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『教科書にない日本の歴史〜ペリー来航により日本に起きた悲劇〜』

こんにちは^^

皆さんは学生時代、歴史は好きでしたか?と言っても勉強は好きでも嫌いでもやってきたと思います。その中でも歴史というのは皆さんにとってどのようなイメージでしたか?私は年代とか人の名前とか出来事の名称とかを暗記する科目のイメージです。

そのため歴史は嫌いでしたが、今一度歴史の勉強をしてみるとおもしろすぎることがわかりました。なぜなら、ただただ暗記していた時とは違い、何故その出来事が起きたのか?その歴史がどうつながるのか?を勉強したからです。

できるだけ短くまとめますので、読んでいただけたら幸いです。

※基礎的な部分などは端折ってあります。

|なぜペリーは来航したのか?

ペリー来航が、鎖国をしていた日本に始めてきた海外の船ではありません。当時鎖国をしていた日本でしたが、多くの船が開国を求めてきていました。ではなぜペリーにはOKをしたのか?

それはアメリカに理由があります。

当時アメリカ南部には綿花農場がありとても栄えていました。綿花は黒人奴隷が摘んだ後、産業革命で綿織物を生産し大金を手にしていたイギリスに送られていました。

一方アメリカ北部は貧相な地域が多く、主なビジネスは捕鯨でした。クジラは脂が多いため、ロウソクなどに用いられていました。しかし、捕鯨をしすぎたためアメリカ付近の海からクジラがいなくなったのです。

そこで捕鯨ビジネスをしている人たちは太平洋へと進出していくことにしました。そこで問題なのは、太平洋へ捕鯨をしに行った際に休憩や補給ができる島がなかったことです。そこでアメリカ北部の人たちは日本へ交渉を持ち掛けに行くのでした。

|日本開国までの流れ

当時日本は、ポルトガル以外の国との貿易をしておらず鎖国状態でした。これはアメリカからしても、日本を開国させるには本気にならないといけないなと感じてました。

そこでアメリカが用意したのが、当時世界最高の黒船に世界最高の大砲(ペクサン砲)です。

これを知った幕府は、ペリーに対し一年間の猶予を求めました。この一年間で日本は何をしたかというと、現在のお台場を半年で作ったのです(当時は重機などはなくすべて手作業)。これは、次に来航指摘と時に打ち返すためでした。

しかしそれもむなしく、1854年に日米和親条約を締結します。

|日米和親条約は不平等条約に

一年後のハリスの来航で日米和親条約に細則が行われました。

その細則の内容には次のようなものがありました。”金・銀・の両替の相場を固定相場にする”

|金の豊富な国、日本

今ではあまりイメージがありませんが日本は金がとても豊富な国でした。

当時、世界の金の量はオリンピックプール約3個分でした。そのうちの3分の1は日本にあったのです。そのため、当時は一般人も皆が襟元に金を入れておき、何かあったときにすぐ対応できるよう備えておくというのが常識でした。

|幕府が信用を失う

金・銀の両替の相場を固定相場にするというのは日本にとってとても不利なものです。それを説明します。

日本は、小判1枚=銀貨4枚

アメリカの植民地だった香港は、小判1枚=メキシコ銀貨4枚=銀貨16枚

4倍もアメリカ側が得をしているのです。

そこで幕府がとった政策が、万延小判の生産です。

万延小判とは金の量をを薄めて作った小判です。これは小判の価値が大きく下がったと言えます。例えば、給料は変わらないまま、今まで1000円で買い物できていたものが、3000円出さないと買えなくなるのです。

これにより幕府は信用を失ってしまいます

|そもそもなぜ幕府に権威があったのか?

それは武士に理由があります。武士というのはしっかりと責任を取るからです。大きな例として、人を切れば切腹をするというものがあります。

なぜ武士は自分たちで責任を取るのかというと、殿様に責任を負われないためです。しかし、万延小判の発行により信用を失ってしまったのです。

|明治に行く前に

当時、アメリカでは裕福な南部の人が「俺たちが貧相な北部の人たちの世話をするのはおかしい」と言い、独立しようとして南北戦争がはじまりました。

この勝負、勝つのは南部かと思われましたが北部が勝利します。その理由はこれです。

南部は人が少ないが、ヨーロッパに外貨を発行し軍資金を調達し、性能の良い武器を揃えました。

北部は一時期前までは貧相でしたが、戦争を始めるときはそうではなっかったのです。日本からかき集めた金があったからです。

これにより北部は、人の数も多いうえに、再審で最高の軍備を整え戦ったのです。

これにより北部が圧倒的勝利をおさめ南北戦争は終わりました。

|アメリカ北部のお金への欲求

戦いを終えた北部の人たちには大量の余った武器や軍服がありました。そこで今、国が荒れている日本に売ってもっと日本から金を取っていこうと考えました。

幕府側にはフランス経由で、倒幕派にはイギリス経由で売りつけることに成功しました。

そして日本では幕府と倒幕派で戦争が起きるのですが、どちらも来ている制服や使っている武器も同じで、少しおかしな絵面の戦争となりました。

|つづく...

次回は明治政府の誕生からお話しさせていただきます。

お読みいただきありがとうございました。

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