見出し画像

「ブレードランナー2049」ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督/結局、何がやりたかったのか

2017年アメリカ映画。
1982年「ブレードランナー」(リドリー・スコット監督)の続編である。

前作「ブレードランナー」を愛する人々が公開と同時に映画館に駆けつけ興奮した様子を、ネットなどで拝見していた。
「あんまり面白くない」という声も時々聞いた。

自分は前作があまり好きではない。
しかし傑作だと言われている理由は理解できたので、期待半分。
数多ある見たい映画を押し切って見に行った。が。

「面白くなかった」。むしろ予定調和的で腹が立った。
はっきり言えば「面白くない」というより「どうでも良かった」。

強引な展開の連続で疲れている所で、近くの席の人が臭いオナラを発し、
どうでも良さのパワーが増大。
もう映画館を出て別の作品で脳内を洗浄したい衝動に駆られながら、なんとか最後まで見た。

面白さがわからなかったのは、自分の思慮が浅いせいかもしれない。
そう思いたい。

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本:ハンプトン・ファンチャー、マイケル・グリーン
原作:フィリップ・K・ディック
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
製作総指揮:リドリー・スコット
出演者:ライアン・ゴズリング、ハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、シルヴィア・フークス
音楽:ハンス・ジマー 
撮影:ロジャー・ディーキンス   編集:ジョー・ウォーカー

あらすじ(ブレードランナ-1982ver)
地球の環境汚染が進んでいた2019年。「レプリカント」という人造人間と、人類が共存するこの世界で、人間の大半は宇宙へ移住していた。
レプリカントを識別して、犯罪を取り締まる捜査官、ブレードランナーの中でも優秀な捜査官・デッカードは、宇宙でレプリカントらを抹殺する任務を与えられる。その中で知り合った寿命のないレプリカント、レイチェルとデッカードは恋に落ち、最後は共に旅立って行った。

※2049のあらすじは良いものが見つからず、新しく作られた新型のレプリカントで(恐らく)ブレードランナーである男、Kが主人公であることだけを書いておく。

この作品のいい所
前半30分くらいは非常に楽しめた。すごく良かったと思う。

まず。
「旧作(のレプリカント)にしか理解できない奇跡がどうやらあるらしい」という興味と共に、その奇跡が前作のエンディングと繋がっているというカタルシスを感じられるから。

二つ目と三つ目。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作家性なのだろう。

荒涼とした世界での静かな緊張感。
前作のブレードランナーの世界観とは違う所で物語が展開している、という決意表明みたいなものを感じる所。

伏線を「これが伏線ですよ!」という物語展開のゴリ押しがなく、主人公の丁寧な感情の流れで展開していく所。

四つ目。
撮影が素晴らしい。(ロジャー・ディーキンスはそもそも名撮影監督である)

五つ目。
編集が素晴らしい。
ジョー・ウォーカー氏は「メッセージ」でアカデミー賞でノミネートされたらしいが、今回の作品の方が目立って素晴らしいと思った。「ああ、、こんな風に映像って繋げられるんだ」と発見があった。

しかし…
上映時間が経過する中、主人公の感情の説明は過剰に。
前作のブレードランナーファンへの気遣いか、どーんとアジアンの世界が登場。

嫌でも前作との比較が脳内で始まり、
暴力、エロと説明的なセリフで物語は展開し、楽しめる要素は美しい撮影と華麗な編集だけになってしまった。

「俺、なんでこの作品を見ているんだ。。。」
と1時間後にはうんざりし始めたのは言うまでもない。

この作品の問題点
想像するに。
この映画には成し遂げたいことが多すぎたのではないか。

「人間とは何か」というテーマと
手に汗握るアクションを伴うエンタテインメント
その両方を精一杯やろうとして二つの要素が喧嘩しているというのが印象だ。

「特別でありたい感情」
「魂への憧れ」
を描くのであれば、主人公のドラマと葛藤を丁寧に描く所に時間を割くべきだったのではないかと。

前作の世界観と哲学を静かに踏襲すれば、
それは可能だったのではないかと思うのだが、
過剰に暴力やエロ、複雑な物語構成、ここが見所だ!と言わんばかりの大仰な音楽など
「チャンネルを変えさせない」
要素があまりにも多すぎて、エンタテイメント性は高くとも、それらはノイズに過ぎなかったように思う。

「特別でありたい感情」「魂への憧れ」は非常に切ない、普遍的な感情であるはずであり、派手なアクションと共存させられるものではないのではないか。

感動の要素があるテーマが説明セリフで処理され
「うおおおおお!こんなことなら哲学書読むから<映画>を見せてくれ!」
と隣の人のオナラの匂いをこらえながら泣きそうになった。

しかも飽きない展開は矛盾とご都合主義的なものばかり。それぞれのキャラクターのモチベーションも希薄で、ディテールの描き方は非常に雑。

(途中出てくるAIの日本語の発音がネイティブではなくアメリカ英語訛りで、これを見た時作り手が雑であり、その姿勢は映画全体を物語ると感じたことを明記しておきたい)

物語を飽きずに展開させることやハリソン・フォードを登場させることが、そんなに大事なのか?

前半の30分を随分と楽しませてもらった分、残りの2時間はがっかり通しだった。

キャスティング役者の演出は良かった
最後に。
色々思うところがあるが、キャスティングは最高だったと思う。
主人公のライアン・ゴズリングとハリソン・フォードについては正直あまり何も思わなかったが、それ以外のキャストは非常にいい味を出していた。

おそらく、これは監督の手腕ではないかと思う。

色々悪いことばかりを書いたが、一概にそれらは監督の問題ではなく
色んな人が関わり過ぎて、権力を持ち過ぎて、
譲歩していたら辻褄を合わせるために雑な部分が出てきてしまった。
という事が、こんな作品になってしまった所以ではないかと想像している。

「ローグワン」の様に「ブレードランナー」の番外編として監督が想いを込めて好きに作った方が良かったのではないか…。
などなど。

まとめ
やりたいことは絞る。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?