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18. カテドラーレからモンレアーレへ


翌朝、天井の美しいホールでコンチネンタル式ブレックファスト。急いでいたので写真がない。ウェイターは皿を下げたり、リクエストを聞きに、こまめに巡回していた。向こうでは、一人の初老のウェイターがアメリカ人家族の席で「Ancora banana? (バナナのおかわりいかが)」と、袖からバナナを出すマジックのようなパフォーマンスで笑わせていた。お茶目だ。

カテドラーレまで徒歩で。距離はそれほどなかったが、空気が悪く、すぐに喉が痛み出し、耐えられなくなった。車の排気ガスだ。飛行機の中で寝るときに使うマスクを付けて歩き出すと、とたんに怪奇な目で道行く人に見られ、いたたまれずに外した。帰国後に聞けば、風邪をひいてもマスクする習慣はなく、病院の関係者くらいしか使わないかも、見たことがない、と。なるほど。

とても大きく、いろいろな様式が混ざっている建築物。もともとバジリカ(司教座教会)というタイプのキリスト教の教会があった跡地に、1184年にこの教会が建てられたそうだ。アラブ人にモスクに改装された後、ノルマンがキリスト教会に造り替えたとのこと。その後も改修され続けたため、個性的な教会建築かもしれない。

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中央、アマルフィの建築に似た小さなクーポラがかわいい。


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右、時計塔が端に


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左、鐘楼も若干アラブ的なデザインを感じる。


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入り口、彫刻が細やか

内側は意外にシンプル。このとき換気が不十分だったのか、今度は同行者の気分が悪くなってすぐに出たため、残念ながら内部の写真はほぼない。ここの宝物殿の展示物を見たかったが、こういったことも旅の一部!ここの地下のクリプタ(地下聖堂)には、見応えのある石棺や遺物が多数置かれていて、フェデリコ2世の棺があるとのこと。歴史オンチなのに知っていたのは、この頃出会うイタリアマニアには彼のファンが多かったから(当社比)。

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内部、意外に地味

ここでお昼休憩。車が通らない道に入ると、街路樹があり、落ち着いた感じ。賑わっている店に入って、ピッツアとグラニータをオーダーした。シチリアではグラニータをブリオッシュに挟んで食べるそうだ。試したかったが、これから違う街に移動するので、ブリオッシュよりもボリュームのあるピッツァに。ちょっと残念な味。混んでいるからと安心してはいけない。ケーキやコーヒーが美味しいのかもしれない。

次は、パレルモの南西8kmにある街モンレアーレ(Monreale)に向かう。タクシー乗り場で、観光して戻ってくることを頼んだら快く受け入れてくれたので、安心して出発すると数分で車が止まった。着いたのはカプチン派のカタコンベ。頼んでないと主張しても、ここ見ておくべき、いいところだの一点張り。根負けして入ったが、相当な数の剥き出しの骸骨が壁に並ぶのを見て、すぐに引き返した。もう出てきたのか?と驚かれたが、気分が良くないと強く伝えると、少し反省したようだった。入場料も払った記憶はあるが、ノートに記入しておらず、当時の値段は不明。

今度こそモンレアーレまで。最初は気分は大丈夫か?と気にかけてくれていたが、途中から相当なスピードを出し、隙あらば車線変更して、まるでカーチェイス。酔いそうだ。モザイクを観る時間が減ったと言ったのがいけなかったか。親切心を汲んだ上で、こちらの要求を伝えるほどの語学力はないため、静かにツボ押ししたりしてみる。

若干目眩がする頃、目的地に到着。車に戻る時間を伝えて、待っていてもらう。空気が良く、観光客で混んでいなかったので、落ち着いてきた。とても小さな街というのも、ほっとする。地図の尺度も1cm=100mで、1ページの半分のサイズだ。

ドゥオモの下、ベルベデーレ公園はオネート渓谷とパレルモが見下ろせそう?
時計塔、文字盤と針も素敵

ドゥオモには、素晴らしいモザイクがある。これを目指してきただけあって、金色に光る天井の眩しさに心躍る。キリストと、その下には聖母マリアと赤ちゃんのイエス、天使や十二使徒が描かれている。ガイドブックによると、この金色のモザイクは6340㎡。イメージつかないが、テニスコートのダブルスが260.76、サッカー場が7140なので、相当な面積だ。

