見出し画像

スーダン日記6月15-17日 スーダン式美容あるいは夫婦生活のためのお手入れ(2)

披露宴は週末の金曜日(イスラム圏のスーダンでは、金曜は日本の日曜日の感覚)に開かれることになっていた。

その週の月曜日、夫のもう一人の奥さんは結婚イベントで子供達に着せる服などの買い出しにスークに出かけていった。出かける前に「買ってきて欲しいものはある?」と私の代わりに買ってきてくれるつもりで聞いてくれたが、何を準備すべきか咄嗟に見当がつかず、とりあえず断ってしまった。

火曜日。もう一人の奥さんの伯母とその娘が結婚式のために地方から出てきた。ついでに我が家に訪れ、スークに行きたいという。彼女は前日に暑い日中の買い物で熱中症になったらしく頭痛に悩まされていたが、伯母たちに付き合わない訳にもいかず、渋々連日の買い物に出ていった。帰宅すると素敵なトーブと揃いの色の靴などをリビングに広げて女子会のようだった。

「ヘンナ」と呼ばれるイベント当日の水曜日。夜7時くらいから会が始まるらしく、もう一人の奥さんは午前中にコフェール(女性の美容サロン)に行きたいと言っていた。手足にヘンナというタトゥーのような模様を描いてもらいに行くのだ。

ヘンナとかヘナと呼ばれる染色は、日本では天然素材の髪染めで知られている。スーダンではヘンナで髪染めもするが、マニュキアをする様にオシャレの一部として頻繁にサロンで手足に素敵な絵柄を描いてもらう。特に結婚式など大勢が集まるイベントでは、一張羅のトーブに身を包んで金の大きな宝石を身につけ、ばっちり化粧もして、ヘンナなしというのでは決まらない。ちなみにスーダンでは手足に描くヘンナの液体は恐らく韓国製の黒い髪染め液で、天然素材とは程遠く、むしろ身体には悪いんじゃないかと思っている。

事前にもう一人の奥さんから「ナスリーン(私のこと)もムナーサバ(結婚式の意味)の時はヘンナをしたい?」と聞かれていた。夫からも「いい機会だからもう一人の奥さんと一緒にやってきたら?」と言われていた。「以前に体験したことがあるし、子供たちを預けてまで行くのはちょっと面倒だなぁ。それに、妻2人で一緒に出掛けるって一体どんなん?」と思いつつ、結婚式の身支度を整えるには私もヘンナをしたほうがいいかな、と考えていた。

ところで、共同生活が始まって割とすぐから、もう1人の奥さんとは色々な話をするようになった。朝家を出て夜遅く帰宅する夫よりもずっと長く一緒にいる。大抵口火を切るのは彼女の方で、私はアラビア語の拙さも手伝ってほぼ聞き役だ。アラブ女性といえば、外では体や顔を覆い隠し神秘的なイメージかもしれないが、家の中ではよくしゃべり、好き嫌いがハッキリしていて、気が強い。きっと「お淑やか」などという形容詞はアラブ世界にはないのではないか。口コミ力は抜群だが噂話もあっという間に広がる。

日本ではママ友の井戸端会議に参加したことがほとんどない私だが、同じようなものだろうか?話すことといえば夫の文句、家事と子育ての愚痴や隣人たちの噂話がほとんどで、それはつまり、時に直接的、時に間接的に私への不満の表明に他ならない。なかなか耳が痛いが、スーダン社会を生き抜く上では重要で役立つ情報に溢れているのも確かだ。

アラビア語なのに何故か言っていることがなんとなく分かるのは不思議だ!拙い言葉で打ち返してみたり、言葉が分からないために言わなくて良いことを言わずに済んで逆に難を避けられたり。ジョークを飛ばして笑いあうこともあるが、火花が散ることもあれば、子供を巻き込んで冷戦になることもある。

私は割といつもご機嫌な方だが、毎朝起きて自分の部屋の扉を開けるときには、今日は平和な一日だろうか?とドキドキしながら空気を呼んでいる。銀行の支店で働いていた頃の、パワハラで有名だった上司を久々に思い出したほどだ。機嫌の良い時と悪い時の差が激しく、彼が朝から顰めっ面で出社すると「今朝は奥さんと何かあったに違いない」と同じ営業課の先輩と囁き合ったものだった。

一夫多妻制について彼女に尋ねると「スーダンで自分以外に妻がいることに満足する女性はいない」と返ってきた。イスラームで認められている制度とはいえ、生まれつきムスリマの女性でも本音はやっぱりそうなのか。心情的には当たり前だよなぁ。女性側の主張としては、歴史的なイスラームの成立過程では確かに一夫多妻制の必要があったが、現代は戦争孤児や戦争未亡人が多い状況ではないのだから、男性は複数の妻を持つべきではない、というものをよく聞く。複数の妻と結婚している男性は、当然ながら一夫多妻制はイスラームの正式なルールだという前提で、それをどのようにクルアーンに従って正しく行うかが問われるのであり、そもそも妻が複数いることが問題だとは考えない。

スーダンで生活を始めるまでは、妻同士の距離感が一体どんなものなのか想像もつかなかったが、当面、我が家の場合は、お互いに一刻も早くプライバシーのない共同生活を終わらせたいと本音を確認し合った。特に夫が家の中にいる時は互いの顔を見たくない、というのが私たちの共通の心の内であるのは言うまでもない。

一方で夫の方は、夢見る大きな家族のカタチとは程遠い現実に直面しながら、将来的に理想に近づくことを願いつつ、日々の暮らしの積み重ねに苦心している。フルーツを買うにもヨーグルト1つ買うにも、それぞれの子供たちに公平に行き渡るよう気を遣う。気軽に子供1人を連れて外出するなどもってのほか。どちらかの子供を不当に叱りつければ、母親が「なぜウチの子の方をそんなふうに言うのか!」と黙っていない。夜は3日ずつ交代で、夫がそれぞれの妻と子供達の寝室で過ごすルールにしているが、時間の過ごし方にまで公平性が求められる。つまり、何をするにも妻たちの監視の目が光っている。

もちろん夫自身はイスラームの教えに則って「公平」にすることが、自分が死後に天国に入るために大事なことなので、その点においてどちらかの妻や子供を依怙贔屓しようなどとは思わないだろう。ところが、妻たちが夫の行動をどう受け取るのかは全く別問題で、1人の夫を巡って感情的になり、些細なことでも気になりだすと止まらず、公平でないと怒り出す。それが本当に公平なのかどうなのかは神のみぞ知るである。それで夫にとって家は針の筵、眠っている時以外は家に心休まる居場所がなく、一夫多妻制…男はつらいよ、というのが3ヶ月ほど家族全員で過ごした私の感想だ。

私は専門的にイスラームを学んだことはないので、以上は全くの個人的な見解だ。そして夫やもう1人の奥さんの心情も、私にはそう見えている、というだけで実際は違うかもしれない。私自身、結構辛そうに思えて案外共同生活を楽しんでいる。日本のコロナ禍でのワンオペ育児の方が大変だった記憶がある。大人の話し相手がなく、全ての家事を1人で取り仕切って、毎日単調に同じことを繰り返す息苦しさがあったような…。今は緊張感はあれど、日々アラビア語に触れ、スーダン社会のあり様に触れ、新しい料理を覚え…要は新鮮な毎日だ。スーダンの暮らしは無い物尽くしでキツい面もあるが、これに耐えられるのは、もう1人の奥さんの存在に闘志を燃やしてガッツが湧いているからかもしれない!

そんな訳で、事情あってまだまだ続きそうな共同生活をこれからも頑張って乗り切ろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?