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ヤキモチ焼いて膨らんだのは、【ショートショート #04】

 どうしたんです、尻もちついちゃって。そんなに驚かないで、まあ話を聞いてください。そう長くはかかりませんから。

 私は浮気なんてしたことがありません。いえいえ、別に「全部本気なんです」って開き直って言っているわけではありませんよ。ごく一般的な基準に法って浮気はしていないと、そう言うのです。私はその日も彼女に正直に言いました。
「今日は会社の飲み会があるから帰りは遅くなるね。あ、受付のヨシコちゃんと同期のアズミちゃんもくるけど、何もないから安心して」と。

 ちょっとここで、あなたにお尋ねしたいのですけれど、この言い方を採点するとしたら何点満点中の何点でしょうか。私はこれがベストな言い方だと思ったのですけれど。あえてヨシコちゃんだのアズミちゃんだのと名前をいう必要はありませんでしたかね。余計に勘繰ってしまうでしょうか。ちゃんと名前まで告げた方が私は誠実だと思ったのですけれど…。

 その日は本当に何もなく家に帰りました。多少、思っていたより遅くはなったのですが、ちゃんと帰りました。
 帰宅すると、普段ならもう寝ている時間なのに、彼女は部屋の電気をつけて私を待っていました。こういうときのお決まりごとがありまして、彼女は七輪でヤキモチを焼いていたんです。その日は2個でした。ヨシコちゃんとアズミちゃんの分ってことでしょう。彼女は僕にヤキモチの乗ったお皿と箸を渡して、無理やり食べさせようとするんです。飲み会で焼肉をたらふく食べてきたあとなのに、きついでしょ?
「きみはどうしていつもヤキモチを焼くんだい?」
 私は彼女に聞きました。
「砂糖醤油でお召し上がりください」
 と彼女は答えます。ね、こういうときの会話はよくちぐはぐになるんです。
「ちゃんと前もって言いましたよね?」
「帰りが遅い」
 飲み会なんだからそういうこともあるじゃないですか。彼女はいつもこうなのです。
「会社の付き合いだから仕方ないんですよ」
 そう言いながら私は、箸で餅を口へ運びます。焼いた分をちゃんと平らげないと、あとでまた厄介なことになりかねません。
「あたしのこと、どう思ってるの?」
 と彼女は聞くのですが、私は口の中の餅を懸命に咀嚼しながらウンウンと頷くのがやっとで。本当は「あいしてる」って言いたいのですけれど、モチが喉につっかえてしまって言えなくなるのです。
 食べた後に言えばよいのですけれど、私が飲み込むのを待たずに、彼女は機嫌と一緒に身体も斜めにしてそそくさと寝床に入っていきます。
 焼き餅は狐色とはよくいったもので、ほどよい程度に妬く分には可愛らしくてよいのですが。彼女は私に相当胸を焦がしてしまっているようなのです。
 食うた餅より心持ち。彼女の気持ちを、もっと愛しいと思うべきなのでしょうか。

 そんな日々がはじまったのは、いまからちょうど1年ほど前に同棲をはじめたころでして。その前は、こんなにヤキモチを焼く人だとは思いもよりませんでした。
 最初にその“症状”がでたのは、デートで一緒に食事にいったあと。お会計の際に私の財布からキャバクラの名刺が飛び出しまして。あわてて拾おうと思ったのですが、彼女の指がまっさきにそれをつまみ上げました。名刺には「今日はどうもありがとう!またいつでもよろチクビ♡ ミヤビより」なんて書いてあったものですから、「チクビ…♡…、なにこれ?」と問い詰められまして。いや、お得意先の接待で行っただけで、やましい気持ちは微塵もなかったのだと弁明しましたが、家に帰り着くやいなや彼女は物置から七輪を出しておもむろに餅を焼き始めたのです。
 いやね、最初に七輪を出したときは練炭自殺でもおっぱじめるのかと焦りましたが、ちゃんと窓を開けてから火をつけるので、ほっと胸をなでおろしましたよ。いや、確かに、まず七輪なんて持っていたのかとツッコミたい気持ちもごもっともで。
 とはいえ彼女というひとは、奇妙な習性を持っているらしく、物理的にヤキモチを焼くひとなのだと、そのとき得心しましてね。
 それから、ことあるごとに餅を焼いては食べさせられました。ときには、おしょう油を垂らして、またときには、きな粉をまぶして。そうそう、お雑煮なんていうのもやります。汁がある分、余計に腹が膨れるので、外で食べて帰ったあとには大変堪えました。
 それでも我慢して完食しないといけない理由は、もう少しあとでおわかりいただけると思いますけれど。

