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【小説】この恋の倍速再生を止めたい 第2話

 目が覚めるとまず、電気ケトルに水を入れてスイッチを点ける。ドリップコーヒーを大きめのマグカップにセットしたあと、パーラメントに火をつける。常に回りっぱなしの換気扇の下で紫煙をくゆらせながら、お湯が沸くのを待つ。

 ショウは、自身が朝に弱いタイプの人間だと思っていた。起き抜けは頭がぼーっとしていて、あまりはっきりしない。低血圧なのかもしれないと思ったが、本当に低血圧の人はみな朝に弱いのだろうか?そもそも自分の血圧が正常なのかもよく知らない。温泉施設に行ったときに、たまになんとなく測ってみることがあるくらいだ。

 熱いコーヒーをすすりながら、スマホで経済新聞をチェックする。先生との会話のネタになりそうなニュースをいくつか読みながら、しゃっきりと目が覚めるのを待っている。

 そろそろ出かける時間だ、そう思ってクローゼットからワイシャツを取り出す。5着を毎週クリーニングに出してローテーションで着ているので、平日は常にパリッとのりの効いたシャツを着ている。最初のころ、1着しかないシャツを着まわしていたら先輩にとがめられたことがある。いわく、「シャツがヨレてると、それだけで仕事ができないヤツに見える」んだそうだ。他人のシャツのしわなんか、いちいち気にしてるヤツがいるか……?とでも言いたげな俺の顔を見て、「気にしないヤツもいるけど、気にするヤツに対しては有利に振るまえるだろ?服装ってのはセルフプロデュースの一環なんだよ」と言われて以来、なるほどと納得して今のスタイルに落ち着いた。

 今日も寒そうだから、コートも羽織っていこう。玄関を出て、鍵を閉める。駅までの道を歩きながら、吐く息が白いことに気付いた。冬が近づいている。


 朝の丸の内線は最悪だ。新高円寺から乗り込んだ列車は、異様に混雑していた。押しつぶされはしないが、常に誰かの身体が当たっている程度の込み具合。なんとなく、他人の体温が自分の身体に触れているのが気持ち悪いことのように感じてしまうのは自分だけだろうか?

 赤坂見附駅で降りて、銀座線へ乗り換える。乗り継いで二駅ほどの虎ノ門駅に、目的の病院はあった。

 「おっす、おはよう、木下」
 「平井さん、おはようございます」

 病院の玄関前より少し離れた門柱の傍に、会社の先輩である平井さんが待っていた。自分も15分前に着くように家を出たのだが、それより早くに待っていたようだ。

 「今日は俺が先生と話すから、あんま心配しなくていいぞ。あいさつと、受け答えだけしっかり頼むな」
 「はい、わかりました」

 平井さんに連れられて院内へ入る。平井さんは慣れた様子で受付の方へ要件を伝えている。しばらくして呼び出しがあり、医局へ向かった。

 「先生、おはようございます。平井です」
 「はいはい、どうぞ。ん、そっちは誰? 新人さん?」
 「はい、今日から実地で連れてきました。後輩の木下です」
 「先生、初めまして、木下と申します。本日は貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 うやうやしく頭を下げて、両手で名刺を差し出す。「首都圏営業部4課 木下 翔」と書かれた名刺を先生は片手で受け取ると、「どうぞ」と椅子を進めてくれた。

 先生と平井さんの会話は、雑談が中心だった。やれ娘が反抗期だの、奥さんの金遣いが荒いだのといった家庭の話や、院内ではGPSで居場所を常に把握されて煩わしいだの、当直明けで眠いだのといった愚痴に終止していた。それも10分少々で切り上げて、退出してしまった。営業をしに来ているという感覚があったショウは、なんだか拍子抜けしてしまった。

  「MRって、みんなこんな感じなんですか?」
 先生との会話を終えて病院の外に出る道すがら、ショウは平井に訪ねていた。

 「んー?ほかの人は知らんけど、俺はこんな感じかなあ」
 「こんな感じって、これで売上が達成できるんですか?」
 「まあ、できないときもあるけど。ま、お前もそのうちわかるよ」

 平井さんは、営業成績はそんなに悪くなかった気がする。でも、なんというか、ゆるいというのか、効率が悪いような気がする。もっと会話の要点を事前に決めて、短い時間で簡潔に伝えられないのか?なんて失礼なことを考えながら、建物の外に出た。

 「じゃ、木下。俺、次は別だから。おつかれ」
 「あ、はい。ありがとうございました。先に戻りますね。お疲れ様です」

 別の案件へ向かう平井さんと別れ、ショウは会社に戻ろうとスマホを開いた。駅の方向を地図で確認したかった。初めて訪れる場所はどうしても一度では道を覚えられない。

 玄関でまごまごしていても邪魔になるだろうと思ったので、どこか座れる場所はないかとあたりを見回す。と、公園のようなスペースがあることに気付いた。ベンチもいくつかある。あそこに座ろう。


 病院玄関前の庭園。芝生に植樹がしてあり、緑を感じられる。ショウは初めて見たこの庭園が嫌いではなかった。病院という無機質な白の空間にあって、ここだけはなんだか自然に感じられたからだ。幾人かの入院患者が、看護師さんに連れられて散歩をしている姿が見える。

 ふと、ベンチに腰かけている一人の少女が気になった。髪は長く、日の光に反射したそれはやや白く見える。すっきりした目鼻立ちはいわゆる美人の部類だが、どこか幼さを残した顔立ちには少女特有のかわいらしさが残っている。
 
 整った顔立ちの若い少女だから目を惹いた……ということも否定はしないが、どうやら付き添いの看護師がいない。コートの下に入院着と思しきものを着ているので、見舞客ではなく患者であろう。病室を抜け出してきたのだろうか。

 「あの~…… ここの患者さんですよね?大丈夫ですか?」
 「えっ……?」

 少女は驚いた顔でこちらを見ている。知らない男から突然声をかけられたわけだし当然だ。幸いにして、いまは医局帰りのためスーツを来ているし、不審者とは思われないだろうが……。

 「あ、俺、「木下」って言います。ここの病院には仕事で来てて……。MRっていう、病院向けの営業職みたいな仕事なんですけど。それでちょっと患者さんのことが気になって……」

 どうしても早口でまくし立ててしまう。いくら病院の準関係者とはいえ、患者さんにいきなり声をかけるのは不自然だった……。切り上げて、看護師さんにパスした方が賢明かもしれない……。

 「看護師さん呼びましょうか?大丈夫ですか?」
 「はい、大丈夫です」

 ふう……。いくら可愛い女の子だからって、さすがに患者に声をかけるのはマズかった。あいさつをして立ち去ろうとする背中に、透き通った鈴のような声がかけられた。

 「木下さん、次はいつ病院に来ますか?」
 「え?」
 「ここ、歳が近い人がいないから、よかったらまたお話してください」

(つづく)




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