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忙し過ぎた2023年8月の日記に変えて

振り返りも兼ねて日記を綴り、noteに積み重ねているが、2023年8月は忙し過ぎて、何も書けなかった。どのくらい忙しかったかというと、8月のNETFLEXの視聴時間が、なんと0分!
これはもう、相当慌ただしくしていたという証左である。
 
そんな忙しい中でも、連載を落とすわけにはいかないと使命感で書いたのが、所属する対人援助学会の季刊誌「対人援助マガジン」の原稿。そこでは、「団遊の脱線的経営言論」と題し、20年以上の経営者人生で考えてきたことを綴っている。この8月の入稿分で、3号に渡って書いてきた「給与(報酬)編」が完結した。
 
そこで、今月は日記に変えてその内容をまとめて記しておこうと思う。


社員同士はもちろん、社長同士でも話題にしにくい給与の話

新卒で就職をせずに、フラフラと夢を追っていた私が、アルバイト以外ではじめて報酬を得たのは、とある雑誌に原稿を書いた際の原稿料でした。大学を出て1 年と少しが過ぎた頃だったと思います。その後、縁があって雑誌編集の仕事もするようになりました。

雑誌編集者の仕事のひとつに、外注スタッフへの「ギャラつけ」があります。ページ予算があり、一緒にページを作った誌面デザイナー、カメラマン、イラストレーター、ライター、スタイリスト等への支払額を決めていきます。

その配分は、媒体によってなんとなくの目安はあるものの、基本的に編集者が決めていきます。「良い感じに撮ってくれたから5万円にしよう」「この大御所ライターとは今後もつながりを強固にしていきたいから目安から5千円あげて3万5千円に」「初仕事で満額支払って調子にのられても良くないから、ここは1万円に」等、当時、新卒2年目相当だった私が、ほぼ全員が年上の外部スタッフの報酬を決めていきました。その過程で、報酬決定権者
には、実力以上に気遣いが集まることも実感しました。

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自分で会社をはじめて、給与をいくらに設定するかを考えたときに、目安にしたのは新聞の求人欄やインターネットの求職サイトでした。同業を検索し、だいたいどれくらいの金額にしているか。「25万円~30万円くらいと設定すれば給与で大きく負けないな」と考えた記憶があります。新卒社員の場合も同様に、新卒に限った求職サイトを見て、給与が「いい意味でも悪い意味でも目立たない」金額に設定しました。

賞与は業績連動給と考えるのが通常ですから、求人票に半ば保証的に「3カ月」や「4.5カ月」と書いてある企業を見ては、利益を上げる仕組みがしっかり整っているのだなと感心しました。

そのような、大した根拠のない給与設定にも関わらず集まってきてくれたメンバーと会社をやりながら、私はいつも給与改訂時期が億劫でした。同じもつまらないだろうから、5,000円くらい基本給を上げようか、などと考えるのですが、そこに大した根拠がありません。

同時に、自分の報酬を自分で決めるのも億劫でした。「社長なんだからもうちょっともらった方がいい」というようなアドバイスも、当時受けたりしましたが、「社長は給与が高い」というのも分かるようでいて、私には腑に落ちませんでした。

働く意義において、給与はひとつの大きな要因なのに、全員で見て見ぬ振りをする。経営者を始めた当初は、そんな風に「給与」を扱っていた気がします。

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一方で、薄給を嘆く大学時代の友人にはこんなアドバイスをしていました。

「給与を上げたければ平均給与が高い業界に行くことだ。例えば平均年収が400万円の業界で600万円を目指すよりも、平均年収が600万円の業界で600万円を目指す方が、可能性は圧倒的に高い。前者の場合はクラス2割の優等生にならないといけないが、後者の場合は平均点を取ればいいからだ。加えて言えば、クラスメンバーのスキルレベルは、大差がない。平均年収の違いは、ビジネスモデルの違いが生むもので、働く個人のスキル差が生むものではないからだ」

