【小説】この恋の倍速再生を止めたい 第3話
家路へ向かう電車に揺られながら、ショウは今日の出来事について考えを巡らせていた。
あの後会社に戻ったが、仕事は手につかなかった。思い出すのは、病院で出会った少女の顔。柔らかく微笑んだ彼女は、とても美しかった。これが一目惚れってやつなのか、自分はこんなに惚れっぽかったのか、と自嘲気味の笑いをこらえながらも、ショウは自らの胸の高鳴りを自覚せずにはいられなかった。
もう一度会いたい。名前も知らない彼女に。
冬空の下、駅を出たショウは浮ついた気持ちを抑えながら、帰路についた。
「平井さん、こないだの虎ノ門の病院なんですけど。また行ってもいいですか?」
「んー? 別にいいけど。でもあの先生忙しいからなあ」
「ありがとうございます! 僕の方から先生にアポ取って良いですか?」
「いいよー。なに?なんだかやる気あるね」
「はい、たくさん回って顔覚えてもらいたいですし」
「まあ、ダメもとでやってみて。今回のアポも夏頃に連絡してたし、いつか会えるかもだし」
出社したショウは、さっそく先日の医師にアポイントを取ることにした。平井から「ダメもと」と言われたのが気になったが、再訪したい旨のメールを打つ。文章を推敲し、先方が会いたくなるような内容になっているか、こちらの要望を押し付けたような煩わしさがないか、送信ボタンを押すまでに何度も考えた。さながら恋する乙女のようだ。よし、これでいい、送信。
メールを送り終え、思わずふうっと息が漏れた。なにをそんなに緊張しているのだろう。返信を待つ間、通常の業務に戻る。そわそわしながら、何度もメールボックスを開いてみる。合間の休憩に同期ととりとめのない雑談をしたり、認定試験のテキストを読んだりしてその日は終わった。メールは返ってこなかった。
オフィスを出て、ふと気付いた。彼女に会うことが目的なら、別に医師にアポを取らなくてもいいのではないか。いつ返信があるかわからない先生を捕まえるより、直接病院に行く方が効率が良い。アポのメールは、まああのままで良いだろう。次の仕事に繋がれば、それはそれだ。
早速、駅に向かおうとしてスマホを見る。いまは20時すぎ。面会は何時までだろうか。いや、面会はできない。彼女の名前すら知らないのだから。あの庭園でまた偶然会えるのを期待するしかないが、日が落ちて気温もだいぶ下がっているし、わざわざ外で待っているわけがない。消灯時間によってはもう病室に戻っているだろう。行っても無駄になる可能性の方が高い。何の約束もしていないし、偶然を期待して夜間の病院に行くなんて、実に効率の悪い行為だ。冷静な理性が、「タイパの良い行動」を取れと促している。
……そもそも、一度会ったきりの女性に対して、一体全体、何を浮かれているんだ? 彼女とは別に好き合ってる訳でもなんでもない。客観的に見て、いま自分が考えていることはちょっとおかしい。というか、先日の「またお話してください」だって、社交辞令に決まっているじゃないか。「いまの自分は盲目的になっている」という正しい認知をしたほうがいい。ショウは急速に醒めていく自分を認識していた。もう帰ろう。帰って、また明日以降の日中に訪問できるような予定を考えよう。昼休憩でちょっと抜けるとか、実地の間に抜けるとか、やりようはあるはずだ。
駅に向かって歩き出す。アパートのある新高円寺と、病院のある虎ノ門は、オフィスが所在する新宿の駅を挟んでそれぞれが反対方向にある。丸の内線に乗って、アパートに帰ろう。そう言い聞かせて歩きながら、先ほどとは異なる思考が頭をもたげてきた。
……でも、もし今日待っているとしたら? 寒空の下、一人でベンチに座っているかもしれない。いや、そんな訳ない。その思考はさっき終わらせた。でも、またお話してくださいとも言ってた。あれは約束ではないのか? いや違う、あれはただの日常会話。ふとはずみで出ただけの言葉。そもそもこんな時間に、一度しか会ったことのない男を、たまたま会えるかもしれないという理由だけで待っているはずがない。でも、若い人がいないと言ってたし、寂しいのかもしれない。そういえば、彼女はいくつなのだろう。歳の頃は自分とそんなに変わらない気がした。大学生?何の病気で入院しているのだろう?いつから入院しているのだろう?家族はお見舞いに来ないのか?友達は来ないのか?なぜ、いきなり話しかけた自分を訝しがらず「またお話してください」と言ってくれたのか?それは、こちらに好意を向けてくれたということではないのか――?
