お正月は何故寒いのか?

一年の始まりは、何故寒い冬の真っ只中に定められているのでしょう。正月の元旦を祝うなら、炬燵の中で縮こまる悪条件の季節で迎えるのではなく、例えば、心が浮き立つ満開の桜の頃や、種まきを始める時季のほうが適切であろうと、みなさんもお考えになるでしょう。


実は明治の初めまでの太陰暦では、梅のほころぶ立春が正月元旦でした。
現在用いられている太陽暦は1月1日を冬至に設定した暦です。しかし、天文知識が未熟だったゆえに、元日と冬至が別々の日になってしまったのです。この冬至こそ、暦の起点となる重要な日だったのです。

地上の一切は太陽の惠によって育まれています。人々は太陽を畏敬し、生活の指針を太陽に仰いで生きてきました。しかし、太陽に依存する生活は危機を迎えます。太陽がその光を弱めた時、段々と光線が衰え、日が短くなり、大地が凍えて寒さがやってきます。草木も多くが枯れてしまいます。この受難に古代はなすすべなく、ただ嘆き悲しむしかなかったのです。そのため、太陽が衰弱の極地から一転して、光を強めて行く時を迎えると太陽の復活を待ち望んだ気持ちを高め、踊り祝ったのです。一陽来復です!


この一陽来復の、何事にも替えがたい喜びの日が「冬至」だったのです。太陽暦はこの一陽来復の日を起点としました。
西洋にはクリスマスを祝祭しますが、元は、太陽の新生を寿ぐ冬至祭りが原型です。
古代の中国では、暦を作って人民に授けることが天子の重要な任務であったので、暦の起点は重要で、冬至の日に天を祀る儀式を行い暦の起算日としたのです。

魏・普の時代に、宮廷の女官が冬至以降に伸びていく日足を紅い線で印をつけて測りました。夏至になると、日々縮まる日足を今度は黒い線で測っていたと伝えられます。即ち「紅線、日を量る」という言葉の起こりです。


冬至は寒く凍える日だと、マイナスイメージでは古代人は捉えずに、太陽が蘇る日なのだとプラス思考で考えたのです。陰極まりて陽に転じる、という陰陽道を自然の哲理だと考えたのです。

宇宙、森羅万象に寄せる素朴な信頼。これは生活に当てはめれば、最悪の状況であっても事態が好転すると確信して励む心、明日に光を見いだそうとする不撓不屈の精神に通じます。


満目蕭条の草木の枯れ果てた世界に、太陽が出現して大地に光を恵み、新しい生命を誕生させしむ、この現象を一陽来復と讃え申し上げました。事態が最悪の時、良好な事態へ転機となすとの意味で、その言葉は多くの人を救って来たのです。


本来は忌み嫌うべき冬至の日を、明るい未来へ続く希望の日として、陽光が再来することを告げる日として祝った古代人の叡智と洞察に感嘆せずにいられません。

この大自然に、謙虚に、感謝の心で敬虔に生きたいものです。

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