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息子と過ごした20時間

こんにちは。

『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。

久々の投稿となるものの、今回は音楽に関する記事ではありません。

以前に『急変した日常』という記事を書きましたが、僕は今年の2月に足を負傷し、まだ現在もリハビリ中です。

その事故から、約5ヶ月が経過した2021年7月22日。

東京オリンピック開幕前夜の出来事でした。

僕に続き、6歳になった息子が手術と入院を経験するはめになってしまいました。

今回は、このことについて書いてみたいと思います。

・・・

1.事故発生

7月22日、22時。

自宅のリビングで遊んでいた息子が、ドンっ!という衝撃音と共に、突然泣き出しました。

どうやら、乗ってはいけない物の上に立ち、バランスを崩して転倒し、肘を強打した様です。

見れば多少の腫れと、普段の怪我よりも痛がっている様子はありましたが、骨折レベルほど痛がっている感じはなかったので、打撲か捻挫か?位に思っていました。

しかし、みるみる青ざめて行く唇と痛がる様子に、妻の病院に連れて行った方が良いのでは?という言葉に、受け入れてくれる病院を探しました。

祝日の夜ということもあり中々見つからないものの、問い合わせ4件目となる総合病院が、今からでも受け入れ可能とのことで、すぐさま息子を抱き抱え、車に乗せて向かいました。

車中では痛みよりも睡魔が勝っていたらしく、すぐに眠りについてしまったので、やはり打撲かな?と思っていました。

病院に着くと、救急の患者さんがいたらしく1時間ほど待つことに。

待合室ではボーっと遠くを見ながら、時折静かに涙を流し沈黙している息子がいました。

何度も『大丈夫?』と声をかけるも返答は無し。

そんな中、痛みを紛らわす為に息子の好きな話題を振ったりしていると、息子の口から突然こんな言葉が返って来ました。

「まだ死にたくないよ...」

大人の感覚からすると『腕のケガ位じゃ死なんよ!』と笑い飛ばしてしまいそうですが、息子はまだ6歳の子供。

無理もないよな...と思いつつ、声をかけながら診察を待ちました。

2.レントゲンで判明した傷病

元々、小心者なので予想はしていましたが、診察やレントゲン撮影に対してのビビり様に、僕も先生も思わず苦笑い。

「なんか腕がビリビリしたぁぁぁぁっ!」

そう泣きじゃくる息子に

『写真撮ってるだけだから、ビリビリはしないと思うよ?』

相変わらず大袈裟だなぁ...と思いつつも、早く治療をしてあげたい。

診察・レントゲン撮影を終えた段階で、既に深夜1時を回っており、はやる気持ちを抑えながら結果を待ちました。

「お待たせして申し訳ありません!」

先生自ら、呼びに来てくれました。

『打撲でしたか?』

そうたずねると、無音で「折れてる」と口が動いたのが分かりました。

『えっ』

「一度、診察室に戻って話をしましょう」

無音だったのは、息子への配慮。

他の看護師の方の表情も見て、ただ事ではないことはすぐに解りました。

3.上腕骨顆上骨折

医師から告げられた傷病名は【上腕骨顆上骨折】でした。

そして、この症状では全体の10%にも満たない、特殊な折れ方をしているとの事で、当院では治療が不可能との話でした。

医師いわく

「この折れ方をしてこれだけ冷静でいられる事が信じられない。 あまりにも冷静なので、私共も折れているとは予想できなかった」

との事でした。

僕自身、過去に骨折した経験はあり、その痛みは知っていました。

日頃、大袈裟な息子を見る限り、脂汗も掻いていない事から骨折はないだろうと踏んでいました。

しかし、思い返せばレントゲン撮影で号泣していたこと。

まだ死にたくない等の発言をしていたこと。

それまでの息子のメッセージをちゃんと汲み取ってやれず、 寧ろ息子は僕の想像以上の痛みに耐えていたことが分かり、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

「ひとまずギブスで固定しました。しかし、このままだと腕や手の神経を圧迫し、手が動かなくなる可能性があり、手術も必要になるかもしれません。少し遠方になりますが、専門の病院に紹介状を書くので、そちらへ向かってください。」

