feliceognimomento

のこりわずかな地球生活の記録🌏

feliceognimomento

のこりわずかな地球生活の記録🌏

マガジン

  • イタリア追想

    古い旅の記憶、ヘッダーはロンバルディアのトウモロコシ畑。

最近の記事

  • 固定された記事

1. 旅行の準備

回数は少ないけれど、最初に自分で手配して海外に旅行したのは2000年の9月。もう20年、目眩がする。インターネットはあっても、手配はまだまだアナログ。 飛行機のチケットを購入したのは、アリタリアのコールセンターだった。「イタリアに行くなら、アリタリアだ」と周囲のイタリア旅行経験者はほぼ一致。でも、飛行機がその日に飛ばないかもしれないんだ、と笑い、JALの客室乗務員は本当に素晴らしい、と言う。深いイタリア愛を見た。 TripAdvisorやBooking.comのようなポー

    • 28. イタリア半島を横切る

      単に移動都合でバーリに宿泊したものの、昨晩のおいしい夕食に離れがたい気持ちが生まれていた。が、今日は移動日。しっかり朝食を食べて、移動しなければ。 ホールに行くと、よくあるコンチネンタルの朝食で、ほとんどのメニューが用意されている。他には出張らしき男性2人組のみ。パンをトーストし、フルーツなどを取ってきて、ウェイターにカップチーノを頼んだ。 もちろんデニッシュなどのパンもある。イタリアの朝食は一般的に甘い甘い甘いパンが多い。特に街のバールには、そういうタイプのパンが並んで

      • 27. バーリの夕食

        20時まで待ち、徒歩数秒の店へ。入るとまだ誰もいない。おじいさんのウェイターが現れた。もう入っていい?もちろん、こちらへどうぞ。 小さな店の中を案内されると、目についたのは、壁に飾られた何枚もの大きなモノクロの写真。よく見ると、サッカーユニフォームの人たちと、若い頃のおじいさん。この地域のセリエBのアンドレアの選手で、皆で来てくれたのだと、顔がほころび、饒舌に。とてもうれしそうだ。 席に着いてみると、この店にもメニューはない。口頭で説明を受ける。 前菜はビュッフェスタイ

        • 26. バーリで宿泊

          またディーゼル機関車に乗って州都バーリへ。匂いと音が独特だけれど、遠く離れた場所を旅行している感覚でいいかもしれない。お供のおやつは小さな商店で買ったアーモンドのお菓子、Tarallucci alla Mandorla。これまで食べたタラッリは白ワインと塩を使っているが、これは卵や砂糖を使った普通のクッキーだった。手持ちの辞書にはないし、ネット検索してもタラッリとタラルッチは混同している。方言かもしれない。真空パックのチーズはこの時点では開かず。Cacioricottaはリコ

        • 固定された記事

        1. 旅行の準備

        マガジン

        • イタリア追想
          30本

        記事

          25. マルティーナフランカ散策

          アルベロベッロからマルティーナフランカのホテルに戻る道、ゆっくり街を歩いてみた。 ベンチでのんびりしているのは、おじいさんばかり。おばあさんはお買い物などで忙しそうだ。 驚いたのは、プロカメラマンに結婚式衣装でカップルが写真を撮ってもらっていたこと。今は日本でもドレスでの写真撮影はよくあるし、東京駅あたりでも見かけるが、旅行した当時はそうではなかった。ウェディングドレスやスーツ姿の彼らは石造りの街の風景と馴染んでいた。 バロックな街並みだけれど、もっと南のレッチェ(Le

          25. マルティーナフランカ散策

          24. アルベロベッロ

          朝起きて支度をしたら、電車の時間を再確認するためロビーに小走り。朝食のホールから朗らかなウェイターが出てきた。あれっ、食事は?後で行きます。そう、待ってるよ!美味しそうな香りが漂っていた。結局、急いで食べたら大丈夫だけれど、本数が少ないため、そのまま出掛けることにした。 窓からはオリーブの林が、次いでロコロトンドの旧市街が見えてきた。丘陵部に丸い形で建物が並ぶ。もうすぐ目的地、美しい木という意味の街アルベロベッロ。 木々の間に徐々に変わった形の建物が見えるように。トゥルッ

          24. アルベロベッロ

          ピランデッロ埋葬エピソードが映画「遺灰は語る」に

          イタリア人の小説家・劇作家ピランデッロの生家とお墓は、イタリアの一番大きな島シチリアのほぼ南端、アグリジェントのカオス村にある。そこに行ってきた話と、亡くなった際の埋葬騒動を前出のnoteに書いた。 タヴィアーニ監督の新作はこのエピソードの映画化だと今年春のイタリア映画祭で伺い、見に行った。 「遺灰は語る」(LEONORA ADDIO) パオロ・タヴィアーニ監督(2022) 遺灰を巡るすったもんだは1930-50年代。故人の遺志は冒頭で遺言状の画像とともに伝えられるのだ

          ピランデッロ埋葬エピソードが映画「遺灰は語る」に

          23. マルティーナフランカの夜

          改札を出ると、暗い中見えるのは小さな街。それに坂道、長めの緩い傾斜の。ホテルまで歩けないことはなさそうだが、もうタクシーにしたい。でも、乗り場がない。改札に戻って聞こう。すると、もうシャッターが閉まっている。デジャヴ!いや、まだ駅員はいるはず。何度か呼ぶと出てきてくれた。助かった。タクシーは呼ばないとね!と電話番号を書いてもらうと、駅員達は速攻で帰路に。 成田で契約した海外対応の携帯を使って連絡すると、すぐに行くと言われたのだが、人が通らない道で待っている時間は長く感じられ

