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ここがタメになった「明日の幸せを科学する ダニエル ギルバート」1/①

ハーバード大学の教授が幸せについて述べています。
人間はなぜ予測するのか?
幸せの感じ方には錯覚があるのはどういうことなのか?
これらを分析しながら「幸せを感じる」とは、どういうことなのかを述べています。

人間は未来を予想したがるものなのですが、うまく使えば幸福感を上げることができるというのが面白かったです。娯楽にお金をつぎ込んで幸福感を得るのが難しい時代になったので使いこなせるようになりたいです。
最後のオチが、幸福を感じるかどうかは身近な他者との比較で決まるということなのには納得です。周囲みんなが貧しいと自分が不幸と感じにくくなる。
~~以降は内容説明~~

そもそも人間にしかできないことは何か。
昔は道具を使えることとされていましたが、道具を使う動物はいくつか発見されました。未来について考えられるのは人間だけにしかできないとされています。動物でもリスが気候の変動を季節の移り変わりを察知して食料を埋める現象がありますが、あれは本能に基づいて考えずに行われています。

未来について考えるということはまず自分が未来について予測し、そのような未来にしようと計画を立てることも含めます。これは脳の中でも前頭葉という部分だけが行います。前頭葉は人間が進化していく途中で最後に発達した部分とされています。前頭葉が事故で破損しても日常生活は普通に送れますが、明日の計画について一切考えられなくなります。
人間は予想をするのが大好きです。コントロールすることが心地よいからです。コントロールすることで手に入る未来ではなく、コントロールすること自体が心地よいのです。
幸福感というのは「もっと幸せなもの」を知ってしまうとそちらが基準になってしまいます。
知りたくない事実を知ってしまうと、好きだったものが嫌いになることがあります。
命の危険を感じるほどの思いをした後は大したことでなくても幸福感を感じるようになります。このように幸福を感じる・感じないの基準が曖昧でどんどん変わっていくため、幸福度を測定するのはとても難しいことです。
人生をかけた仕事をやり遂げたある人は、その代償として死刑になりましたが死ぬ際はとても満足で幸福だと述べていました。これは幸福の基準が人により大幅に異なることを示します。
人間は自分の都合の良いように考えて物事を見てしまうため、記憶違いが起こっていたり本来見つけられる欠点を見落としたりします。地味な何かを気づかず見落すというのはその典型的な例です。人によって物事の認識があまりにも違います。逆に物事の長所はとても記憶に残りやすいです。
人間は未来を予測する時、現在の現時点の気持ちで物事を予測します。
幸せな気分の時に予想するのと悲しい時に予想するのでは考え方が異なります。気分が物の見方に影響を与えてしまいます。
とても幸せな状態がずっと続くと飽きる形で幸福度が下がります。同じタイプの幸せが続く時も飽きるという形で幸福度が下がります。
人間は得をすることよりも損をすることに感情を揺さぶられます。少しの損をする可能性があるからと言って得をするチャンスを見送ることはあります。
何か行動を起こしていると、この行動はきっと成功に行き着くという錯覚を得ます。これは楽天的な性格だからではありません。
自分に都合の良い事実はたいして確かめずに信じます。逆の場合は自分を納得させようとたくさん情報を集め確かめます。
人間は嫌なことがあると、物の見方を変えることでその経験を意味があるものと決めます。
人は情報量が少ない、すっきりしたものを見て幸福感を感じます。それなのに逆に、情報量が多いものを選んでしまいます。
正しく経験するためには、経験を正確に記憶する必要がありますがとても難しいことです。とても楽しい経験があったのに、最後の瞬間で楽しくなくなった場合は経験すべてが楽しくないと考えてしまいます。トータルすると十分楽しい経験のはずなのにです。
子供の世話は幸福度にアップするわけではなく、普段自分が食事や買い物、テレビ、昼寝をしている時の方が幸せなことが分かっています。子供の世話は家事をするのと同じぐらいの低い幸福度です。
自分は平均的な人間よりも優秀であると思ってしまいます。簡単な課題をこなす能力は高いと思い、難しい課題をこなす能力は低いと考えます。そのため将来のピンチを回避できる助言をもらっても助言を信じないことは多いです。
幸せというのは周りと比較して初めて得られます。周囲の人々より恵まれていると考えるとそれだけで幸せになります。


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