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急変した日常

こんにちは。

『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。

前回の記事で、今回の記事で最後とお伝えしましたが、何かと書きたいことが長くなりそうなので、2つに分けて書きます。

今回は、今年の2月に事故で入院した時の話を書きたいと思います。

・・・

1.現場で事故に遭う

2021年2月15日。

天気は雨。

この日の朝は、建築の方の仕事で現場に出ており、人数不足から数名で入る現場に、うちの会社からは僕一人で行っていました。
(これはよくあること)

トラックに積んである資材を、雨で濡れない様に現場に入れ込む処から作業開始です。

この日は制限時間も有り、かなり急いで仕事に取り組んでいました。

しかし、その急ぐ気持ちが事故に繋がりました。

すでに立て掛けていた資材に、更に資材を立て掛けていたのですが、勢いがあり過ぎてバウンドし、まとめて倒れて来たのです。
(総重量200kg弱)

倒れて来たのは、この様なボードです。
角は鋭角で、皮膚などは切れ易い材質です。

この時、資材に背中を向けていた為、突然背後から背中の辺りを車ではねられた様な衝撃を受け、次に右足首に激痛が走りました。

何が起きたのかはすぐに把握できましたが、あまりの痛みに呼吸は乱れ、視界が暗くなって行くのが分かりました。

これは過去にも何度か経験しましたが、血管迷走神経反射性失神と言われるもので、強い痛みや精神的ショック、ストレスが誘因となって自律神経のバランスがくずれ、抹消血管の抵抗が減少し血液が心臓に戻らなくなり、血圧低下となり脳血流が低下して意識がなくなります。

2.激痛の中で思ったこと

雨が降りしきる中、地べたで痛みもがいている自分がいました。

そして、この瞬間に思ったことは家族のことと、その日の仕事のことでした。

『今日はまだまだやることがある!こんなとこで意識を失ってる場合じゃねぇ』

そう思ったのでしょうね。

ブラックアウトしそうな意識を奮い起たせ、とりあえず休憩所に置いてある携帯電話の所まで行って会社に連絡を入れねば...

その一心でした。

この時、回りにはトラックの運転手さんしかおらず(高齢者の方で慌てていたのは記憶にあります)、無意識に自分で何とかしなければ!と思い、立ち上がろうとしました。

すると...

あれ?

足首から先の感覚が無い。。

そして、足がぶらんぶらんしているのが分かりました。

恐る恐る、足首の状態を確認すると...

血まみれになった足首の一部は削がれ、少し骨みたいな白いものも見えていました。

この瞬間までは、1時間位休んだら仕事に戻れるかな?なんて思っていましたが(恐らく感覚がおかしくなっていました)、足の状態を見た時に、ダメだこりゃ!と思いました(笑)

ひとまず、右足が落ちそうな感覚に恐怖しながら、けんけんの状態で休憩所に向かい、出血も酷かったのでタオルで拭い、呼吸を調えて会社に電話を入れました。

この時点では、他の方も気付いてくれて、すぐに救急車を手配してくれていた様です。

その後、病院に搬送される頃には、痛みは続いていたものの冷静さは取り戻していました。

次々と駆け付けてくれる看護師さん達が『うわぁぁぁ、、これは痛い!』と言いながら、皆同じ様に顔を歪めていたのを覚えています(笑)

そして事故から8時間後。

人生初の手術を受けることになりました。

手術までの時間、身体の内部が見える機会もそうそう無いし、看護師さんに『記念撮影させてください』と言ったら驚かれ苦笑されました(笑)
この時に初めて知ったのですが、このレベルの怪我をしたら、大抵の方は耐えられないか気絶するそうで、痛みには相当強いことが判りました(笑)
尚、こちらの写真はモザイクをかけていますが、もしモザイク無しの状態を見たい方は、この記事の最下部に掲載しておきますので、平気な方のみご覧ください。
※グロ画像注意(笑)

3.初めての手術

初めて入った手術室は、映画やドラマでしか見たことがない世界でした。
(妻の第二子出産時は立ち会いでしたが、帝王切開の為手術室には入れませんでした)

足一つの手術に、6人~7人がかり。

横に付いてくれていた、20代位の女性の助手さんに

『毎日こんな経験をされているのですか?』

そうたずねると

「はい、毎日ですよ!」

にっこり微笑んで、そう返してくれました。

その笑顔を見て、医療従事者の方への尊敬の念が止みませんでした。

手術中は、脊椎麻酔を射たれ寝ていた様で、先生に起こされた時には手術は終わっていました。

「幸い背中は軽症で済み、 足首はアキレス腱も切れていましたが手術成功です」

一安心しました。

但し、重要なのはここから。

「傷口から菌が繁殖してしまうと、足首から先を切断しなければならないそうならない様に、しばらくは点滴と傷口のチェックが必要なので、2週間は入院してください」

とのことでした。

また、資材が倒れて最初に当たった位置が、もう少し下で腰に直撃していたら、下手すれば下半身不随になっていた可能性もあり得るとのことでした。

そう考えると、足だけで済んだのは不幸中の幸い。

『何事も身体が資本』

40年生きて来て、この時ほどこの言葉を痛感したことはありませんでした。

4.入院生活がスタート

しばらくは食事もできない、寝たきりの生活がスタートしました。

「こっちのことは心配しなくて良いから、細胞レベルでゆっくり休んで!」

妻には、病院に搬送された直後に連絡を入れていました。

事故直後は驚いていたものの、その心強い言葉に一安心。

ただ、家族の今後の生活のことが何よりも気掛かり。

『今後どうして行こう...』

不安を抱えつつ、入院一日目は術後の痛みと闘いながら、麻酔の効果と精神的な疲労で、ほとんど寝ていた様です。

余談ですが、このレベルの入院が初めてだったことと、手術後2日間は意識も朦朧とし、寝たきりで身体の状態が確認できませんでした。
そんな中、一つの疑問が浮かびました。
『・・・あれ?俺トイレどうしてんの?』
ちょいちょいトイレに行きたい感覚はあったはずなのに、トイレ行ってなくね?となり、ナースコール。
『看護師さん、僕トイレに行っていないと思うんですけど...』
看護師さんが笑っているのを見て、初めて自分の体内に管が入っていることを知りました(笑)

・・・

さて、今回は急変した日常について書いてみました。

その後、約1週間後にはリハビリが始まり、2週後には退院できました。

しかし、完治には約半年の期間を要するとのことで、今もリハビリ生活と通院は続いています。

次回は、そんな退院後の話を書いて行きたいと思います。

みなさんも、怪我や病気には気を付けてください!(>_<)

事故直後のモザイク無しの画像は、もっと下の方に掲載してあります。
興味ある方のみ、下の方へお進みください。













写真を見ると、当時の痛みを思い出します(苦笑)

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