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MBTIとの邂逅

聖剣エクスカリバーと魔法の盾

昨年巷で話題になっていたMBTI診断というものを初めてやってみた。性格上、血液型や占いという類のものは信じていない。あんなもの論理も何もない、ただの幼稚園生のお遊びだろと思っているからだ。
こうししてひねくれている私はENTP(討論者)と診断されたのだ。

ENTPキャラの顔を見たことがあるだろうか?あれは地味に腹立つ顔をしている。なんというか人を小ばかにしている感じだ。初手で出た感想は自分ってこれと一緒かよ・・・
どういう性格かを読み進めていくとまぁ見事に自分に当てはまる。もちろん全部ではないし、ボロクソに言われている部分もあって腹も立ったが、大部分は自覚できるものであった。
しかし、ENTPの自分はここで天邪鬼になる。
「これってバーナム効果だよな?信じられるか?」
そこから怒涛のように調べた。色々なサイトを読んで、ユング心理学や他15タイプの性格も頭に入れた。どうやら最初にやった診断は16personalitiesというものでMBTIとはまた別物らしいので、他診断も片っ端からやった。
このように多くの考察を重ねた結果、何をどう考えても自分はENTPだったのだ。

ネット上のENTPは多少過度に特徴を書かれすぎだし、かなり変なタイプとして誇張されている。間違ってはいないのだが。

自分がENTPの特徴に当てはまるものはいくつかある。

  • 好奇心旺盛

  • 飽き性&変化を好む

  • 知的な会話や抽象的な議論を好む

  • 束縛やルールが苦手で自由を好む

  • 論理性を重視する

  • 恋愛維持関係能力が欠けている

などなど…あげればキリがないのだが、特に下2つがどうしても気になった。ENTPに当てはまる特徴として挙げられているということは、逆説的にこれらの特徴を持っていないタイプもいるわけである。
不思議で仕方なかった。もともと気づいてはいたが、改めてそういう人種がいるということがにわかには信じられなかった。人間とは面白い。
かくして私はMBTIという沼にはまってしまったのだ。


エッセイや文章を書こうと思ったのにはMBTIにはまったのがきっかけである。正確に言えばENTPが「論理性を重視する」「恋愛維持関係能力が欠けている」に改めて気づいたのがきっかけだ。この2つが並列に扱われることを疑問に思うかもしれないが、私はかなり密接な関係にあると思っている。

少し昔の話をすると、私にとって小さいころから一番相容れなかった存在が母親だった。自分が屁理屈をいう癖があるのもよくけんかをした原因だと思っているが、どうしても納得できない説教を何度もされてそれがストレスだったのを覚えている。昔から頭で理解しないと納得できない性質だったのだろう。
一方、母親は違った。自分がこう思うからこうなのだという理屈ではない感情や信念を押し付けてくるタイプだった。今になって思えばそれはよく衝突して当然だと思う。水と油みたいなものだ。母親のことは好きだけれど。

論理性というのは私の核であり、武器であり、アーサー王の聖剣エクスカリバーみたいなものだ。今まで、自分を何度も救ってくれた。何かに困っても悩んでいても全部様々な事象や要因から自分なりにロジックに落とし込み、納得することで、前に進んでこれた。しかしながら、自分にとってのこの武器は当然他のなにかを犠牲をして手に入れたものだったのだ。

MBTIには8つの心理機能というものがあり、タイプ別によって強弱がある。
私のENTPは第一から第四まで並べるとNe⇒Ti⇒Fe⇒Siである。(シャドウ機能はNi⇒Te⇒Fi⇒Se)
簡単に言うとじぶんの論理性を大事にする機能がTi、自分の感情を大事にする機能がFiである。この並び順だとTiをよく使用し、Fiが盲点になり、自分の感情に気がつきにくいという心理機能なのだ。(当然ENTP万人に当てはまるわけではなく、あくまで心理学的な考えに基づく)
要するに感情を犠牲に論理性を手に入れた形になる。

私という人間はもちろん感情はあるが、自分の感情の機微に疎かった。特に感情で判断することが稀有だったように思う。感情で物事を考えようとするとすぐに思考が邪魔してくる。感情に論理を持ち込み、脳で理解しようとする。わからない感情はそのまま蓋をしてゴミ箱に捨ててしまう。
だからこそ社会性を手に入れるには人の感情を真似するのが得策だったのだろう。共感をすれば当然社会生活(仕事や友人関係、恋愛)も有利に働く。自分でいうのもあれだが、こうすれば人は喜ぶだろうのは直観で把握していて、向こうが求めるペルソナを被るというのも手段として使いがちだし、よく使えている方だと思う。自分の感情を無視でき、罪悪感が生まれない故の副産物である。
この話についてはいつか別で話したいと思う。

ここで恋愛関係維持能力の話に戻るが、自分の感情に疎い私は、「恋愛」という壁の前で止まってしまったのだ。ペルソナを被って恋愛をすることはできるし、知的好奇心を好きと誤認し、付き合っていくこともできる。だからこそ恋愛が続かないのだろう。
こういった自分の本質をMBTIというものに気づかされた時、心が震えた。
自分の心理を深めていけば、今までできなかった人生の選択ができるかもしれない。そう思うと非常にワクワクしたのだった。

分からない感情は合理化するか蓋をしてきた自分にとっての目標は感情を言語化することだと思う。エッセイはそれの第一歩として始めた。それが今後の人生で違和感や不安を感じた時に、正しく言語化できるため、感情に対しての誤った解釈を防ぎ、後悔のない選択に踏み切れると思うから。
感情という魔法の盾を手に入れ、人生という未知なる世界をさらに冒険していきたいと切に思う。




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