中国残酷物語、第四部。戦争から戦争へのハシゴ。もはやボロボロの中国
明から清へと王朝が代わり、領土も大きく拡大して、貿易でも絶好調!
清の繁栄の道は、ずっと続くと人々は信じていたところでしょうが、繁栄の過程でとんでもない敵を作ってしまいました。
それが世界最強の軍事力を誇るイギリスで、アヘンという麻薬が原因で中国とイギリスはアヘン戦争を行う運びとなるんです。
いくら、清が勢いがあるとはいえ、世界最強の存在であるイギリスを倒す事は出来ません。
実際に、アヘン戦争はイギリスの勝利に終わります。
そして、戦争が終わった定番として、敗戦国が血反吐を吐く講和条約というものが待っています。
イギリスの立場で話すと
俺たちは戦争に勝ったのだから、これぐらいの事は守ってもらうぜ!?
という約束が講和条約です。
戦争に負けた瞬間から、中国はイギリスがどんな講和条約を提示していくるかビクビクしていたはずです。
そして、このアヘン戦争における講和条約の大きなポイントとしては、イギリスが中国の複数の港を開港させたところです。
当時、国家が欲するものというのは、お金は勿論の事ながら、領土拡大というのがマストでした。
自国だけでなく、他国に植民地や通行権、商工権などを獲得しておけば、自国の経済に何かあった場合、植民地で生産している物資や、生み出している貨幣などで何とかしようという
領土リスクヘッジをするのが主流だったのです。
イギリスは、中国への輸出売り上げに悩んでいた事が、アヘン戦争の発端となりましたから
中国に港を開港させて、イギリス船が、その港に停留する事ができる状態を作る。
そうすれば、イギリスから中国への輸出頻度が増えて、イギリスの中国に対する貿易赤字を解消できるのではないかと、イギリスは考えたのです。
しかし
港を開港させて、貿易効率を上げても
メイドイン・イギリスの商品は中国では売れず、貿易赤字はなかなか解消しなかったのです。
どんだけイギリス製品が人気ないんだよ!
と思ったりもしますが、アヘン戦争が起こって、イギリスに対する反感も国民の中で高まったが故に
イギリス製品を毛嫌いしたのかもしれません。
イギリスにとっては
は???全然売れへんやん!!
って感じでしょう。
イギリスとしては、またもやこの状況を打開しなければなりません。
どうしましょう。
そうです。
また戦争をすればいいのです。笑
先述しましたが、中国国内で、イギリスに対する反感は高まっていました。
そしてある日
アロー号というアヘン輸出船が中国に停留していた所、中国人が勝手に船内をいじったり、イギリス国旗を破り捨てたりして
やんちゃをするわけです。
そうなれば、イギリスは
何をやってんだ!!!侮辱行為だ!!
戦争だ!!!
はい。
ここから第二のアヘン戦争と呼ばれる
イギリスと中国のアロー戦争が起こってしまいます。
イギリス、むちゃくちゃ好戦的ですよね。笑
そりゃぁ、世界最強の軍事力を持っていて、戦争になれば負けませんし、戦争が終わった後の講和条約で
自国に有利な条件を提示した方が、問題解決としては手っ取り早いですからね。
そして、中国にとって絶望的なのが、今回はイギリスだけでなく、中国での利権を欲したフランスもイギリスとチームを組んで参戦した事です。
絶望
圧倒的、絶望でございます。
案の定、中国は最強欧州軍団にまたもや敗北してしまい、今度は更なる港の開港と、中国人を実質的な奴隷として中国外で労働させる事を認めざるを得ない講和条約を突き付けられます。
ちなみに、中国から外国へ過酷な労働をしにいく人を
苦力(クーリー)と呼びます。
そして、清に勝利したイギリスとフランスは勿論、講和条約の仲介役となったロシアとアメリカも、中国内の領土獲得に向けて動き出す事となるのです。
遊牧民たちが、必死の思いで明という王朝を倒し、自分たちの清という国を建国して、順調に国づくりが進んでいったのですが
イギリスと一回、喧嘩になったばかりに、短期間で二度の戦争を行う事になり、中国国内にイギリス、フランス、ロシアなどが駐留して
もはや誰の国だか分からないようなごっちゃまぜ状態になってしまったのです。
こうなってくると、今度は国外との争いではなく、国内に清王朝に対して不満を持つグループが現れてしまうのが歴史の通例です。
明を倒すために結集した清軍団が、今度は倒される側になってしまうという事ですね。
残酷物語、国内闘争編は次回に!!
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