このアドバイスには、当時、多くの人が納得していました(それを理由に業界またぎの転職をするかどうかは別の話ですが)。

自社内では「見て見ぬ振り」をしている給与なのに、外では偉そうに自説を述べている。それではいけないなと思い、自社の給与の在り方を改めて考え直すことにしました。

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給与希望額を聞いた時、多くの人が「もらえるに越したことはありません」と答えます。尋ねた方も「そりゃそうだな」と思うし、できればたくさんもらって貰いたいとも思います。しかし、給与は根拠なく分配するものでもありません。お金が青天井にあるわけでもありません。そのため、給与テーブル的なルール作りに勤しみます。

私はこの「ルール」というものが好きではありません。ルールは設計者の意志や意図を反映するもので、決して公平なものではないと考えていたからです。加えて、ルールを作ると、ルールを守るための保守コストが莫大にかかると思っているからです。

しばらく悩み続ける中で、当時のメンバーたちとも意見を交換し、ある時「自分で自分の給与を決めればいいのではないか」と思い立ちました。自分で決めれば、金額がどうあれ納得度は多少上がるのではないか。いきなり労働分配率や分配額を上げることができない中で、それでも「変わった」と実感してもらうには、額ではなく「決め方」にフォーカスすればどうか。

この思い付きは悪くないものに感じました。そこで、早速メンバーに声をかけ意見交換をしました。結果は、必ずしもポジティブな意見ばかりではありませんでした。「そもそも何を基準に決めればいいのか分からない」「もし1,000万円と言ったら本当にもらえるのか」「給与はいくらでもいいので、会社に決めてほしい」等々。

しかし「給与の自己決定」に可能性を感じた私は、メンバーと相談しながら、足かせとなるものをなるべく排除していこうと考えました。「自分で自分の報酬を決められる会社」へ舵を切り始めた瞬間でした。

報酬宣言制度を取り入れたことで起きた変化

給与を自己決定する際にネックになるのは、いくらくらいが妥当か分からないことです。それは私がメンバーの給与を決めていたときに感じたことと同じです。その結果、例え給与の決定権者を社員自身にしたところで、業界平均や友人・知人の金額を参考に、なんとなく決めてしまうことが濃厚でした。それでは、報酬の自己決定制度と言っても、私の悩みごとを社員にスライドしただけで、自己決定の醍醐味を創出することはできません。

例えば進学先を決める際、多くの人は自分の偏差値的なものと、学びたい分野、通学したいエリアなど、複数の要素を掛け合わせ志望校を絞り、ある程度納得して受験をします。本当は違う学校に行きたかった、という人もいるだろうけれど、学力なのか、経済力なのか、何かしらのハードルがあり叶わないという、その事実とも向き合うことができます。

この決断プロセスがもたらすある程度の納得感、これを「会社の給与テーブルがそうだから」ではなく、自己決定の末に持ってもらうには、と考えた際に、圧倒的に足りていないのは情報提供だと思いました。つまり、会社が会社であるために、何にいくらかかっていて、総体としてどれくらいのお金が必要なのか、そのお金の一部が自分の報酬である、と言う風に現状を見られていないことが問題だと考えたのです。

そこで、会社の維持・運営にかかっている費用を1 円単位までつまびらかにすることに決めました。もちろん、社長である私自身の報酬も含めてです。経費だけでなく、同僚の給与もすべて丸見えになるため、抵抗を感じる人も、振り返ればいなくはなかったと思いますが、慣れの問題でした。そもそも、日本人はお金の話をするのが苦手なので、その延長で植え付けられたものが抵抗感となって顕在化しているだけのように、私には感じられました。

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会社の数字のすべてが分かれば、労働分配率などと言わなくても、自ずと報酬に回せる額が見えてきます。例えば、全体が見えない中だと、食べたいケーキの大きさを自分で決めることは難しいですが(もしかしたら取り過ぎかもしれない、という遠慮も働く)、ホールケーキの大きさと、食べる人数が分かれば、ケーキが出来上がる過程への貢献度を自分なりに評価し、食べたい大きさを宣言することは容易になります。全体が見えないが故の発言が「給料は、もらえるならもらえるだけ欲しい」だと考えたのです。