          23. マルティーナフランカの夜

          22. バーリの空港で

          地球で生き物が暮らす様子を眺めてご機嫌なまま、飛行機はバーリ(Bari)のパレーゼ空港に着陸。パレーゼの別名は、カロル・ヴォイティワ(Karol Wojtyła)空港。誰かと思ったら、ヨハネパウロ2世。他は出身地の人の名前が付いているようだけれど、ポーランド出身の法王なのは、なぜだろう。飛行時間は1時間15分と短く、プロペラ機は気圧の変化が少ないので、身体が楽なのもよかった。 小さな空港の到着口から出ると、古くて飾り気のないロビーに大勢のイタリア空軍の兵士が待機している。一

          22. バーリの空港で

          21. パレルモの空港へ

          パレルモの空港までバスで移動、7500リラ。切符は路線が変わっても、日にちに穴を開ける方式は同じ。 空港はそれほど大きくない。でも、国際空港だ。急斜面の小さな山が見えるのがシチリアらしい感じがする。 イタリアの空港には、名前が複数ある。パレルモ空港で通じるが、正確には所在地名でプンタライジ空港。別名はファルコーネ・エ・ボルセリーノ空港。シチリアの誇り、ファルコーネとボルセリーノはマフィアと戦った2人の裁判官の名前がつけられている。カターニャはヴィンツェンツォ・ベッリーニ空

          21. パレルモの空港へ

          20. バラッロ市場へ

          次はバラッロ市場(Mercato Ballaro)に向かった。旅の途中では買えなくて残念だけれど、日本では見ない珍しいものが多くてたのしい。魚屋では、氷の上にカジキマグロの頭と切身が置かれていた。角のある頭が置かれているのは生だと示しているらしい。丸ごとの蛸を勢いよく板に叩きつけていた。こうして柔らかくするそうだ。肉屋では自家製のサラミを吊るしていたり、塊をその場でカットしてもらったり。子どものとき、自家製の焼豚を吊るし、フライや唐揚げも販売している個人商店が至る所にあった。

          20. バラッロ市場へ

          19. クアトロカンティからパラティーナ礼拝堂

          真夜中に電話が鳴り、日本からと取り次がれる。Hertzレンタカーから車の手配ができましたという連絡だった。途中からは車移動の予定。イタリアはマニュアル車のため、当時はレンタカーでもマニュアル車が9割5分ほど。運転できる同伴者の希望がオートマで手配に時間がかかったが、これで一安心。 翌朝、近くのバス停へ。時間を確認してから、タバッキでバスのチケットを買おう。すぐ来たバスを見送り、探したが見つからない。一旦バス停に戻ったらバスが来て、ドアが開いてしまった。タバッキがない、切符が

          19. クアトロカンティからパラティーナ礼拝堂

          18. カテドラーレからモンレアーレへ

          翌朝、天井の美しいホールでコンチネンタル式ブレックファスト。急いでいたので写真がない。ウェイターは皿を下げたり、リクエストを聞きに、こまめに巡回していた。向こうでは、一人の初老のウェイターがアメリカ人家族の席で「Ancora banana? (バナナのおかわりいかが)」と、袖からバナナを出すマジックのようなパフォーマンスで笑わせていた。お茶目だ。 カテドラーレまで徒歩で。距離はそれほどなかったが、空気が悪く、すぐに喉が痛み出し、耐えられなくなった。車の排気ガスだ。飛行機の中

          18. カテドラーレからモンレアーレへ

          17. パレルモの夕食

          レストランなどの店が開くのは夜8時と少し遅い。かといって、洗濯するほどの時間はない。2泊するので、ここではランドリーを頼むことにした。緊張。電話をかけたら、英語でピックアップ?と聞かれて、部屋番号を伝えるだけでOKだった。当然か。取りに来てもらい、チップを渡す。仕上がりが楽しみ。散策に行こう。 すぐ近くのポリテアーマ劇場は、19世紀の後半に作られた歴史ある劇場。当時も今も現役のようだ。オペラを観てみたい。映画のゴッドファーザーで使われていたのは、マッシモ劇場の方。 夜景っ

          17. パレルモの夕食

          先日、とうとう この日が来た!と。アリタリア国営化へ。随分前から色々な問題があったので、不思議ではないのですが。もうあの飛行機に乗れないというのが、寂しいです✈️ 詳細:https://twitter.com/alitalia/status/1430204941205901314?s=21 イタリア追想、まだ4日目。書き終わるのはいつ?

          先日、とうとう この日が来た!と。アリタリア国営化へ。随分前から色々な問題があったので、不思議ではないのですが。もうあの飛行機に乗れないというのが、寂しいです✈️ 詳細:https://twitter.com/alitalia/status/1430204941205901314?s=21 イタリア追想、まだ4日目。書き終わるのはいつ?

          16. パレルモのホテル

          ほどなく目的地に到着。タクシー運転手にトランクからトランクを出してもらって、Grazie, arrivederci! と挨拶しながら、チップ込みで22.000リラを渡した。 ホテルの名前はグランドホテル エデパルメ(Grand Hotel Et Des Palmes)、ポリテアーマ劇場の比較的近くにある。バス停が近くにあるので移動に便利そうだし、予算内でバスタブがあるのが決め手だった。自分の好みよりは、規模の大きいホテル。 チェックインカウンターで出迎えてくれたのは、優し

          16. パレルモのホテル