祭壇の煌びやかさが伝わらない写真


バジリカ型三廊式で、中央の椅子があるエリアが身廊、両脇のスペースが側廊というらしい。身廊の壁面上部には、旧約聖書と新約聖書のエピソードが描かれている。これはノアの方舟あたりの場面。船から降りて、足元にオリーブの木が育っている。左側は動物を船から降ろしていて、動物がお尻を押されているのが微笑ましい。船に乗る方の絵はよく見るが(その絵はこれより更に左に)。黒字のギリシャ語は、説明が書かれているようだ。

身廊上部

側廊の窓や天井も細やか。作業した職人達の集中力や根気を想像する。分業かもしれないが、下絵を決めるところから完成までの手順と時間はどれだけかかるのだろう。1174年着工、短期間で竣工とガイドブックには書かれている。

側廊には正十字、ギリシャの影響?


溜息もののモザイクの光を浴び、満足。時間が少し気になって、修道院や王宮、大司祭館の見学はスキップした。あまり欲張らないのも大事だと思って。タクシー運転手を見つけてパレルモへ。今度は道が空いていたので、スムースに到着した。往きは予想外のできごとがあったが、互いに気持ちよくお別れ。タクシー代は160.000リラ、当時レートで約8000円。

余裕ができたので、少しパレルモの街を散策し、書店で伊語英語の辞書と薄いコミックを買う。さすがに日本語の辞書はなかった。通りすがりのデパートに入ってみると、あのリナシェンテだった。ミラノにある有名なデパート。こちらはこじんまりとしている。念のためにTシャツを1枚購入。ホテルで洗濯する際にタグを見るとMade in Japanとあり、ウケる。

夕食は昨日の店に行くか、別の店か。コンシェルジェに行くと昨日のトリスおじさんは不在で、別の女性に聞くことに。この日も魚料理が美味しいトラットリアという庶民的な店へ、予約なしで。ボリュームがありそうなので、前菜、パスタ、メインを1品ずつ、シェアしたいと頼んだ。前菜は魚介類盛り合わせで、どれも新鮮で甘くやわらかくて美味しい。ウニのパスタはクリーム不使用、そのままの甘さで勝負。このとき、隣のテーブルに1人の地元の女性が入ってきた。着席しても、そのまま携帯でおしゃべり。電話相手に隣に珍しく日本人がいて、と詳しく報告していた。数分後、店員が彼女にサーブしたのはウニのパスタ。食べ始めても携帯を切らずに話し続けている。行儀が悪いけれど、器用さに驚いた。そこまでして話をしたいのも凄い。ささっと食べて彼女は帰っていった。メインの生カジキのローストもおいしかった。ただ、見た目が冴えないので載せない。この店は家庭料理的で、シンプルな調理。連日豪華すぎると胃に辛いので、あっさり具合がよかった。ホテルに戻り、翌日の予定をおさらい。

イカ、タコ、青魚、ムール貝のアンティパスト


たっぷりのウニを混ぜながら


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こちらが案内されたカタコンベ。当時は圧倒されてしまい、ご遺体の骸骨などを観る気になれませんでした。今の自分なら、このように葬られることに同意していたのかもしれない、しっかり見ておこう、と思うかもしれません。
http://www.catacombepalermo.it/

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パレルモのカテドラーレがどれだけ大きいか、こちらのInstagramで!

次の動画もおすすめ!屋上に出た景色、クリプタや宝物殿の紹介になっていて、見応えがあります。

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モンレアーレのドゥオモの写真、本当の美しさはこちらで!

Wikiにもクーポラ部分の良い写真。


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リナシェンテ、1865年創業の老舗デパート。限られた時間で買い物するなら、やはり便利。ミラノ店はドゥオモの前にあり、屋上カフェの見晴らしがいいそうです。以下はパレルモ店のページ↓


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この12年後に再訪した際、街の空気はもう車のフィルターの性能が上がってディーゼルの排気ガスで不快になることはありませんでした。
当時マスクをしている私を「何ごと⁈」という目で見ていたパレルモの方々。ここ2年ほどは、さすがにマスクをされていたそうです。

早く旅行に行きたいです🌟

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