実際に運用を始めてみると、メンバーそれぞれの宣言額を聞きながら「あいつ、あれだけやってるのに、そんなに小さめに宣言するんだ」と感じる人もいれば、「結構思い切ったな」と感じる人も出てきます。ただ、全体が見えているから、無いものを奪い合うようなことにはなりません。また、宣言額の合算の結果、会社全体の数字がどうなるかも見えてきます。そのため、「このまま全員に宣言額通りに支払うと、会社がまずい」という意識も働き、私が言わなくても、社員同士で話し合いが始まったりもしました。「下げる」話だけでなく、「もっと上げろ」という声も飛び交います。「もらえるならもらえるだけ欲しい」という発想はみごとになくなりました。

宣言通りに支払うことを前提としたので、導入前は「もしも2,000万円と言い出す人が出たらどうするのだ」と心配してくれる経営者仲間もいましたが、結論そのような独りよがりな人はいませんでした。

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「報酬の自己決定制度」は、会社にいくつものポジティブな変化をもたらしました。まずは、事業の収益性に関心を持つメンバーが増えました。報酬宣言制度導入以前から、もちろん全員が一生懸命働いていましたが、どのような仕事をしていても、かかる経費はそれほど変わらないということが数字を全公開することで身に沁みますから、宣言額を大きくするには、より大きな利益が出るように、事業を作っていくことが必要だと分かります。そのため、事業の構造に考えを向けるメンバーが圧倒的に増えたのです。

コスト意識も高まりました。何せ1 円単位で毎月数字が公開されますから、今月、クロネコヤマトが高いんじゃないか?」「どうしてだ?」というようなことを必然的に思います。その結果、本当にそれは必要なのかという検証や、エコ配にしてはどうかといった削減案の検討などが、日常的に社員同士で行われるようになりました。何せ、利益が増えればケーキは大きくなるのです。

バックオフィスの仕事について、改めて考える機会にもなりました。「報酬の自己決定制度」においては、どうしても生産部門の方が宣言額を大胆に発表できがちです。例えば経理や総務を担当しているメンバーは、利益貢献度を自己査定しにくい面があるため、控え目になるというか、戸惑いがちでした。しかし、彼らがいなければ、会社が回らないことも事実であり、そこについては、生産部門のメンバーが非生産部門の仕事の価値を言語化するというような流れができました。

時に、生産部門が非生産部門に対して「誰の稼ぎで食えてると思っているんだ」というようなことを口走ってしまうことがあるように聞きますが、報酬の自己決定制度を採用すれば、そのようなことは無くなるのだと思います。

【報酬宣言制度】安定運用のからくり

自分の給料をメンバー(社員)自らが決める「報酬宣言制度」を安定運用できるようになるまでには、それなりの試行錯誤がありました。その試行錯誤期間を経て至った安定運用のポイントは、生産部門のメンバーに対し期待係数を付与するというやり方でした。

期待計数とは、自分が宣言した報酬に対して月次で稼ぎ出すことを会社が期待する額を示すもので、例えば期待計数を1.5とすると、月間報酬50万円を宣言したメンバーは、75万円の利益を出すことが期待されます。

そもそも、人件費(社会保障費等含む)を除く会社の販管費は、年次である程度予測ができます。引っ越しを予定していたらその経費を年次予算に組み込んでおけばいいし、ホームページの改訂を予定していても同様です。要は、年次でかかると予想される販管費を、メンバー全員の稼ぎで賄うことができれば、残りの稼いだ分は、稼いだ人が全部もらえば良いという考えです。ですので、非生産部門のメンバーの人件費は販管費に組み込みました。

具体的に数字に落として説明します。

例えば販管費が生産部門の人件費を除き月に300万円かかるとします。これは、言い換えれば、利益が月に300万円出せれば会社はトントンな状態ですから、300万円を生産部門のメンバーで稼ぎ出せば良いということになります。

生産部門の期待計数が「1.5」だとして、メンバーが10人いたとすると、利益を300万円出すにはメンバーの報酬宣言額の合計がいくらになればいいでしょうか?

