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勤労は人生そのもの

 今期から北友舎にニューフェイスが加わった。Nさんである。意欲的で次から次へと自主的に仕事を見つけてこなし、非常に積極的な人材だそうだ。いつも寡黙で言葉少ない岩瀬社長がちょっとウキウキで紹介してくれる、と言うので、相当この新人さんが好きなのだろうな、と伺えた。

 約束の日、札幌市西区の北友舎に行くと裏庭に人影がある。小さく体を丸めて手鋸で切り株を処理しているご老人がいた。この人こそ新人のNさんだ。Nさんは今年御年80歳。北友舎で個宅除雪の手作業員としてすでにかなり重要なポジションにいるらしい。夜間に雪が降りだすと、夜中の1時でも2時でも0時でも出て行って契約した個人のお宅へ先回りし、敷地の雪を道路外へ掻き出す役割を担っている。

 朝方、出勤通学前に重機が入る前にこうして手作業で雪を出しておけば、段取り良く雪をかたづけられる、という寸法らしい。「とにかく一時も休まないで、ずーっと動いてる。ただ黙々と仕事をする人だ」とは同じ北友舎の同僚の弁。「一番年上だけど、一番働く」。

 私がインタビューさせてもらったのは春になってからだったので、その雄姿を見られなかったことは残念だが、北友舎で切り株を手鋸で処理していた姿をみればなんとなくその動きも想像がつく。全身が常に軽やかに運動していて、「力の溜め」みたいな勿体ぶりが無いのだ。「よいしょ」と力を込めて一服つく、と言うようなアップダウンが無く、ずっとリズムよく体が活動を続けている。労力を使うことで回転を高めている、とでもいうのだろうか。とにかく、動くことを惜しまない雰囲気を感じ取れる。

 Nさんは自分で会社を経営していた人だ。ダンプを何台も所有していたこともあるし、建築屋もやっていた。つまり社長さんだったのである。でも、岩瀬社長に促されるまで私のインタビューには「大したことはしてないよ。やれることをやってきただけ」とおっしゃっていた。どちらかというと昔のことに興味はあまりなく、「今、何が出来るか」に興味がありそうだ。聞けば、現在自宅とは別に畑を所有しているのだが、もともとはやせた土地を掘り返して籾殻を混ぜたり土を細かく振るったりして改良を重ね、水撒きや下草の管理がしやすいように畝の設計をし、全て自分で手入れしているそうだ。そこに割いた労力、苦労はいかばかりか、と驚愕するのだが、今その畑の土がスポンジみたいにふかふかで、弾力があるのだ、という様子をとっても嬉しそうに話してくれた。
 その畑で収穫された野菜がNさんの体をかたちづくっているのだろう。食事は健康の源。Nさんは酒もたばこもやらないし、食べ物は「なんでも食べる」「好き嫌いないよ」ということだ。それだけ畑を自分でやっているのだから、食べ物にもなにかしらのポリシーや思想でもあるのかな、とも思ったが、こだわりはないらしい。本当にフットワークが軽い人だ。「やれることをやってるだけ。やれるように考えて色々自分で作ってる。」

 昔社長業もしていて、何人、何十人と従業員を雇っていたこともあった人にしては腰が低い。そして何より働き者すぎる。怠け者な自分への自戒も込めてNさんに現在の若い世代をどう思っているのか聞いてみた。建設業は人手不足だし、若い人の定着率も低いが、自分で色々切り拓いてきたNさんにはどう見えているのだろう。さぞかし歯がゆいことだろう、と思ったのだ。業界を支えてきた一先輩として、憂えてるところもあるのではないか、と思ったのだ。

