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HSC日記

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ひといちばい敏感なHSCの娘の過去と現在進行形と。
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#思い出

転入 初日 娘の感想

シュタイナー学校をやめて 公立小学校へ、初めて登校する日の 前の日。 夫、 「あしたから、うちの娘、一緒の学校に 行くことになったから、よろしく!」 って、同級生に電話していた! Nice job!夫。 同窓会には参加しないし、 地元での交流がほぼない夫。 連絡先を知っている、同級生の娘ちゃんが 娘と同じ3年生で、ほんとに良かった! お義母さんも、 「孫が転校してくるからよろしくね!」 と、お友達に連絡してくれていた。 1年寝かせていた、まだまだ新しい ランドセルを背

シドニーのおともだち

娘がシュタイナー学校に行っていた時 娘と一番仲良しだったのが シドニーから日本にやってきた 女の子だった。 娘と一緒、2年生からの転入組。 最初、日本語はほとんど話せなかった けれど、アッと言う間に上手になった。 その子のお母さんと、わたしも すごく気があって… 例えば、わたしが 「LINEのキャラクターが可愛くないから LINEはやりたくないんだよね!」って 言っ時、彼女がそうそう!と、 深く頷いていたのを思い出す(笑) なんだろ?感覚的なとこで よく共鳴するのだ。

シュタイナー学校 の 運動会【思い出】

娘がピアノで、『天国と地獄』を 練習していた。 そういえば、シュタイナー学校の 運動会って、静かだったなぁと 思い出す。 運動会ではお馴染みの『天国と地獄』 などの音楽は一切流れないし、 万国旗の飾りも、アナウンスもない。 シュタイナー学校の子どもたちは ラジオ体操は知らないし、号令… 前へならえ、右向け右、回れ右なども 教えられる事はない。 みんな整列して、ラジオ体操して 開会式して!全部なかった。 気づいたら、なんとなーく始まっていた(笑) 運動会は、元々はなか

やさしさいっぱい シュタイナー学校のお誕生日会【思い出】

子どもたちが大好きな日。 自分のお誕生日会と クラスのお友達のお誕生日会。 シュタイナー学校ではお誕生日は とても大切にされている。 お誕生日当日か、なるべく近い日に お誕生日会が開かれる。 子ども達のリズムを何より 大切にするシュタイナー学校では 定期的な授業参観はない。 だけど、お誕生日会のときには 主役の子の親が教室に入る事ができる。 そして、お誕生日会には日頃の感謝の 気持ちを込めて、 クラスメイト全員と担任の先生へ 手作りのおやつを手渡す。 娘のお誕生日会

シュタイナー学校の保健室【思い出】

娘がシュタイナー学校に通っていた時 保健室に、よくお世話になっていた。 シュタイナー学校の保健室にあるものは とてもシンプル ・カレンドラオイル ・コンブドロン ・湯たんぽ カレンドラオイルとコンブドロンは ヴェレダ社のもの。 カレンドラは、傷 コンブドロンは、かゆみ 湯たんぽは、腹痛 あと、頭痛の時には 足湯をしてもらっていた。 娘はよく、腹痛になり、 保健室でお世話になっていた。 湯たんぽと、ヴァルドルフ人形 (シュタイナー教育の思想に基づいて 生まれた人形)

娘が好きだった 授業 〜手の仕事〜 【思い出】

シュタイナーの言葉に 「手仕事こそが知性」というものがある。 手や指先を動かすと脳も動く。 シュタイナー学校独自の科目に 『手の仕事』がある。 娘はこの科目が大好きだった。 手の仕事は1年生から始まる科目で 編み物、人形作り、刺繍など 発達段階に合わせて色々な課題に取り組む。 シュタイナー教育では 0歳から7歳→『意』 7歳から14歳→『情』 14歳から21歳→『知』 の順番で育てるのが大切とされている。 『意』からだ 『情』こころ 『知』あたま 幼少期から

すっかり忘れていた 卒園式の日のこと【思い出と今】

娘と"休校中にやることリスト"を書いた。リストの、いち番最初に書いたものの 全然、出来ずに結局、やーっと きのうから取りかかった"写真の整理"。 わたしが、プリントした写真を 見るのが好きだから、やたらに写真が あって…。 それと、娘が1歳になる直前、 わたしは母を亡くしたから、 娘の写真を撮ることで淋しさを 紛らわせていたのかもしれない。 とにかく、すごい量で、 引っ越しのたびに、ちょっとほんとに なんとかしなきゃな!って 思っていたら、アッと言う間に 娘も9歳。月日が

