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僕の人生に「努力」という言葉ないんだ by 高校男子(1)

「ぼくの人生に努力という言葉はないんだ」と晴れやかに語った当時高1の息子。

「ちょっとは(努力が)必要だなって思うことないの?」と兼ねてからの疑問を聞いてみた。


「努力しなくちゃ」って思った途端にさ、やる気が失せるんだよ。

ワクワクしなくなるし、
努力しようと思う瞬間から

苦行になるから絶対に続かないんだ」

(あ、なんだか分かるなぁ〜)


知的好奇心旺盛なのに勉強が嫌い


幼い頃から弁が立ち、物知りだった息子。
でも、いわゆるプリント学習などはどうしてもできなかった。


小学校では宿題がたくさん出ていたので、
あらゆる方法で息子が勉強が楽しいと思えるように手立てを尽くしたけれど


結局「外発的動機づけ」止まり。

つまり自分の中にやる気(動機)は生まれず
長期的なモチベーションに至らなかった。


心理学用語の外発的動機付けとは
「アメとムチ」作戦のこと。

息子の場合は小さい頃からアメとムチは
ゼロではないにしろ効果がなかった。


「宿題終わったらアイス食べようか」(アメ)

と言えば

「じゃぁ、僕は一生アイスは食べられないんだね」


「宿題終わらなかったらゲームなしね!」(ムチ)
\\\٩(๑`^´๑)۶////"#$%%%!!!!!
(かんしゃくと怒りと理屈の嵐で夕飯も台無し)


終わらせることより
”終わらないかもしれない”
という常にネガティブ予想なので

「条件付き未来のご褒美」では動かないのだ。


ちょっとは、いい点を取るぞ!とか
がんばってみよう!とか
そんなふうに思うことはないのかなぁ・・・?

魂が抜けたようなテスト前

私みたいにギリギリになるとようやくスイッチが入るタイプじゃないし、他人から与えられた目標でやる気をみせる姿を見ることはまずない!

むしろ、時間が迫るとがんばるどころかすぐに見切りをつけてしまう。

小学校低学年の時に、やたらと時間を測って計算させる九九や百マス計算があったが、あれは本当に地獄だった。


一般の子どもたちが好きそうなカウントダウンは
息子には恐怖でしかなかった。

だから、泣きながらかんしゃくを起こしながら苦しんで、10分で終わりそうな宿題を長い時には2時間もかかってやっていた。


よっぽど勉強嫌い、と思うけれど好きなことは別。

私の影響で小3で始めたウクレレは、あっという間に独学では学べないくらい上手になったのでウクレレ教室に通うと、これまたあっという間に先生が驚くレベルに上達。

中学生になってギターを始めると
これも、プロ並みに上手になった。
フィンガースタイルという私には指がどうなっているのか見ていてもわからない。

今や私には録音を聴いても、どれが先生ので、どれが息子のか聴き分けられない。

上達の秘訣は

・・・とにかく毎日弾いてること。

どんなに難しい曲でも
同じフレーズを何度も、時にはかんしゃくを起こしたり、不機嫌になりながらも上手く弾けるまで根気強く引き続ける。

ウクレレを始めた頃は、9歳の息子にはどうしても指が届かないコードで「指が伸びる方法」をYouTubeで検索してやっていた。

好きなことは努力じゃない


「ギターとか映像制作とか、これは努力といえるんじゃないの?」
と聞いてみたら

「僕にとってそういのは努力じゃなくて『結果』なんだよ」

「楽しいからやっているのであって、僕にとっては努力じゃないんだ。」

という彼の言葉に妙に納得する。

簡単なプリント一枚を書くのに1トンの重石が乗ってるのかの如く動かなかった指は、

ゲームやギターではスイスイスイ・・・


不登校や発達凸凹など、学校に不適応になりそう
勉強がついていけないなど心配が多い親御さんの相談を受けていると
かつての私がそうだったように

「小さなことにも努力ができない子は将来、きっとうまくいかない」

という恐れや不安でがんじがらめになっていることが多い。

嫌がることでもやらせてあげることが彼らを幸せにすると思ってしまう。

発達神経症(発達障がい)やそういった特性が見られる子どもたちの素敵なところは、自分の欲にもの凄く素直なところだと思う。

「我慢が足りない」というよりも
我慢すること自体にメリットを感じない。

(この辺りは実行機能と呼ばれる脳の機能と関係がある。詳しいことは森口 佑介先生の「子どもの発達格差」という本をおすすめ!)

メリットに感じないことはやらせなくていい?
いやいや、ただ放っておくことは危険だと思う。

方向を間違うとブレーキがない車のように
その勢いで良くない方に走っていってしまうこともあるから。

だから、我慢をさせることに注力するのをやめて、
努力の方向性を少しサポートをすることができれば
「結果として努力した」と思われるような才能を発揮する子は多い。


むしろ、弊害は「”普通”に適用させよう」と本当は好きでもないことに努力を強いることで一番自分らしい部分を育てることができなくなることだ。

普通にもなれない。
尖ることもできない。
僕は、私は、不良品
そんな風に感じて大人になるのはどれほどつらいだろうって思う。

私立一貫校を中学で出て、通信制の通学コースを選んだ息子は、みるみる成長している。

宿題なし
テストなし
学校週3日登校
それでも、以前よりずっと成長を感じる。

(前の学校も私は大好きだし、息子もその学校で過ごしてよかったと今は言っている)

何が彼を成長させたのか聞いてみた。

すると、中学までのことを振り返った語った言葉に、胸がギュッとなった。

『普通の学校に行っていた時は「普通にできる」ことがなんでも前提だった。

でも、みんなができて当たり前の「普通」がそもそも僕にっては難しかった。

前提の「普通ができない」って、もうそれは、勉強を理解しているとか以前に「勉強ができない」「頭が悪い」のと同じ。
だから正直あの頃はすごくつらかった。』


そんな風に感じていたんだと初めて知って、胸が疼く。
私も追い打ちをかけるような言葉をたくさん言ってしまった。


書くことが苦手で、板書が遅くて書き終わる前に消されてしまう。
連絡帳を書き写すことができずに忘れ物ばかりだった。

今なら、「合理的配慮」という法律ができたけれど当時は知る由もない。

「早く書き写す」ことや「友達に教えてもらえば?」と、息子の能動的な行動ばかりを求めて、学校に配慮してもらうなど考えたこともなかった。

そうして、どんどん自信を失っていったのだと思う。

この続きはまた次回!
「昭和時代に生きた親との価値観のギャップ」と中野信子さんの「努力不要論」の感想も兼ねて書きますね。



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この記事を書いた人
daremoga代表 ジュリ

【発達障害支援コーディネーター、国家資格キャリアコンサルタント、夫婦のためのつきっきり子育て支援「まるHUG@FAMILY」代表。
クリスチャン。友達作りが天性、時々英会話講師、夫婦カウンセリング、発達凸凹カウンセリング、子育て世代のキャリアを応援するライフデザインカウンセラー】

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