病院をあとにし、車に乗り込むと

「もうこれで治るの?おうちに帰れるの?」

そう聞いて来る息子に

『一度おうちに帰って、荷物を取りに行ったら、もう一回違う病院に行かなきゃならないんだよ...』

そう伝えると、再び静かに泣いていました。

一度自宅に戻り、数日分の入院の準備を済ませ、妻には娘と留守番をして貰い再び次の病院へ。

「せっかくおうちに帰れたのに、なんでまた病院に行かなきゃならないの!」

号泣する息子を抱き抱え、事情を説明し再び車を走らせました。

次の病院までは、約30分~40分。

時間は深夜2時を回っており、怪我から3時間半が経過。

到着すると、息子は眠っていました。

かなりでかい小児科の専門病院ということもあり、祝日の深夜でしたが患者さんはいっぱい。

ここでも再び、診察を待つこと1時間半。

眠っている息子の姿と自分の足を見て、出来れば6歳の身体に手術はさせたくない...

色々なことを考えながら、その時を待ちました。

4.整復開始

眠った息子を抱えたまま受けた診察結果は、麻酔をして整復で骨を戻す処置を行い、もしそれで戻らなければ手術。

とにかく、整復のみで終わることを祈りました。

痛みと睡魔の狭間で闘い続ける息子を励ましつつ、誓約書を交わし、整復が始まったのは朝6時でした。

僕は隣の個室で待つ様に指示されましたが、息子の絶叫が聞こえて来た瞬間、思わず部屋を飛び出してしまい、処置室の小窓から中を覗いてしまいました。

「うわぁぁぁぁぁっ!パパ助けてーーーー!!」

見たこともない息子の表情と、絶叫し泣きわめ続ける息子の声...。

怪我をしてから、7時間以上痛みを我慢したのに、知らない大人数名に囲まれ、骨をゴキゴキと触られるこの状況は、6歳の息子にとっては追い打ち&恐怖以外の何ものでもなかったと思います。

その様子を、黙って見守ることしかできないもどかしさ...

・・・

なんだよ。

子供が苦しんでいるのに、何もできない親ってこんなにも辛いのか。。

その痛み全部俺によこせ!

できる事なら、代わってあげたい。

・・・

次第に消えて行く息子の声と共に、成功を祈りながら部屋で待つことしかできませんでした。

5.届かぬ祈り

・・・処置開始から一時間。

整復を担当してくれた医師から、レントゲン写真と共に結果を知らされました。

結果は...

「これ以上、整復での対応は難しい」

祈り虚しく、手術は15時に決行。

この間、この症状について色々調べていたこともあり、半ば覚悟していましたが、できれば避けてあげたかった。

入院の準備が進められ、僕は目覚める息子を待ちました。

一通り手続きを終え、僕自身も少し眠気に襲われていたので、息子が目覚めるまで少し仮眠を...

と思いきや、10分も経たない内に看護師さんから目覚めたとの報告を頂きました。

処置室に入ると、横になってテレビアニメを観ている息子の後ろ姿。

側に寄ると、息子は振り返り僕に気付きました。

泣き出すのを堪えていたのでしょう。

目に涙をいっぱい浮かべ

「恐かったよ...」

『よく頑張ったね...』

頭を撫でて抱きしめるも、更なる手術が控えているこの後の事。

あまりにも酷過ぎて、この段階では伝えることができませんでした。

6.手術までの時間

手術までの時間は、入院する部屋に移動し、息子とテレビを見たり話しかけたりしつつ、その時を待ちました。

「まだおうちに帰れないの?僕はずっとこのままなの?」

心痛い質問が、次々に投げ掛けられて来ます。

怪我から、13時間が経過したお昼時。

飲食の禁止を強いられている息子に、意を決して伝えました。

・・・

○○の腕はね、まだ治ってないんだ。

痛くて恐い思いをたくさんしたのに、かわいそうだけど、ちゃんと治さないと手が動かなくなっちゃうかもしれない。

だから、恐いかもしれないけど、もう一回手術をしないとならないの。

パパも足の手術をした時、たくさん恐かったけど、手術して治してもらったから、今歩ける様になったんだよ。

でもね、今度はさっきみたいに恐い手術じゃないよ?

寝てる間に終わっちゃうから。

もう一回だけ、がんばれる?