「教えてあげる人がいないよね。」
Nさんのご意見は、今の若い世代を取り巻く環境の分析だった。「色んな現場も見てきたけど、仕事の教え方がただ‘やれ’と言ってるだけで、この人は今、何がわかんないのか、何が出来ないのかな、って’見る’人がいなくなった。」Nさん曰く、人には感情があるのだから、道具みたいに扱えない、という話だった。人の成長には波があるのだから、先々を想像して急がせないのが肝要だと。仕事全体で見て、人によって突っかかるところは違うのだから、その仕事が進むようにちょっと教えてあげればいいだけ。怒る必要が無い。
「ただやれ、というのはね、’俺の思うようになれ’っていう態度って言うこと。楽してお金儲けようとするペテン師はね、そうして全体を見ないで道具みたいに人を使おうとするんだよ。」
柔和で働き者の気のいいおじいちゃん、という第一印象とは裏腹に、かなり語気の強いご意見が伺えて、面食らった。
「今は上に立つ人間が人の育て方を知らない、ということですか?」と確認すると、「今も昔も人は一緒だよ」と一言。
「ペテン師は昔もいっぱいいた。今もいる。人にはただ感情があって、それで動いているだけ。最初っから機械操作が出来て、8割くらいできるやつは’つまらない’と思ったらすぐに居なくなっちゃうし、苦手でも一生懸命真面目に取り組むやつはちょっとずつでも仕事を覚えて、長く働いてくれる。いまは息子が会社をやってるけど、今も働いてくれてる従業員がいる。何も教えてあげないで、ただやれやれと言ったって、出来るわけがない。自分に何が出来るか、考えること。その人がどうすればやれるようになるか考えて尽くしてあげないと。」

Nさんのお話を伺って、インタビュアーである私自身の中に「お年寄りVS若い世代」というステレオタイプがあることに気づかされ、「人は今も昔も変わらない」「出来ることをやる」というNさんの一貫した姿勢を痛感して、すごく恥ずかしくなった。大きなグループでくくれば、時代の流れ、とか世代の特徴、とか風潮はあるだろう。でも、それはあくまで後からいくらでも引き分けられる線引きでしかない。それありきで語ることで今出来ることから目をそらして言い訳している気分になった。

岩瀬社長はNさんを「人生の師」とよぶ。年齢差を感じないし、一緒にいて心地よいのだと言う。一緒にいる時はただ黙々と仕事をするだけだけど、話せばこうやってしっかりとした自分のなりの意見を持っていて、それに共感する、と話してくれた。
「Nさんと一緒にいるとまっすぐになる気がしますね。僕は考えがねじ曲がってるからね。」冗談交じりにそう語る岩瀬社長もまっすぐな人だ。アルバイト情報誌がつないだ縁ながら、二人の間に流れる心地よい空気はただのインタビュアーである私をも浄化してくれた。

「損して得取れ、とはちょっと違うかもしれないけど、全体をよく見て尽くさなきゃいけないところで自分が出来ることを一生懸命やってたら、最後にはうまく回る、っていうかね。」Nさんの話にうんうんうなずきながら、岩瀬社長がそう続けた。
会社経営は想定される利益から逆算して人件費などの予算を捻出、配分していくものだ。国家予算も昨今は「集中と選択」を合言葉に大規模な予算削減や投資で市場や経済を回そうと躍起だから、それも大きな枠組みの中では間違ってないだろう。
ただ、感情をまとう個人として我々が動くとき、Nさんや岩瀬社長のように個々を見てくれる人がいるのはありがたい。この人たちは「得」ではなく、「損して徳取れ」だな。人の人生を伺うときに、立ちはだかった苦難、それをどう越えたか、という苦労話はある種のセオリーとして聞き出すものだが、Nさんからは一切の愚痴や苦労話を聞くことなくインタビューを終えた。

追記:Nさんは冬季だけの雇用なので、この後はまた別の現場に行くんだ、と伺っていたが、また北友舎に戻ってきて夏も岩瀬社長と一緒に解体などの仕事を手伝っているらしい。北友舎の仕事が増えて大変だからNさんを呼び戻したのか、Nさんに来てほしくて岩瀬社長が一生懸命営業して仕事をとってきたのか…真偽のほどは定かではないが、この厳しい夏をNさんも元気に乗り越えている、と言う報せを聞いて、私まで嬉しくなったことはしたためておきたい。

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