ぐるぐると思考が廻っている。ショウは、自身に考えすぎる癖があることを自覚していたが、どうにも止められないこともわかっていた。これを止める唯一の方法は、決めることである。「決断ができないものは、欲望が大きすぎるか、悟性が足りないのだ」と、どこかの哲学者の声が脳内に響いてきた気がした。
足は、虎ノ門へ向かう赤坂方面へのホームへと向かっていた。
「さっむ……」
地下鉄虎ノ門駅から出たショウは、コートの襟をきつく閉じた。我ながら、まったくどうかしている。普段の行動原理からは考えられない。まあ、行けばはっきりする。いなかったら、やっぱりな、と笑って帰ればいいのだ。夕飯も食わずに何をやってるんだ。そういえば、ふるさと納税で届いた肉が冷凍してあったな。帰ってそれを焼いて食べよう。米はあったかな……。……そんな益体もないことを考えながら、病院までの道を歩いた。
「え……」
病院前の庭園、都心の灯りでまばらにしか見えぬ星空の下、街灯がぼうっと照らすベンチに、彼女は一人で座っていた。
「あっ」
彼女もこちらに気付いた。遠目でも、嬉しそうに微笑んでいるのが分かる。思わず駆け寄る。
「こんばんわ」
「こ、こんばんわ……っ!え、どうして……?」
「木下さんが来てくれないかと思って、待ってました」
こんなことってあるか、フツー?なんで?こんな寒空の下、一人でずっと待ってた?いつから?必ず来るかもわからないのに?なんで?ここまでするか?
嬉しい気持ちと、若干の困惑。というより、素朴な疑問。
「え……?ずっと待ってたんですか?」
「はい、自由時間の時は。ベンチでぼーっと待ってました笑」
冗談のように、笑いながら話す彼女。心情としては、とても嬉しい。男冥利に尽きるというやつだ。が、おおよそ効率的ではない行動だとも思う。何が彼女を突き動かしているのだろうか。
「もうそろそろ消灯時間だから、もう戻らないといけないんですけど。でも、もう一度会えて良かったです。ありがとうございます」
そう言って頭を下げたあと、すっと、彼女がベンチから立ち上がる。
「あの。よかったらまた来てください。今度はもっとたくさん、お話しましょう。昼間はだいたいここにいるので。あ、でもお昼は仕事だから難しいですかね」
「あ、こちらこそ……また来ます」
「はい、ありがとうございます。ではまた、おやすみなさい」
そう言って、病院の中へ入ろうとする彼女。どうしても、このまま終わらせたくないと思った。言葉が、声が勝手に出ていた。
「あ……!あの! メッセージ、交換しませんか!」
「え、スマホの? いいですよ。交換しましょう。むしろ、してください!」
お互いのスマホを取り出し、QRコードを表示させる。一人は読み取りのカメラを表示しないと連絡先の交換ができないのだが、二人ともQRコードを出しっぱなしにしていて、顔を見合わせて笑った。
ぴこん。という電子音とともに、画面に「友達」として登録されたアカウントの名前が表示される。花のアイコン写真と、「あやか」の文字。
「アヤカさん、ってお名前なんですね」
「木下さんは、ショウくんなんだ」
初めてお互いの名前を知った。ただそれだけで、なんとも言えない気持ちが胸にあふれてきた。連絡先を知ったことによる幸福感、安心感のようなものが生まれている。
「それじゃ、また。メッセージしますね。あ、でもウザかったら言ってください。私入院しててヒマだから、送りすぎちゃうかも」
「あ、全然それは別にいいですけど……。僕も、送ります」
ふふっと笑って、彼女は病院の中に入っていった。ショウは、しばらくそこに立ち尽くしていた。
ぴこん。とスマホが鳴った。画面にはアヤカが送ってきた、ゆるい線で描かれたネコ?のようなキャラクターが「だんだん」と言っているスタンプが表示されていた。
(つづく)
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