け入れられるようになるのではないか。
そう感じます。

また、自律整体を通してどの人も自分の望んだ生き方ができる心身に整えるお手伝いをしていきたい。
そう強く思います。

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