なんだか塾で算数の授業を受けているような気分になってきたかもしれませんが、数式で表してみます。宣言報酬合計額をXとすると、

(1.5 X -X )=300(万円) ※1.5は期待計数
0.5 X=300
X=300÷0.5
=600万円
 
となります。
つまり、生産部門の報酬宣言合計額が600万円になれば、会社は安定運営できる計算になるというわけです。これをメンバー10人で割ると、一人平均60万円の宣言をしてもらう必要があります。

ちなみに、60万円の宣言をすると、期待計数が1.5ですから、90万円の利益を毎月稼ぎ出すことが期待されます。それができなければ、会社は単月赤字に転落しますから、生産部門のメンバーは「果たしてそれが可能なのか?」、来期の自分の仕事と向き合う必要があります。つまり、報酬宣言制度とは、年に1度、自分の仕事や、自分の仕事が産み出す価値と向き合う機会でもありました。

実はここも報酬宣言制度を安定運用することができた隠れたポイントで、この内省が働く分、「もらえるなら、もらえるだけもらいたい」という利己的な考えが、利他的な考えに切り替わる契機になりました。

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報酬宣言制度を採用し、10年以上運営を続けた中で、私自身も勉強になったことがあります。それは、

・生産部門のメンバーが多いほど係数は低くできる
・金額的に大きな宣言をしてくれるメンバーがいればいるほど係数は低くできる
ということです。
言い換えれば、基本的に会社は大きい方が強いということ。そして、スタープレーヤーは、やはりスターだということです。

私自身に組織の拡大志向はなかったのですが、世の中のマネージャーたちが規模を追求する気持ちも、分からなくはないと思いました。また、報酬宣言制度の中では「出る杭」は大歓迎です。生産部門メンバーの杭が出れば出るほど、期待係数は低くなります。期待係数が低くなれば、誰もが宣言額を増やしやすくなるということですから、スタープレーヤーへの嫉妬ややっかみなど、出るはずがありませんでした。

*** 

以上のようなからくりから、アソブロックで開催していた年に1度の報酬宣言発表会は、ユニークでした。一番ユニークだと感じていたのは、生産部門のメンバーに「もっと報酬取ろうよ!」と、みなが声を掛け合っていたことです。「こうすればもっと稼げるんじゃない?」というアイデア交換も頻回にありました。
 
一般的に「報酬が上がる」のは嬉しいことだと思いますが、生産部門のメンバーは、同時に期待額が上がりますから、のせられても素直に頷くわけにはいきません。多い人だと70万~80万円の宣言をしていましたが、そこまで来ると社会保険の控除額や実質手取り等を考えると、それ以上は正直上げたくなくなるようでした。

「稼ぐ」「貯める」のが目的ではなく「より良く暮らす」には、果たして自分にはいくらの報酬が必要なのか? 自らの暮らしの長期的安定を考えた上で、自分に必要な額を宣言して、仲間のことも考えながら必要な分だけ働く。そのような考えに、自然と全員がシフトしていきました。

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「給与(報酬)編」、そろそろまとめに入ります。 
マネージャ―の視点で振り返ると、報酬宣言制度を採用したことのメリットは大きく二つでした。一つは、全員が高い・低いは関係なく「報酬に納得感を持てていた」ことです。

報酬についてメンバーから不満が出ないのは、マネジメント的には非常に助かります。伴って、社内でメンバーを評価する必要も基本的になくなりました。これも、元来「ルール」や「評価」が嫌いな私からすると、肩の荷が下りた気分でした。
 
もう一つは、働き方を個人が自由に考え、実践できる会社になったことです。例えば「今年はまだ小さい子どもの育ちに寄り添い、極力園の行事にも参加して家にいる時間を増やしたい」と思った時には、自分の仕事量を減らし、生活が許容する範囲で自ら宣言する報酬額を下げればいい。逆に、「この1年は死ぬ気でスキルアップ、働きまくって稼ぐぞ」と決めれば、かなり背伸びをしないと届かないような報酬額に上げればいい。
 
上げるも下げるも、すべては自己決定。
これに勝る納得感や公平感はないと、今でも思います。