 まさに今日のことですよ。彼女に私の隠していた箱が見つかってしまいまして。私はですね、彼女の習性を理解してからというもの、女性との関係を匂わせる類のものの一切は見つからないように、ひとつの箱に一緒にしてしまっておいたのです。いや、本当にやましいことはなくて、いやいや、絶対とは言い切れませんけれども、たとえば仕事の名刺もそうですし、社員旅行の写真なんかも女性が写っているものはみんな隠していました。母からの郵便物だって隠しておくくらいですから。
 それでもですね、物置からその箱を見つけた彼女は、私の前に血相抱えてやってきて、箱の中身をぶちまけてしまいましたよ。そして、ひととおり私に詰め寄ったあと、ぶちまけた名刺やら写真やらを一枚いちまい数えていきまして、その枚数分、餅を焼いていったのです。
 その様子は、ワンコ餅とでもいいましょうか。私がお皿の上の餅をひとつ食べると、彼女が七輪からお皿へ餅をひとつ移して、私がひとつ食べるとまたひとつ…という具合に、次から次へと。
 私は、ついに胃の許容量をオーバーしてしまいまして、ぐったりと床に倒れこんでしまいました。彼女はとんだ癇癪もちのようで、「起きろ」とか「食べろ」とか罵りながらいうのですけれど、もう私は起き上がれないほどに満腹なのでした。
 私が餅を食べきれないとみて、「このクズ!」と彼女はわめき…いや、葛餅のことではなくて、クズですよクズ。怒ってふくれた頬をさらにプクーっと膨らましはじめまして、そのプクーっとした頬が、なんと、きつね色に変色していき、ついには焦げ目がつきまして。人間、妬きすぎるとこうなるのでしょうか。頬だけかと思ったのですが、彼女が七輪の上にかがみこみますと、全身を膨らましはじめて、着ていた服ははちきれ、露わになったもちもちの白い肉がまだまだ膨れ上がります。ついには彼女、この部屋を覆い尽くすほどの、大きなヤキモチになってしまったのです。
 彼女の嫉妬を鎮めるためには、この餅を平らげないといけないと思いまして、巨大な餅に押しつぶされそうになっている私は、意を決して噛みつきました。 
 胃の許容量を超えて、どんどん咀嚼していきます。

 それから、何時間かかったでしょう。私はついに完食しました。ところがどっこいです。ヤキモチを食べるのに専心していたせいか、私が食していたのは彼女自身だったということに、ようやく気が付いたのです。いまさら後戻りはできません。しかしですね、食は血となり肉となりといいますでしょう。私の中に彼女が息づいていると考えてみることにしたのです。ええ、とんだ開き直りですね。いや、でも本当に、私のお腹の中で彼女の愛がさらに膨らんでいくような気さえするのです。
 見てください。どうですか私のこの姿。一心不乱に食べるうち、私のお腹もぷっくらと膨れ上がり、ヘソがムクっと突き出したかと思うと、みかんのようなきいろになりまして。側から見ると、鏡餅のようでしょう?ははは、笑っていただいてかまいません。

 ところで、わざわざあなたをお呼び立てした理由はですね。いえ、すみませんが今日は同伴でもアフターでもないのですよ、ミヤビちゃん。あなたに折り入ってご相談がございまして。ほら、もうお正月も近いでしょう。よろしければ、あなたのお家に飾っていただきたいと思いましてね。…まあ、その気持ちもわかりますけれども。縁起がいいですよ、鏡餅。なにせ、私はもうこのまま動けないようなのです。さっきから体の表面がカチカチに乾いてきまして、ヒビ割れてきました。…いや、まあまあ、落ち着いてください。いや「餅ついてください」ではなくて、落ち着いて。大丈夫ですよ、彼女はもうヤキモチは焼けませんから。なんて言ったら語弊がありますけれども…いや「五平餅」ではなくて。もちろんね、私も反省し…、いや、どんな論ですかそれ。いまのは断定をあらわす副詞の“もちろん”です。
 え、なになに?…何を言っているんですか?いや、本当に付き合っている彼女がいたんですよ。…いや「餅を突き合う」ではなくて、交際していたんですよ。…ん?ちょっと飲み込めませんね。いや餅ではなくてあなたの話が。
 …いったいなにを言っているんです?「ちょっとのことでヤキモチ焼くほどあなたを溺愛する彼女なんて、絵に描いた餅なのよ」ですって?ははは、さすがミヤビちゃん。うまいことを言いますね。…いや、「餅が美味い」ではなくて、話が上手いと。
 …いやはや、面白い。では、私のお腹の中で膨れ上がっているのは、愛じゃなくて、ただの妄想だったというわけですか?わはは。


 …ん、ミヤビちゃん、どうしたんですか急に。そんなに七輪に近づいたら危ないですよ、まだ中の火が残っているから。…あ、あれ、ミヤ、ビ、ちゃん…?



(了)

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