はなまき

どこにでもいる大学生

はなまき

どこにでもいる大学生

最近の記事

睡眠薬って凄い

精神科に入院して睡眠薬が処方された と言っても軽いもので薬を抜く時も比較的抜きやすいものらしい 最初飲んだやつは眠れたものの 夜中の1時に目が覚めてから1時間おきに覚醒する& その1時間ごとに見る夢が変わる という作用?まで付いてきたので薬が変わった 今はきっかり寝れてる 睡眠薬 凄い いつかは抜かなきゃいけないけどね

    • 無理は自分の専売特許

      無理するのが得意 そんな事を言えば大体は『無理しないでね』 と言われる 私からすれば誰かに助けを求めるよりも 無理する方がよっぽど楽なのだ 多分そういう所が完璧主義者たる所なんだろう 本当に無理をし続けると感覚が麻痺する 無意識に無理し始めるのだ そして取り返しのつかない所まで来ても尚気づけない それに気づいたのがついこの前 大学を休学するかしないかの話し合いの時に 私は一貫して『大丈夫です やれます』と言っていたのだが、ある日ふと頭に浮かんだ 『あ。無理だ。』

      • 久々に近況報告でも

        久々にnoteを開いた というのも精神科病棟に入院しているからである 今回はどちらかというと薬調整のための任意入院なので解放病棟にいる 携帯の使用も基本は自由だ 環境に慣れるまでに時間がかかって中々noteを更新出来なかった 対人恐怖があるせいだ 今は朝夕食前薬の漢方と睡眠薬を処方されてる あと頓服薬(希死念慮が強くなった時用) なんだったかな なんかリスペリドンみたいな それしか覚えてない 若い人が多いと聞いていたのだけど私が最年少らしい(20歳) あとは部屋は

        • 己のアイデンティティ

          自分のアイデンティティ それがなんなのかが分からない 私を象徴するもの 考えれば考えるほど分からなくなる 青年期の発達課題は 同一性 vs 同一性の拡散 である 自分は何者なのか 自分は何になりたいのか それが本当に分からない 私は妹より少しは勉強が出来る 私は楽器が吹ける 高校生の時にアイデンティティをこの2つに置きすぎた その結果大学生になってアイデンティティを失った 別に勉強も、物凄く出来た訳じゃない ただ赤点回避しつつ平均より少し上をキープし続けただけで

        睡眠薬って凄い

          受動的な救い

          人が怖い そう思ったのはいつだったか 多分小一くらいかもしれない そうなると15年前からだ そして人に『助けて』が言えない 周りからの救いをいつも待っている 人が怖いくせに人からの救いを待っている いかに愚かなことか 助けて欲しいのに自ら手を伸ばすのが怖すぎる 結果、人から手を伸ばしてもらうまで自分を壊して何とか生きる愚かな人間の出来上がりである いつか自分から助けを求められるようになりたい

          受動的な救い

          痛みとお酒が生きる糧

          毎日死んだように生きている そんな私が生きている理由は『死ねないから』 生きているだけで苦しいし とめどなく希死念慮が襲ってくる そんな中私は生きるために自傷行為をしていた リストカット、極限まで首を絞める、OD、意図的な嘔吐… とにかく傷付けた 死なないために 自傷行為に手を出して7年 中々の年月が経ったと思う 気付けば大学2年生になっていた 大学3年生からは実習も始まる そこである事に気付いた 【実習中は腕が切れない】 手っ取り早く自分を傷付けるのにリストカ

          痛みとお酒が生きる糧

          ただのオタク話

          ちょっとした感想 今日で10thLiveのアーカイブ期間が終わった とても良かった ちなみに私は宿女 兼 ナゴヤ穣である やはりライブはいいものだなと思うと同時に 切実にライブ音源配信を望む ライブ音源でしか得られない栄養があるのだ ヒプノシスマイクとの出会い ヒプノシスマイクと出会って実に6年が経った 時の流れは速いものである コンテンツが始動した少し後くらいから追いかけたのだから 出会いは中学の時の友人(ハマ女)に勧められて 軽い気持ちで当時のMVを見たことが始

          ただのオタク話

          自分の考えを表出するのがとても苦手

          自分の考えを表出するのがとても苦手

          感情表現

          突然だが、私の妹たちは自己主張をするのが上手い 『自分はこうしたい』『楽しい』『自分は今不快である』など良くも悪くも感情表現が出来るのだ 私はそれが苦手だ どうも感情表現が苦手である 私も人間なので当たり前だが感情はある 感情が一切ない訳では無い 面白い 楽しい 感動した イライラする など 快・不快 両方の感情は人並みにあるのだ しかし感情はあるがあまり動かないのだ 言葉にするのが難しいが、妹たちのように全力で一喜一憂することが出来ない そしてその僅かな感情を出力す

          私にとっての音楽

          人生 辛いことの方が多く、生きるので精一杯だが、そんな中私は何に救われてきたのか 多分『音楽』だろう クラシック、ボカロ、V系 この3つの分野にはとても助けられた 3つともバラバラな分野の音楽であるが 私にとってはかけがえのないものである しかし、正直クラシックについては詳しい音楽構造などについては未だによく分からない 9年間吹奏楽をやってきた身でありながら ドイツ語音名ですら読んで理解するまでに時間がかかる それぞれの音楽について語っていくと、とんでもない長さにな

          私にとっての音楽

          私の傾向について

          私は今20歳だ 私にはASDの傾向があるらしい この事について判明したのがつい最近なのである 発達障害としての診断は付かないし、健常者に限りなく近いが薄く症状がある状態である。 検査はやはり凄いと思った 私の結果は【言語理解】が平均より上だったのに対して、【ワーキングメモリ】【処理速度】が境界知能レベルであった 昔から傾向が無かった訳ではない 思い返してみれば確かに昔からあったのだ (酷い偏食や感覚過敏、マルチタスクがあまりにも苦手すぎるなど) ただ私が過ごした義務教

          私の傾向について

          自分の名前

          私には親が付けてくれた名前がある 妹たちと合わせて1つの話になるように付けられた名前を気に入っている そして、その名前を幼い私は誇りに思っていた しかし、成長した私は自分の名前を誇りを持って 名乗る事が出来ない 妹たちを支えられるような、人が集まってくれるような『樹』にはなれなかった後ろめたさがどうしても付き纏う たかが名前である 名前で全てが決まる訳じゃない 絶対に私の考えすぎだという事も分かっている でも自分の名前を自信を持って名乗れるような人間にはなれないし、これ