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一人で過ごす時間はとても大事で、一人でいるなら暇じゃんっていう人とは表面上は分かり合えても心の底では通じ合えないと思う

食事会、飲み会。

あなたは好きですか?親しい仲間と顔を合わせて語らい、打ち解ける。そんな素敵な時間。そんな集まり。多くの人が積極的に参加し、参加するのが当たり前だと思い込んでいる。

僕はね、それは違うと思うんですよ。

大学1年の7月。入学して、新しい仲間と知り合って3か月。まだ親しいとは言えないのに、仲間を作るために無理して虚構の関係を作り上げる期間。みんな例外なく、仲良くない人間と仲のいいフリをして、それっぽい関係を築いていた。名前も知らない相手に笑顔で会釈し、食堂で会えば一緒の席で昼食を食べる。相手のことも理解していないのに、集団から離れたくない一心で無理を押し通す。

そんな大学1年生初期の特有の空気に僕は耐えきれなかった。定期的につるむ仲間もなく、大学生になってから始まった一人暮らしの部屋に夢中になり、初めて手に入れた個人のノートパソコンと監視のない環境で2chを味わった。そう、大学の講義を除いて、僕はほとんど家に一人でいた。といっても、新しい出会いがないわけじゃない。どうやったって新しい知り合いには出会う。

その日、僕は一人暮らしの自宅でテレビを見ていた。時間は19時くらいだったろう。いわゆるゴールデンタイムで、テレビ局も気合の入れた番組を作っていた気がする。横になりながら、ぼーっとテレビを眺める。テレビ視聴自体に意味がなくても、この曖昧な時間には意味がある。そう感じてのほほんと時間を過ごしていた。

その時。ブーッと携帯電話が鳴った。メールかな?と思ったが、振動は止まらず、震え続けている。僕の携帯も電話機能が失われていないんだなぁなんて思うくらい久々の着信を受けた携帯電話には、大学で知り合った同級生の名前が表示されていた。

「もしもし。どうしたの?」

さっきまでの気だるさを隠すように、僕はハキハキとした声で答えた。人見知りは総じて外面が良い。

「おう、いまSとKと3人で遊んでるんだよ。お前も来いよ」

機器を通じても伝わる楽し気な声が僕の耳に届く。

家で一人、横になっている自分。楽し気な知り合い。そして今の時期を考えれば、とりあえず誘いに乗ったほうがいい。仲良くなれるチャンスは逃さない方が良いと分かった上で僕はタイムラグなく答えた。

「あー、今ちょっと用事あっていけないわ。また今度誘って。」

誘いに対する答えを渋ったと思われるほどの時間差もなく、至極自然な間隔で僕は答えた。「おはよう」という挨拶に「おはよう」と当たり前に答えるかのように。

「あ~。そっか。じゃあまた誘うわ。またな~。」

その言葉を最後に電話は切れた。短い電話だった。もちろん、僕には何の用事もない。しかしその時の僕は、一人でダラダラ過ごす時間と、ちょっと顔見知り程度の本来は知らない人間と気を遣った時間を過ごすことを天秤にかけた。そして一瞬で、一人でダラダラ過ごす方が有益だと判断し、この誘いを断った。この判断は、今でも間違ったと思っていない。若いながらも正しい判断だった。

たまに、一人でダラダラしていることを「暇」だと評価してくる人がいるが、勘違い甚だしい。こっちは一人でダラダラするという用事をこなしているのだ。この感覚が分からない人とは一生分かり合えない気がする。他人と過ごす時間だけが用事じゃない。一人で過ごす時間も、僕の人生においては代替の利かない重要な時間なのだ。こういった感覚は人見知りに限らないと思う。誰か共感してくれる人がいるといいなあ。

人見知り克服のために色々なチャレンジしてきます。