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イルカショー。

この間、お仕事で江ノ島水族館へ行ってきた。

今日も、お仕事で品川アクアパークへ。

どちらもイルカショーを行っており、

そのショーを見て多くの子供連れが歓声を上げていた。

きっとこの小さな瞳の中には、

将来の夢をドルフィントレーナーにする子だっているのだろうな、

とほほえましくおもったり。

イルカとトレーナーの信頼関係に、

なんだかじんわり胸があたたかくなって。

涙が滲んできた江ノ島水族館の帰り道。

江ノ島水族館の真ん前で

拡声器を使いながら、

「イルカ追い込み漁反対、捕鯨反対」の団体が

必死に訴えかけていた。

「みなさん、チケットを買うために並んでいるなら

スマホでイルカ追い込み漁と検索してください」

「イルカショーのイルカはかわいいではなくかわいそうです」

「トレーナーたちはエサを使ってイルカを操っているだけです」

などなど。

胸が痛くなるような内容を、拡声器で声高らかに。

なおかつ、水族館の前で。

とてもとても、複雑な思いが交錯して。

その日の夜はなかなか眠れなかった。

あの瞳を輝かせている子供たちに、

声高らかに拡声器を使い自分たちの解釈だけを伝え。

ましてや水族館の真ん前。

正直、なにしとるんや、とおもってしまった。

でも実際問題日本では捕鯨やイルカの追い込み漁は

今では和歌山県のみだが伝統文化として行われている。

古くからの風習、文化として、絶やしてはならないと。

今も続いているのは事実。

食べるだけでなく、海浜公園や水族館に販売されているのも、

また事実であって。

どちらもの想いが分かるし、言いたいことも分かる。

でも、どうしても反論したいのは

「トレーナーはお金のためだけにイルカと接しているのではない。」

絶対的な信頼があって、遊びや修正の中で、

楽しいがベースになければ成り立たないトレーニング。

もちろんトレーニングの中には、

応用行動分析を含んだものも入っているし。

その中には罰と言われる方法や、

消去という手続きだってある。

でも、応用行動分析を学んで行ったことのある身だから

心底いえるのだけれど。

罰を与える時は、ご褒美をあげる時より何倍もつらい。

消去手続きを行う時に、自身の判断が適切か、迷わない人間はいない。

これは本当に、この子にとって、しあわせなのか。

トレーナーも、支援者も、まいにち、まいにち、

自分自身に問いかけながら行ってゆく。

そこに、「愛」がないなんて。

それこそ本質を知らないものが言える妄言でしかないと。

腹立たしい思いがあったり。

子供たちに、家族連れに、あえてピンポイントで。

恐怖感を与えかねない音量や、残忍な写真で

声を上げる大人たち。

どちらが間違っているとか、どちらが正しいでなく。

もっと他に、方法はなかったのだろうかと。

こころがずっとざわざわするいちにちだった。

ちなみにイルカの追い込み漁についてのリンクも添付。

現在は日本では和歌山県のみでの実施。

公式の見解も、きちんと記載されています。


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ただしさは鋭い刃だ。

正義は振りかざすと、時に人を追い詰めて傷だらけにする。

正論を言う時は、反論よりもっともっと慎重に。

ていねいに伝えなければならないと。私はおもう。


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正しさと間違い。

善と悪。

白と黒。

二極化したものは、わたしのこころを

いつもざわざわさせる。

おだやかに、どちらの想いも受け止めたうえで

包むように解決してゆくすべがあれば

どれほど楽だろう

どれほどいらぬ傷をつけないだろう

難しいとわかりながらも

思ってしまう。

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愛があるから、時に傷つけあうこともあって。

想いがあるから、時にぶつかり合うこともある。

何が言いたいかわからなくなってきたけれど。

信頼は目に見えないけれど確かにあって。

一朝一夕で作り上げられるものでもない。

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継続はむずかしい。ときに諦めたくもなる。

それでも、命と向き合うから。

私たちは繰り返し続ける。

命と対峙したときに、ベストなんてない。

明日を今日よりよいものにするために。

「愛された」ことがあるから、「愛してゆく」。

想いは、めぐってゆく。


そんなことを、思う夜。

カレーでも食べて、ふう、と一呼吸置こう。


毎日を、ていねいに、たいせつに◎

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