・・・

そうたずねると、こくっとうなずいてくれました。

手術開始は15時。

手術の時間まで、ベッドで息子と仮眠を取り、いよいよその時がやって来ました。

怪我から16時間経過。

もう何度、息子の悲痛な叫びと泣き顔を見ただろう。

いつも笑っている息子の笑顔が、遠い昔のことの様に感じました。

ここまで、何度も涙腺が崩れそうだったけど、僕が不安な顔を見せちゃいけない。

『あと一回だけがんばろう!そして、早くおうちに帰ろうね!』

手術は立ち会えない為、息子を手術室まで見送り、帰りを待ちました。

7.手術完了

手術開始から、2時間半。

「手術は無事成功しました!」

酸素マスクを着けられ、眠っている息子の姿を見て、様々な感情が入り乱れました。

『息子が目覚めた時に、しっかり褒めてあげなきゃ』

息子の側で、その時を待ちました。

しかし、息子が戻って来てから2時間が経過。

気付けば、20時を回っていました。

コロナ禍の影響で、朝までの付き添いが許されず、最悪このまま覚醒しなければ、顔を合わせず帰宅しなければならない。

最後に恐い思いをさせて、起きた時にパパがいない...

それだけは避けたい。

看護師さんに、付き添い時間の延長を相談しました。

すると...

「( ゚д゚)ハッ!手術終わったの!?」

突然、息子が目覚めました。

『おかえり!そうだよ、寝てる間に終わったよ!もう何もないよ!』

この瞬間、息子の表情が少し和らぎ、再び泣き出しました。

本当に、本当に小さな身体でよく頑張ってくれた。

僕も息子の怪我後、初めて気持ちがゆるんだ瞬間でした。

最後に、コロナのことを理解している息子に、一緒にいられないことを説明し、時間ギリギリまでいたあと、翌日の退院がほぼ決まったので

『明日の朝迎えに来るからね。たくさん疲れたと思うし、一人で寂しいと思うけど大丈夫?』

そうたずねると

「うん」

と応えてくれました。

『いっぱい寝てね』

マメに様子を見に来ますと話してくれた看護師さんや、ここまでの対応が本当に素晴らしい病院だった為、看護師さんに息子を任せ、病院をあとにしました。

日中は快晴だった空。

夜には雨に変わっていました。

帰宅し、留守番を任せた妻と娘に結果を細かく伝え、ビールを1本空け、1日振りの食事にありつきました。

テレビではオリンピックの開会式の映像が流れ、好きな音楽が沢山流れていました。

正常な状態なら、感動する場面でしょう。

疲労と寝不足。

そして軽くお酒が入っていたこともあったのか、小さな身体で20時間以上も闘い続けた息子の表情や言葉が、音楽と共に走馬灯の様に流れ、突然感情が高まり止められず号泣してしまった自分がいました。

妻は、初めて見る僕の号泣姿に

「えぇっ!?どうしたの!食べ物詰まったの!?」

と、戸惑っていましたが(笑)、号泣する自分を見て貰い泣きしていました。

この時、自分が思っている以上に、息子の姿に精神的ダメージを受けていたことに気付きました。

本気で号泣したのは約10年振り。

その後は、泥の様に眠りました。

8.退院

翌朝、迎えに行った時の息子の反応に、再び涙腺がヤラレましたが(笑)、無事退院することができました。

帰宅し、抱き抱えてシャワーを浴びせたり、利き手が使えないのでご飯を食べさせたり、胡座の上で眠る息子を見ていて、息子が赤ん坊だった頃を思い出しました。

完治までは、約3ヶ月のリハビリを要します。

せっかくの夏休みに行動制限がかけられ、ご飯を食べることも難しくなってしまった息子だけど、今の自分を受け入れる大切さを少しずつ伝えながら、息子と一緒に僕もリハビリを続けて行こうと思います。

最後に、たくさん頑張った息子へ。

・・・

ほんとに、ほんとに沢山がんばったね!

これからも、何があってもパパとママは味方だよ。

良い時も悪い時も、背中を押せる様にサポートする。

背中を見せて行ける様にがんばる。

君の未来が明るい未来であります様に。

生きている内に、2度と無いであろう母国でのオリンピック開幕日。

僕の中では、6歳になった息子の人生初の手術の日として刻まれました。

この日を、一生忘れることはないでしょう。

皆さんの毎日が、心豊かなものになります様に。


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