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踊りを通じて、「感性の対話」が生まれる瞬間

先日、所属スタジオのRHIAスタのハフラがありました。
リアル観覧は満席、オンライン観覧もたくさんお申し込みをいただき、事務局としても感謝でいっぱいです。

2曲踊らせていただいたソロのうち1曲は、うっせぇわで知られる ADOさんのギラギラ邦楽フュージョンを踊りました。師匠にご助言たくさんいただきながら作ったオリジナル演目でした。
今回、フュージョンを踊っていて、改めて気づいたことがあります。

個人的な意見ですが、

THEベリーダンスである、アラブの昔ながらの名曲などを踊るオリエンタルでは、

そのあまりにも深く確固たる素晴らしい歴史と文化があるので、
それに対して敬意をこめて、理解していかに表現するかが醍醐味であると感じています。

その素晴らしさは知れば知るほど深みにハマる、まさに沼なのですが、

一方フュージョンは、とくに邦楽popsの場合、文化と時代がかなり自分と一とするものがあるため、

自分そのものを、より濃く表現しうるものだと感じています。


わたしは言葉での表現も大切にしたいですし、
絵での表現は、センスはないですが笑、好きです。
でもわたしにとって
内面で起こる様々な感情、
考え、
何とも名前の付け難いもの、
を表現するには


言葉では、ときに定義を固めてしまったり
では表現しきれなかったりすると感じます。

そのすくいとりきれないものを表現してくれるのが
私にとってベリーダンス
です。

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内側で巻き起こる自分だけの感性を、
誰しもが持っています
が、
それをすべて正確に他人に伝えることは難しい。
というか不可能です。

きっとまったく同じように感じる人など
この世にいないと言っていいなか、

それでも人は他人の表現するものに
反発したり嫌悪を示す時もありながら、
時に共感し、時に癒されたり
するものだと思います。

踊りを観客の皆さんの前で披露させていただく時
大袈裟かも知れませんが、
みてくださってる方々と、
感性の対話をしていると感じています。

言葉や他の表現では、自分では掬い取りきれない、
この確かに存在する何かを、

踊りという、
一瞬一瞬動き消えてゆく
刹那的な手段を通じて表現し、

そしてそれを受け取って
なにかが通じ合ったかたがたと、

感性の対話
をしている、と思うのです。

あの空間には、
その見えないやりとりは
確かに存在すると思いたい
のかも知れません。

まだまだ技術も表現も途上にあり、
練磨してゆくしかないのですが、
このやりとりを大切に踊ってゆけたらと思っています。

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