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大学生のときの意識高い系の人たち。

みなさんこんにちは。うつ病ミニマリストのだるまさんです。

今回もたくさんある記事の中からこの記事を見つけてくださって感謝感謝です。

前回は、うつ病経験者の僕がメンタルの安定を追い求めてたどり着いた暮らし方について、書きました。

うつ病になった人がおそらく最も考えることがどうしたらうつ病が、メンタルの調子が良くなるかということだと思います。

僕自身も休養しているとき、そのことについて毎日ベッドの上で考えていました。

そこで思ったのは、ただ考えているだけでは何も変わらないということ。なんでもいいからとりあえず自分の信じる道に動き出すこと、このことが何より大事なのだと思いました。

そして、僕がたどり着いた答えが『ミニマリスト』という暮らし方でした。

そのことについて書き綴っておりますので、こちらもぜひ読んでくださると嬉しいです。

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メンタルの安定を追求した末にたどり着いた生き方

さて、今回は大学生のときの意識高い系の人たちについて書いていきたいと思います。

いつも読んでくださりありがとうございます。今回も最後まで読んでくださると幸いです。

『意識高い系』とは。

皆さんは『意識高い系』という言葉ご存知ですか。僕が学生の時はよく使っていた言葉でしたが、もしかしてもう死語になりつつあるのでしょうか。

『意識高い系』とは、言葉で表現するのは難しいですが、活動的でいろんなことに挑戦している人だったり、一つのことを真剣に取り組んでいたりする人っていうところでしょうか。

実際に僕が見てきたのは、自ら地域のコミュニティに入ってボランティアだったり、活動をしている人、資格や大学の成績を良くしようと勉強に励んでる人、外国人留学生と積極的に交流してる人、留学やインターンに行ってる人、などなど。

周りにそういう人っていませんでしたか。そういう人たちってどこかオーラ?雰囲気?が違いますよね。

自分とは何か生きるということに対してのレベルが違う感じがして、当時僕とはちがう世界の人っていう感じがしてちょっと近寄り難いイメージを持っていました。

どちらかといえば、当時の僕側の人のほうが多かったんじゃないでしょうか。

だからこそ、マイノリティ(少数派)側にいる彼ら彼女らのことを『意識高い系』とか言って区別してしまっていたのだと思います。

『意識高い系』の人に対する当時の感情。

そんな僕が目の当たりにしてきた『意識高い系』の人たちに対して、僕が当時思っていたのは、『人生楽しんでる?』っていうことでした。

気分を害した人がいたらほんとにすみません。でも当時の僕の正直な感情を書き綴りたいと思ったので、もう少し我慢して読んでいただければと思います。

当時の僕は勉強することだったり、自分から積極的に行動していくことだったり、自分を高めていくことに対して否定的で、『意識高い系』の人たちの行動がまるで理解できずにいました。

『そんなことしておもしろいの?せっかくキャンパスライフもっと楽しいことあるのに、そんなんで終わらせてもいいの?』

彼らの価値観が全く分からずにいたからこそ、僕はそんなふうにはなれないと思ったし、そういう人たちのことをどこか軽蔑するような目で見ていました。(だから僕は大学で何したかって聞かれるとすぐには答えられません。)

『意識高い系』の人は本当に変わり者だったのか。

僕は彼らを『変わり者』のレッテルを張って遠ざけていたわけですが、社会に出ていろんな人に出会ったり、いろんな経験をする中で、ふと当時のことを振り返ることがありました。

彼らはほんとに『変わり者』だったのでしょうか。

将来のことを真剣に考えて今からできることをしていく、いろいろ行動してみて自分のことを知る、自分がどんなふうになりたいかを純粋に追い求めていく、こういうことっていま思えば当たり前のことですよね。

当時は身の回りに行動していなかった人のほうが多かった(隠れてやっていた人もいたのかもしれませんね。) から違和感を感じていましたが、彼らはそのことに当時から気づいて行動していた、それだけのことだったんだと今になって感じました。

だから、むしろ何もしていなかった僕のほうが変わり者でした。将来のことから目を背け、自分のことを知ろうともせず、今が楽しければいい。そんな大学生活でした。

彼らはいま。

うつ病を経験して思ったのは、大学時代何もしてこなかった自分への怒りと後悔でした。

もっとあの時意識高い系の人たちのように自分のことをしっかり知ろうとして、将来のことについて真剣に考えて行動していたら、今よりも幸せになれていただろうと思います。

僕はいつも後になって気づくことが多いようです。人生とは、そういうものなんでしょうか。

一方で、あの時主体的に活動していた『意識高い系』の人たちはいま、どんな人生を送っているのでしょうか。

当時の人たちとは残念ながらコンタクトを取る術がないので確かめようがないのですが、自分の納得する生活を送ることができている人が多いのだろうと推測します。

今では彼らのことを『意識高い系』などと呼んで軽蔑していた自分のことが恥ずかしく思うようになりました。

彼らのことを今ではほんとに尊敬します。

『意識高い系』になりたい。

当時でいう『意識高い系』に僕はいまなりたいと思っています。いまさらどういう心境の変化だと思われる人が多いかもしれませんね。

でも、社会人になって、転職をして、うつ病を経験して、30歳というひとつの節目に差し掛かろうとしている今、一度当時の彼らのように自分と向き合うこと、将来のことに考えることの必要性を感じています。

当時の彼らには何周も遅れをとっているかもしれませんが、決して今からでも遅くない、やっと気づくことができたのですから。気づいた今こそ行動していかなければと、そう思います。自分の納得のいく人生にするために。

いつかまた彼らに会える日があったら、もしあったら、そのときは恥ずかしくない自分でいたいと心からそう思っています。

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。また次回もお会いしましょう。

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