孔子の「孝経」から、ウクライナ侵攻を考察する
ロシアによるウクライナ侵攻で戦うか降伏するか、意見が二分されています。
意見が2つに分かれる原因は、その人にとって「大切なもの」は何か、が違うからです。
テリー伊藤さんや元大阪府知事の橋下徹さんが「無駄死にするな、降伏してもいい」などと発言するのは、「命」が何よりも大切だと考えているためでしょう。
一方で、「降伏せずに最後まで国を守る」「戦う」と主張する人は、「家族」を大切に考えているのです。
鹿児島の知覧にある特攻平和会館に行ったことのある方は、誰も知覧の飛行場から特攻隊員として若くして散った方々の達筆な家族あての手紙に涙したでしょう。
あの人達が大切にしたものは、命ではなく「家族」であったり、「国」であったり、その当時の常識としての「天皇イコール日本、祖国」という考えです。
今、ウクライナでロシアと戦う兵士や市民は(逆にロシアからウクライナに進行するロシア側の兵士であっても)、一番大切に思うものは「命」ではなく、家族であったり祖国であったりするのです。
大切なものは何かを考えると、自分にとって幸せはなにかが理解できます。
あなたが、命を大切だと考えるか、家族を大切だと考えるかで、
避難するか、戦うか、の選択が決まります。
儒教経典の一つで、孔子の言動をまとめた「孝経」に、
【身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。】という言葉があります。
意味は、「人の身体、髪、皮膚、ありとあらゆるものは、父母より受けたものである。それを自分勝手に傷つけてはいけない。それが親孝行の始めである」という意味です。
なにもタトゥーやピアスを否定した考えではありません。
その真意は、人は命を次代へと繋いでいく大切な使命がある、ということを伝えた言葉です。
命を守ることは、かけがえのない生命を次代へ繋ぐこと。
家族を守ることは、家族が次代へと繋ぐ生命をまもること。
どちらも根源は「次代へ繋ぐ」という自然の掟に沿ったものだと見えます。
祖国を離れる決断も戦う決断も優劣などないのです。
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