「かあさん!ハゲてるよ!!」 【思い出】

シュタイナー学校に通い始めて 2ヶ月くらい経ったある日のこと、 娘がわたしの頭頂部あたりを 穴があくくらいジーーーッとみつめて 言った…… 「かあさん、ハゲてるよ!」「え!!ウソでしょ!? ちょっと、iPhoneで写真撮って!」 娘にiPhoneを手渡す パシャ、パシャ、パシャ。 娘は、わたしの頭頂部あたりを撮った。 ハゲ、ハゲ、ハゲ!!まん丸ときれいなハゲが出来ていた! 大きさにして500円玉くらい! ハゲにも、もちろんビックリしたけど こんなに大きなハゲが出来ている

ほわほわの先生【思い出】

娘がシュタイナー学校に通っていたとき 担任の先生は女性で、なんていうか こう、ほわほわの先生だった。 わたし自身、先生とハグすることが、 何度もあったのだけど、 ほんとに気持ちがいいのだ! シュタイナー学校では登校したら まず、先生とのご挨拶からはじまる。 担任の先生はクラスの子どもたち ひとりひとりの目をしっかり見て 「〇〇さん(下の名前)おはよう ございます」と言いながら握手を される。 子どもたちもしっかり先生の目を見て 「〇〇先生おはようございます。」と 言う。

クレヨン と 色鉛筆【思い出】

シュタイナー学校に毎日持ってくもの 蜜蝋クレヨン(3年生からは色鉛筆) おやつ。 お弁当。 水筒。 をリュックに詰めて持って行く。 消しゴム、下敷き、教科書は 持っていかない。 エポックノートというスケッチブック みたいな大きなノートは 学校に置いておく。 制服はないけれど、なるべく無地、 キャラクターが描かれてないもの。 素材も自然素材のものがよしとされる。 帽子は必ずかぶる! これは、山の上にある、学校だから であって、シュタイナー学校だから ってことではないか

防犯ブザーじゃなくて…【思い出】

娘が通っていた、シュタイナー学校は 山の上にある。 基本的にはバスで山を登って下る のだけど、いい天気の日には テクテクと歩くこともあった! 歩いていると、何度も目にする "熊出没注意"の看板! え!クマ出るの? クマだけじゃなく、イノシシ、シカ、 アオダイショウ、タヌキなどなど いろいろな野生動物に出会える! ということを後々知ることに なるのだが…。 何も知らなかったわたしは 娘が学校に背負ってくリュックに 彼女が、1年生の時にランドセルに 付けていた防犯ブザー

いろとりどりの学び【思い出】

おひさまが顔を出し くらやみを照らす 金色にかがやく朝の光よ わたしの心に小さな 陽が灯る 誰にも消せないともしびとなれ 2018年4月。 シュタイナー学校初等部2年生に 転入した娘が、いちばん最初に 覚えたうた。 すてきな詩とやさしいメロディ 毎朝クラスでうたう歌。 今は、わたしが、 気持ちのいい朝に、知らないうちに くちずさんでいる。 シュタイナー学校の1年生が いちばん初めに習う漢字は"光"だと 聞いた。 ひかり。 とても大切にされていた。 お友だちとトラブル

娘と成長を ともにした 水筒たち【思い出&今】

今日は、よく晴れて、 風が気持ちのいい朝だった。 窓という窓をぜーんぶ開け放ち 部屋の深呼吸。 ずっと気になっていた 食器棚のそうじを今日こそはやろう! と、 張り切って まずは、中に入ってるものを 全部出していく。 そしたら、しまいこんでいた 懐かしい水筒を、発見! 初代水筒はフクロウの絵がかわいい 小さな水筒。 小さい! すごく小さい! 今の娘なら片手でヒョイと持てるけど 小さいころの娘は両手でしっかり 持ってお茶を飲んでいたっけ…。 なつかしいな。 哺乳瓶の

孟子『居は気に移し、、、』 を 身をもって経験! !恐怖 の ムカデ屋敷 【思い出】

2018年3月15日 わたしたち家族は 教育移住のため、シュタイナー学校が ある街へと引越した。 受験面接の後、直行した不動産屋さんで 紹介してもらった駅に近い 古い一軒家、、、 他に選択肢もなかったし よく見ると、すりガラスとか柱が レトロでいい感じだったから その一軒家に住むことに決めた。 和式トイレで、バランス釜で、 エアコンなし! 洗濯機もほぼ外置き。 これはまあ、見て分かる事だったので 仕方がないとして、、、 わたしを苦しめたのは ムカデ!! 引越してはじ